海辺の拾い物

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海辺の拾い物

波の音を聴くのが特別好きだとか、そんなつもりは全然なかった。でもどうしてかな。 俺の身体はいつだってその音がする方に引き寄せられていく。 都会からちょこっとだけ離れた田舎の、海沿いにある大学。棟と棟を繋ぐ外階段からはどこまでもさざめく青が見える。 高い場所にあって見晴らしが良いここからは、遠くの丘の上にぽつんと建つ白いお屋敷だって見えた。あれ、ずっと前からあるんだよな。一体どんな人が住んでるんだろう。ていうかそもそも人、住んでんのかな。 ぼんやり遠くに思いを馳せていると、背後から階段を上ってくる足音が聞こえた。 「しづき、いた」 「シオ」 振り向くとほんの少し息を切らした青年が俺を覗き込んでいる。汗が一筋、首元を伝って白いシャツに吸い込まれていった。暑い季節にはまだまだ遠いのに、それくらい急いで来たのだろう。 …やたら透明だ。覗き込む瑠璃色もちょっと下がる眉も、垂れ下がる髪も、やたらきらきらしてる。 もうすっかり見慣れたはずの今でも、俺は彼に何度だって新鮮に見惚れてしまう。彼には言わないけど。 ふうと息を吐いて彼が俺の隣に並んだ。俺と同じように柵に腕を凭れかけて、でも視線は青じゃなくて、どこにでもいる焦げ茶色の俺の瞳を見つめたままで。 「………」 「………」 いや、何も喋らんのかい。別にいいけど、今更だし。俺を見る瑠璃色は睨みつけるというほどではないものの、責め立てるようにほんの少し細められていた。 「しづきの、薄情者」 「いやいや、俺は教授の手伝いがあったし」 「置いてったじゃん」 「待ってただろ…ふはっ」 視線で訴えてくることと全く同じことを言った彼が微笑ましくて思わず吹き出すと、シオは不思議そうにぱちぱち瞬きをする。睫毛が一緒に揺れてそれも面白いな。 にやけたままでいると、つられてふっとシオも微笑った。ほらな、マジで怒ってたわけじゃないらしい。 たまに、いや度々悪態をつく彼だが素はとても穏やかで優しい。 そんな穏やかな彼が汗が流れるほど急いでいた理由は容易に想像がつく。俺たちがこの人気のない場所を選ぶ理由でもあるが。 「で、またファンの子達から逃げてきたん?」 「ふぁ…?」 「ファン。簡単に言うと、シオのことが大好きな人たちって意味だよ」 「ふぁん」 「かわいいな」 彼は初めて聞いた単語を覚えようとする赤ん坊みたいに、口をもごもごさせて反芻した。かわいい。その端正すぎるお顔でその仕草はかわいい。そりゃあファンクラブもできる。 でもそっか、これもまた新しい単語だったか。 出逢ってからかれこれ一年くらいかな。彼の出自について深く訊いたことはないのだが、やっぱり海外から来たんだろうか。日本語は流暢に話すけど顔とスタイルは平凡な俺と全然違ってとてもすらりとしている。瞳の色も吸い込まれそうになるくらい綺麗な青だし、そしてたまに、こういった感じで知らない単語や文化に驚くことがままあった。 そういやコンビニの自動ドアにもめちゃめちゃ驚いてたことがあったな。ということは、自動ドアがない国から来たのかもしれない。そんな国はたくさんあるだろうけど、一応中高と都会で育った俺には想像出来ない。一体どんなところなんだろうか。 「しづき」 「んー?」 「しづきはおれの、ふぁん?」 「俺が?んー」 またぼうっと遠くどこか知らない場所へ思いを馳せていると、隣からふと名前を呼ばれた。前を見ても海、隣を見ても海があるみたいだ。どっちも綺麗。でも俺は、真っ直ぐ見てくるこっちの青のが好き。これも言わないけど。 というかこてんと首を傾げる仕草もこいつがやると絵になるな。無意識なんだろうな。あざとい。口が悪くてもかわいいとか思ってしまう。悔しい。 それにしても、俺がこいつのファンかぁ。確かにこいつのことは大好きといえば大好きだけど、友達だし。ファンっていうのとはちょっと違う気がする。 「…違うかな」 「えっ」 「え?」 「………好きじゃ、ない?」 自信満々かよ。そんなまさか、俺がこいつのことを好きじゃないなんてありえないだろってお顔をしていらっしゃる。いや事実そうなのもまた非常に悔しいんだが、それにしても清々しいくらいに自信満々だなこいつ。 「は、まさかこれが、もてあそばれた…てやつか?」 「いや違う違う!語弊があるぞ!もてあそんでないし!」 「でもふぁんじゃないって言った」 「いやファンではないんだけど、シオのことは大好きだよ!」 「本当に?ふぁんじゃないのに?」 「好きにも色々あるんだよ。俺のは何て言うかな…ううん説明できないんだけど、とにかく大好きだよ」 「ふうん?」 なるほど分からん、て顔してるな。俺も上手く説明できないのが歯痒い。今の俺達の関係は、多分「友達」って言葉で括れるんだろう。 でも「好き」の意味は、俺も誰かに説明できるほどよく分かっていないのかもしれない。 何と説明したものかと首を傾げる俺の横で、「ふぁん、ふぁん…」とまだ単語を繰り返して覚えようとする声が聞こえた。パンダの名前っぽいな。
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