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Star of Crown
アニュラス王立学園。
そこは若き紳士淑女が集い、学問や魔法技術を通して心身共に切磋琢磨する学び舎である。
今日は、そんな学園の入学式だ。
入学試験を勝ち抜き、アニュラス王立学園の伝統ある制服に袖を通した新入生たちは、一様にキラキラと自信に満ちた笑みを浮かべている。行儀よく講堂に並ぶ彼らは、毎年似たようなことを言っているだろう学園長の言葉も一言一句聞き逃すまいと耳を傾けていた。
そんな清々しい空気の中、ひとりだけどんよりと重い空気に包まれている女生徒がいる。俯いているせいで、ミルクを混ぜた紅茶のような優しい色の髪は垂れ幕のように彼女の顔を覆い隠していた。
「続きまして、新入生代表挨拶。新入生代表、シアナ・フェルメール」
「ひゃい……!」
声が裏返り、不細工な鳥のような鳴き声の返事が響く。先ほどまで俯いていた彼女は勢いよく立ち上がるも、顔を真っ赤にして桜色の瞳をおろおろと揺らしていた。
両目の焦点も定まらないまま、ぎこちない動きでシアナは壇上へと向かっていく。そんな彼女に、同級生たちは目を丸くした。
それもそのはず、この学園での新入生代表とはつまり、入学試験を首席合格した者を指す。筆記試験、魔法実技、面接と盛りだくさんの入試試験のすべてにおいて輝かしい成績を残したものを想像した時、その姿は今のシアナとはかけ離れていた。
自分たちの代表が彼女だと驚くべきか、嘆くべきか。そんな値踏みするような視線がシアナに刺さる。そんな視線を意識すればするほど、シアナの心臓は今にもぷちんと潰れてしまいそうだった。
シアナは元来、自分が目立つことを望んではいなかった。しかし、この学園に新入生代表として入学することには大きなメリットがある。
それは新入生代表にだけ与えられる、願いをひとつ叶えてもらう権利。
あくまで学園内で収まる規模、そしてモラルに反しないものに限られるが、過去には学費の免除や3年間過ごすことになる寮の改築といった願いを叶えたという実績もある。シアナはその権利をどうしても掴みたかったのである。
その願いは、この新入生代表の挨拶の際に公言することも義務付けられていた。大勢の前で言えないような願いを望むな、という学園側からの圧でもある。
シアナは願いを今日までに何度も思い描いてきた。
緊張で乾燥した唇は震えるが、決して人前で言えないような恥ずかしい願いではない。
「私の願いは……『アイドル研究部』を作ることです!」
その発言に教師、生徒たちはざわめいた。研究部と名がつくのなら部活動だと推測できるが、肝心の研究対象である“アイドル”というものを知らないのである。
それもそのはず、この世界の中でアイドルという概念はシアナが持つ前世の記憶の中にしか存在しないからだ。
シアナの前世は日本で生きる、いわゆるオタクだった。
漫画、アニメ、ゲームが好きで、そこから派生するように映画や舞台、そこからまた派生して俳優、アイドル……と様々なエンタメを愛していた。
そんな彼女が大学卒業後に就職した先は、労働基準法のギリギリを責めるブラックに限りなく近いグレー企業。肉体も精神も削られながらの毎日でも、エンタメが彼女を癒し、そして支えてくれたのである。
それは若くして過労死するギリギリまで変わらなかった。
そこまでのエンタメへの愛を目覚めさせたのは、彼女が中学時代にプレイした『ロイヤルラバーズ』という恋愛シミュレーションゲーム、いわゆる乙女ゲームだ。
学園内で王子、公爵令息などロイヤルなイケメンたちと恋愛を楽しむゲーム、それがロイヤルラバーズ。
そこに出てくる学園というのが、このアニュラス王立学園。
しかも、シアナが入学する年は攻略キャラクターの在学と重なっていたのだ。
生まれた時から前世の記憶があったシアナは、この世界がロイヤルラバーズの世界だと理解するのにそれほど時間はかからなかった。魔法を使える楽しさも味わえたし、勉強を頑張れば攻略キャラクターたちに会えるという目標もできた。
問題があるとすれば、前世で心の拠り所にしていたエンタメがこの世界に少なすぎることだ。
テレビやラジオ、映画もない。オペラのような舞台はあったが、チケットが高額すぎてあくまで上位貴族たちの娯楽である。男爵家出身のシアナが触れた娯楽と言えば、小説や絵本くらいだった。本も次々と買えるわけではないので、最初に買ってもらった本は読み過ぎて表紙の角がよれてしまった。
人見知りのシアナは目立つことも、人前に立つことも苦手だ。そんな彼女に、新入生代表は荷が重い。
けれど、この学園を卒業してからもこの世界で何十年も生きることを考えた時、前世で胸を熱くしたようなエンタメにまた触れる生活をしてみたかった。
そのためには誰かがエンタメという種を蒔かなければ、何も始まらない。
最初に咲く花は雑草のようなものであったとしても、誰かがそれに心を動かしてくれれば、その誰かがまた新たな種を蒔くかもしれない。
最初に蒔く種を考えた時、シアナの脳裏にはまず音楽が浮かんだ。字が読めなくても、言葉が通じなくても、音楽なら通わせられる心がある。けれど、音楽ならすでにアニュラス国にも存在はしていた。ならば、さらにダンスなどのパフォーマンスを加えれて、よりエンターテインメント性を高めるのはどうだろう。
そこまで考えた時に浮かんできた情景は、前世で見たアイドルのライブだった。
「人々を笑顔にするエンターテインメントを作ります」
エンタメが少ないこの世界に、アイドルを生む。
その第一歩が、アイドル研究部の発足なのだ。
式典後、教師たちにアイドルについて説明をしたが、どこまで理解しているのか微妙なところだった。
しかし、新たに部活動を作りたいと言った願いは今までも許可してきたため、半年以内に5人以上の部員と何かしら実績を残すことを条件に設立を許可された。
そうと決まれば、まずは部員を集めなければならない。
入学式の翌日から、学内では新入部員を得ようと各部活が勧誘を始めた。
「あ、アイドル研究部、でーす……」
シアナにとって、この勧誘活動は鬼門と言えた。活動内容をまとめたパンフレットを作ることには何の苦も感じなかったが、肝心の配る際に積極的に声をかけられず尻込みしてしまうのである。
パンフレット片手におろおろしていると、同級生の女生徒が好奇心の滲む笑みを浮かべて歩み寄ってくる。
「それ、式典の時に言ってたやつ?」
「アイ……なんだっけ? アイテム研究部?」
これは新入部員獲得のチャンスだと、シアナは気合を入れる。
パンフレットをそれぞれに手渡しながら、すっと息を吸い込んだ。
「アイドル研究部です! アイドルというのは、人々の憧れの対象になる人物のことを指しまして、多くは歌やダンスなどで見る人の心を魅了できる人といった感じです。研究部なので、自分自身が必ずしもアイドルを目指す必要はないのですが、アイドルになりたいと思ってくれた人を応援したり、支えたりするポジションとして一緒に頑張って……」
緊張も相まって、思い描く研究会の活動内容を伝えなければという気持ちが先走った。結果、捲し立てるような早口を紡ぐことになり、はっと気付いた時には話を聞いてくれていた2人の生徒は呆然と立ち尽くしている。
「へ、へぇー……」
「私たちにはちょっと、難しそう、かな……ごめんね!」
シアナに手を振り、そそくさと2人は逃げていく。
そんな2人にそれ以上かける言葉も思いつかず、せっかくのチャンスを逃してしまったことに肩を落とした。
この辺りは他の部活の勧誘も多くて、ゆっくり話を聞いてもらえないかもしれない。静かな場所へ移動して落ち着いて話を聞いてくれる人を探そう、とシアナがくるりと踵を返した時だった。
「!」
ちょうど歩いてきた人物とぶつかり、抱えていたパンフレットが地面に散らばる。
散らばったチラシを気にしつつも、ぶつかった人物へと頭を下げた。
「すみません!」
「どんくさいやつ……」
「え……」
そのセリフを、シアナが聞き間違えるはずがなかった。
おずおずと視線を上げれば、深紅の瞳がシアナを見下ろす。その威圧感たっぷりの視線と、周りから浮いてしまうほどの煌びやかなオーラは、ロイヤルラバーズの攻略キャラクターの1人、アニュラス国第二王子のアルタイル・クライヴ・ホメオスターシスだった。
ゲーム内の立ち絵だけでは決して見られないアングルに、シアナの脳内ではくす玉が割れて、『顔がいい!』という垂れ幕と共に紙吹雪が舞い踊った。ついでにクラッカーやらシャンパンやらが炸裂してどんちゃん騒ぎだ。
もちろん、表面には出さなかったが。
アルタイルは無造作に後ろへ撫でつけた金色の髪を掻き、舞い散ったパンフレットに視線を落として鼻で笑う。
「あぁ、お前が新入生代表の。ひとりで部活動勧誘とはご苦労なことだな」
ゲームのシナリオ通り、なんとも嫌味っぽい言い方だ。バカにされてることにむっとする気持ちはありつつも、これだよこれ! と彼らしい言動に感動しているシアナもいた。
シアナが取り出した杖を一振りすると、散らばったパンフレットが手元へと戻ってくる。その様子をアルタイルの後ろから見ていた彼──ベガ・エクリプスがひゅうっと口笛を吹いた。
「さすが新入生代表。1年生と思えない魔法さばき」
ベガもまた、ロイヤルラバーズの攻略キャラクターの1人だ。王立騎士団の団長の息子で、幼い頃からアルタイルの護衛として学園内でも行動を共にすることが多い。
くすんだ金髪を揺らしながら陽気な笑みを浮かべるベガと、斜に構えて眺めてくるアルタイルにシアナはそれぞれパンフレットを差し出した。
「アイドル研究部に入りませんか?」
「は?」
シアナは攻略キャラクターには絶対に声をかけようと思っていた。
やはり、アイドルとしてビジュアルは大事だ。学園で在席している生徒の中では、攻略キャラクターたちに勝るビジュアルはいない。
先ほどの失敗が頭に過り、なるべく早口になりすぎないようシアナが説明を切り出そうとした瞬間、
「くだらない」
「っ!」
アルタイルは、パンフレットをぐしゃりと握りつぶしながらシアナに突き返した。背を向けて去っていくアルタイルと握りつぶされたパンフレットに視線を落とすシアナを、ベガが交互に見遣る。
「あ、あー……ごめん! アルは誰にでもあんな感じだから、その、気にしないで!」
「はい……」
シアナは少しだけ期待していた。もしかしたら、OKをもらえるのではないかと。
そう期待してしまうのは、自身がロイヤルラバーズの主人公として転生したからだ。
期待と言ってもあくまで可能性を感じていた程度である。主人公という特殊な立場なら多少の無理も通せるのでは、という可能性だ。
しかし、アルタイルの先ほどの態度を見るに、その可能性はなさそうだと判断できた。
だとしたら、これ以降の攻略キャラクターへの勧誘方法はもっと作戦を練った方がいいかもしれない。
そして同時に考えるのは、どこまで自分がゲームのシナリオに縛られるのかということだ。遠い記憶とは言え、一度経験しているシナリオ。上手くやれば楽な学園生活を送れるかもしれない。
けれど、前世の最期は後悔ばかりだった。やりたいことがいっぱいあったのに、それをひとつずつ数えながら消えていった命……
その記憶があるからこそ、やりたいことに正直であろうとシアナは「くだらない」と言われても諦めるつもりはなかった。
それから1週間後。
新入生たちはそれぞれに入りたい部活をほぼ決めていた。それにより、入学式の直後ほど勧誘活動も鳴りを潜めている。
アイドル研究部のために用意された部室は、今は使われていない古びた教室だった。元々、天文や占星学を教えていた教室らしい。
半円のすり鉢状になった教室の中央には、教師が使っていただろう教卓がそのまま残されている。その教卓を見下ろすように等間隔に座席が並んでいた。
外からの光をあまり必要としない授業だったせいか、窓はどれも小さく室内は薄暗い。天井から垂れる星型正多面体の照明たちが頼りだった。
「キャパは少ないけど、劇場としてはまあまあ良さげ……」
とシアナは割り当てられた部室に満足していたものの、未だ入部希望者はゼロである。
苦肉の策でシアナがソロでアイドル活動をするにしても、やはりスタッフがいなければ限界がある。それに、5人以上の部員というノルマもクリアできない。
「どうすれば……」
もう一度アルタイルや他の攻略キャラクターに直談判しにいくか悩んでいた時、教室の扉が控えめに開く。
勢いよく顔を上げたシアナは、そこに佇む生徒の姿を見て目を見開いた。
腰まで届く鮮やかなマゼンタ色の髪、光を湛えた氷のような澄んだ水色の瞳。意思の強さを感じさせるキリッとした表情は、ロイヤルラバーズの主要キャラクターのひとり、ソフィア・レンブラント伯爵令嬢、その人であった。
「ここが、アイドル研究部でよろしくて?」
「あ、え、は……?」
シアナの脳内は大混乱だった。
ソフィアと言えば、主人公の恋路を邪魔する悪役令嬢ポジションのキャラである。そんな彼女がなぜ、シアナしか部員のいない部活動に入部などしてくるのか。これも何か嫌がらせのためなのだろうかとシアナは思わず身構えてしまう。
「その反応、やっぱりあなたも転生者なのでしょう?」
「あなた“も”ってまさか……」
シアナが最後まで言い切る前に、ソフィアは自身の名前と入部先に『アイドル研究部』と記入した入部届を突き出す。
「あなたがゲームのシナリオ通りの行動をするなら、悪役令嬢然として立ち向かうつもりだったけど……私もこの世界の娯楽の少なさに飢えてたの、一枚噛ませてもらえるかしら?」
「ソフィアさん……!」
まさかソフィアと固い握手を交わせるとは、シアナは夢にも思っていなかった。
争い事も苦手だったシアナには、これ以上ない朗報である。
「盛り上がってるとこ、失礼しまーす」
そんな緩い声と共に室内に現れたのはベガだ。
先ほどの会話を聞かれていないか、と思わずソフィアと視線を交わす。しかし、ベガはそのことにはまるで触れずに、ポケットから2枚の紙を出した。
1枚は、シアナが勧誘活動の時に配っていたパンフレット。そして、もう1枚は先ほどソフィアが出したものと同じ、入部届である。
状況についていけないシアナを余所に、ベガはにこやかな笑みを浮かべる。
「俺も入ーれて?」
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