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「僕は今まで一度も離婚しようと言わなかった。僕は君に浮気されても、君を愛している。君さえ僕に向き直ってくれるなら、きっとやり直せると思っている。僕にも非はあった。心から謝罪する。……だから、一からやり直そう」
夫に言われ、美香さんは涙を流しながら頷いた。
(良かったなぁ……)
平行して色んな糸が絡まっていたけれど、一本がほぐされた。
でも赤城さんの問題は、解決した訳じゃない。
まさに今、さらなる問題が発生したばかりだ。
彼は眉間に深い皺を刻み、貧乏揺すりをして腕組みをしている。
「……妻の浮気相手を知っていますか?」
杉川夫妻が落ち着いた頃、赤城さんが低くうなるように問う。
「いえ、知りません。僕は〝前後〟に呼び出されて、それっぽく振る舞うように言われていただけです。会う時も、浮気相手について聞かされた事はありませんでした。……ただ一つだけ」
最後の言葉を聞き、赤城さんは前のめりになる。
「『私を否定しないし、包み込むように優しくしてくれる。一緒にいて余計な力が入らなくて楽』と言っていました」
赤城さんは大きく息を吸い、震わせながら吐く。
多分だけど、気弱そうに見える光圀さんがここまでハッキリ言う裏には、多少なりとも友人を思っての感情があるんだろう。
学生時代の大事な時を共有した〝仲間〟だからこそ、恵里菜さんを浮気するまで追い詰めた赤城さんに非があると主張したいんだと思う。
「僕は恵里菜とショッピングもしていました。妻に似合う男になりたいと悩んでいたら、彼女が美容室や服のアドバイスをくれたんです。彼女との関係はそれだけです」
さらに分かったのは、光圀さんが愛妻家だったという事実だけだ。
「これ以上あなたに説明する事はありません。あとは赤城家での話です」
光圀さんが言ったあと、赤城さんはもう一度大きな溜め息をついた。
「……分かりました。帰って妻と話し合います。無実の方を責めてしまい、すみませんでした」
ぶっちゃけ赤城さんも、浮気相手と思っていた光圀さんが思わぬ愛妻家だったと知り、余計に考えさせられるものがあったんだろう。
そのあと彼は、「コーヒー代はもちます」と言って、伝票を掴んで席を立った。
残された私たちは、しばらく沈黙していた。
杉川さん夫妻は、なんだかモジモジしてる。初々しい。
やがて美香さんが髪を掻き上げて言った。
「……私はあなたより年上だし、子供ができなかった。夜もさっぱりだったし、もう私には興味がないんだと思っていた」
光圀さんはぬるくなったコーヒーを一口飲み、無意識に結婚指輪をさする。
「子供ができない体だと、君が泣き叫んだあの日以降、悲しませないように気を遣うので精一杯だった。僕は気の利いた言葉が言えない男だから、へたをすればすぐ地雷を踏みかねない。極力何も言わず、話題にも触れず、君が穏やかに過ごせるよう努めていた」
言ったあと、彼はそっと溜め息をついた。
「お二人とも、大きくすれ違っていたんですね」
「……そうね。私は自分が可哀想で、自分の事しか考えられていなかった。どれだけ悲しんでも、夫は寄り添ってくれないと思っていたし、子供のできない私に愛想を尽かして冷めたのだと思い込んでいた」
話し合い、大事だな。
私も自戒しないと。
「あの、今さらですが、お二人のなれそめを聞いてもいいですか?」
そう尋ねると、美香さんが微笑んだ。
「この人、投資家なのよ。ハンドルネームを使っているけれど、界隈では結構有名なの。セミナーも開いていて、企業から依頼されて本も出しているわ」
「へー! 凄いですね」
もしかしたら文香なら知ってるかもしれない。
「紹介があって個人的に夫を知って、投資について教えてほしいという体で近づいて、私からアプローチしたわ。勿論、教えを請いたいのもあったけど、柔らかで優しい話し方がとても素敵だと思ったの。控えめで聞き上手。私は自分をどんどん主張してしまうタイプだから、夫のような人と一緒にいると安らぐの。私の周囲には経営者が多いけれど、皆リーダーシップがあって自我の強い人で、恋人になればぶつかってしまう。私は安らぎがほしかったの」
「なるほど、性格的にかみ合ったんですね。それは素敵だと思います」
頷くと、光圀さんが恥ずかしそうに笑う。
「妻は年上である事を気にしているけど、こんなに綺麗な女性を知らないし、歳を重ねても美しくあるための努力をしているところを尊敬しています。経営者として頑張っている姿も応援しているし、僕には勿体ないほどの女性です」
初めて二人を知った時は、真逆のタイプでどこを好きになったんだろう? と勝手に思ってしまった。
でも結婚するからには、相応のドラマがある。
良かったなー、と思っていたけれど、ふとある事を思いだしてしまった。
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