タワマン事件簿

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「は?」  今度は赤城さんは高い声を出し、目をまん丸にして光圀さんを凝視している。  かくいう私も驚いているし、さすがに美香さんも夫を見つめていた。 「そして、彼女とは男女の仲にありません」  光圀さんは赤城さんに怯えながらも、きっぱりと言う。 「ですがこれは……」  赤城さんはスマホの画像を再度見せつける。  けれど光圀さんは反抗する。 「写真は一緒にいるところを撮っただけですよね? 決定的な、ホテルに入る瞬間などは捉えていない」 「う……」  図星だったのか、赤城さんは言葉に詰まる。  美香さんは夫の言葉を静かに聞いていた。 「学生時代から、強気な恵里菜の子分的な立場にありました。僕は見ての通り、クラスにいれば陰キャで目立たない、いじめられやすいタイプです。恵里菜は目立つタイプで、スクールカーストの頂点にいました。そんな彼女が僕を気に掛けていてくれていたから、僕はいじめられずに済みました」  語られる過去に、もう赤城さんは口を挟もうとしなかった。 「どうしてそんなに正反対の二人が仲よくなったかと言えば、家庭環境と好きな本が似ていたからです。僕は父子家庭で、彼女は母子家庭でした。学校にいてもどこか友達と話が合わず、図書室にいる事が多かったです。閲覧室で本を読んでいたら、『その本面白いの?』と話しかけられました」  思っていたような下世話な関係ではなく、事情ありきの深い関係にあった。  私もそこまで考えられず、黙って光圀さんの話を聞く。 「彼女はもともとそれほど小説に興味がなく、漫画を好んでいました。ですが僕が面白かった本を薦めると、『読んでみる』と言って興味を持ち始めました。僕はミステリー小説が好きで、彼女も最後のどんでん返しなどが気に入ったようです。やがて二人でミステリー小説の話で盛り上がるようになりました。その関係もあり、クラスで僕がからかわれかけたら、さりげなく庇ってくれるようになりました」  そこまで言い、光圀さんはブラックコーヒーを一口飲む。 「僕たちの関係はただそれだけで、お互いを男女として見る事はありませんでした。片親を持つ悩みを打ち明け、慰め合うようになりました。やがて彼女の母は再婚して、高校生後半には安定した顔をしていました。『良かったな』と思って、陰ながら彼女が幸せになる事を祈っていました」  なんだか、いい話だな。 「偶然、大学も同じ学校に進学しました。学部は違ったのですが、キャンパス内で偶然顔を合わせた時は挨拶してくれました。その辺りから疎遠になっていきましたが、メッセージで季節の挨拶などは続けていました。やがて彼女は赤城さんと結婚し、僕は彼女の幸せを祈ったんです」  話題が自分に移り、赤城さんは居住まいを正す。  それまでスルスル話していたのに、光圀さんは少し口ごもる。 「そこまで話したなら、すべて打ち明けてくれ。何を言われても驚かない」  赤城さんに言われ、彼は息をついて再度話しだす。 「……彼女から定期的な挨拶以外に連絡があったのは、三十八歳の時でした。七年前です」  光圀さんは溜め息をつく。 「『夫のモラハラがつらい』と相談されました」 「はぁ!?」  赤城さんが声を上げる。  それから〝モラハラ〟と言われたのを気にしたのか、誤魔化すように咳払いをする。  ……まぁ、確かに人に威圧感を与える人だな、とは第一印象で感じた。  体格にも恵まれているし、声も大きくて太い。  語気を強く言われると、私だってちょっと萎縮してしまう。 「僕はモラハラなんて……」  心外だというように言った赤城さんに、美香さんが冷たく言う。 「自覚していない人は、皆そう言うのよ」  美魔女にすげなく言われ、彼は唇を歪める。 「具体的に妻はどう言っていましたか?」  赤城さんは気にしたのか、光圀さんに丁寧に尋ねてくる。  彼はチラッと赤城さんを気にしたあと、言いにくそうに口を開いた。 「これはモラハラか分かりませんが、『声が大きくて怖い、いつも怒られているように感じる』と言っていました」 「そんな、これは地の声で……」  赤城さんは不愉快そうに眉間に皺を寄せる。  私は光圀さんに加勢しようと思って、挙手して言った。 「生まれ持ってのものってどうしようもないですが、意識的に優しくする事はできると思いますよ。言葉の抑揚って、感情に伴うものですから。奥さんを優しくいたわる気持ちで話したなら、威圧的と思われないはずです」  赤城さんは、溜め息をついて唇を引き結んだ。
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