タワマン事件簿

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 三十分近く速歩でスタスタ歩いて、なかなかいい運動になる。  見慣れたマンション近くになり、ちょっとの間なのに「懐かしいな」と思っていた時――。 (おや?)  マンションは、門から内側が敷地として守られている。  住人向けの小さな公園や噴水などもあるし、テントを張れる場所もある。  このマンションの住人だから、敷地内のあれこれで楽しめますよという付加価値がしっかりあるのだ。  その敷地〝外〟で、三人の男女がたむろって言い合いしていた。 (杉川さん夫婦じゃん)  二人揃っているの、珍しい。  言い合いというか、美香さんが傍観しているなか、光圀さんがもう一人の男性に一方的に責められている感じだ。 (えええ……。どうしちゃったの?)  マンションに入るには、彼らの前を通らなければならない。  戸惑って足を止めると、美香さんが私に気づいた。  そして何とも言えない、皮肉げな表情で笑う。 (〝事件〟みたいだな)  ハァ……、と息をつき、私は首を突っ込む覚悟を決めた。  歩いて近づき、あえて明るく話しかける。 「美香さん、こんにちは! ご夫婦揃って……。あれ? どうしたんです?」  カラッとした調子で話しかけたからか、光圀さんを問い詰めていた男性が気まずく黙る。  おおかたコレ、光圀さんの浮気がバレた感じなのかな……。  うおお……。泥沼。 「何ですか? あなたは?」  イラついたように尋ねる男性は、四十代後半ぐらいだ。  お金持ちそうな出で立ちではあるけど、あまりお近づきになりたくない雰囲気がある。  偏見で言えば、運動部のめっちゃ権力のある先輩タイプというか。 「このマンションの住人の、久賀城と申します。杉川さんご夫妻とはパーティーで知り合いました」  私は一度キャップを脱いで顔を見せ、ペコリと頭を下げる。  丁寧に挨拶したからか、彼は戸惑いながら自分も自己紹介する。 「赤城隆二(あかぎりゅうじ)と申します」  そう言って差しだされた名刺には、大手IT会社の役員名が書かれてあった。 「……で、赤城さんはどうして喧嘩腰に?」 「あなたに関係ないじゃないですか」 「いや、そうなんですけど、マンションの前で騒がれると気になるじゃないですか」  スパッと言うと、彼は気まずく黙る。  その時、光圀さんが呻くように言った。 「……お話しします。……から、移動しましょう」 「最初からそう言えばいいんです」  赤城さんは大きな溜め息をつく。 「優美さんも一緒に来てくれますか?」  いきなり美香さんが私を誘い、赤城さんが目を剥く。 「彼女は関係ないじゃないですか!」 「そうですけど、この場にいる三人とも当事者です。第三者である彼女なら、冷静に状況を判断できます。私たちが感情に振り回された時、解決するためにいい言葉をくれるのではと思います」  美香さんは感情的になっているように感じられない。  けど、内心ではどう思っているか分からない。 「分かりました。私はいいですけど」  言われて赤城さんも「それもそうか」と思ったのか、唸るように頷いた。 「……近くのカフェに移動しましょう」  そのあと、私たちは連れだって歩き始めた。 (んー! こりゃあ、あとから慎也と正樹に何か言われるな!)  私は悟りきった顔で頷く。  まぁ、しゃーない。乗りかかった舟だ。  これがあの一連の事件と関係しているのかしていないのか、ちょっとでも分かったらいいな。  そう簡単に尻尾を出さないとは思うけど……。  考えながら歩いていると、美香さんが話しかけてきた。 「付き合わせてしまって、ごめんなさいね」 「いえ、急いでいませんし」 「偶然通りがかったの?」 「はい。外出したんですが、忘れ物を取りに来て」  引っ越した事を言う必要はないので、あくまでこのマンションに住んでいる体で言う。 「そう」  彼女は日焼け防止用のつばの広いハットの陰で、美しく笑う。
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