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「ねえ、コダマ。ピザって十回言ってみて?」
「肘」
山田コダマの少年のようなハスキーボイスは耳に心地よい。
宮井マキは、友人のコダマにいつもどうでもいいことを喋らせてみたくなる。
コダマの顔の下半分はバツ印のついたマスクで覆われている。
本人は呪いを封じているのだと真顔で断言して憚らない。
コダマは隠していてもわかるくらい端正な顔立ちをしているが、実のところは呪われし食欲を誇る残念すぎる変人だ。
「マキちゃん。肘と言えば、下半身がちぎれた人が肘でマキちゃんににじり寄ってるよ。今日も個性的な取り巻きばかりで壮観だね」
「見えてるのならできれば今すぐどうにかしてよ」
「マキちゃん、それはそうと何か食べ物持ってない?」
「お弁当食べたばかりだけどチョコレートあげる。そんなの見ながらよく食べられるよね」
「上半身ちゃんは気持ちわるいだけで特に害はないから大丈夫だよ」
「ならいっかー」
こんなことは日常茶飯事。
コダマの家は知る人ぞ知る祓い屋らしいが、マキはコダマがその力を使うところを見たことはない。
中上高校の伝統ある怪奇部部長であるマキにとって、コダマはネタの玉手箱といえた。
マキは、怪奇部部室として割り当てられた化学準備室の片隅で、黒い表紙の分厚いノートを開く。
年季の入った付箋には『旧伊嶋邸座敷牢の怪物』『見えそうで見えない伝説の三角地』『土屋学習塾跡』『ミチルちゃんのリコーダー』『血に濡れた東棟三階踊り場』などの薄れた文字が見える。
どれも長い間、学校で噂になりながらも確証がないままに放置されている案件だ。
コダマには黒歴史帳と呼ばれているが、部で代々引き継がれてきたノートと骨董品のようなフィルムカメラはマキの宝物だ。
部員は六人ほどいるが、マキとコダマ以外は全員幽霊部員である。
午後から降りだした雨は止みそうにない。
窓を伝う雫に指を這わせながら、マキはため息をついた。
「コダマ、今日の調査はやめとく?」
「いいけど明日から週末までは焼肉屋のバイト入ってるんだよねー。今日を外したらしばらくは部活出られないよ?」
「あのさ、コダマ。うちの学校、バイト禁止だよね。見つかったら退学だよ?」
マキは声をひそめた。
「あくまでも原則禁止ね。やむをえない事情があって学校から許可をもらってたら大丈夫なんだよ。うちの父ちゃん破産しちゃってるからさあ。ばあちゃんに世話になりっぱなしだし、ちょっとは稼がなきゃ。焼肉屋のオーナーは顔色悪いけど、まかないに美味しいおやつ作ってくれるんだよー」
「焼肉はおやつじゃないし、さらっと重いこと言ってるし、オーナーの顔色が悪いのはコダマの食欲のせいかもしれないよ。私は優しいから言わないけどさ」
マキとコダマは『旧伊嶋邸』を訪れた。
陰鬱な空のもと、しっとりと佇む古い日本家屋。
ありがちな廃屋ではなく、ごく小規模ながら歴史民俗資料館の看板がある由緒正しい建物だった。
「中上高校の宮井マキといいます。文化祭での発表に必要な資料を見せていただくことはできますか?」
マキの言葉は決して嘘ではない。
きちんと本名も伝えた。
怪奇部の活動であることは話さなかっただけだ。
間もなく閉館する時間帯だったが、小柄で童顔で真面目そうなマキが厚いノートを片手に真剣に頼み込んだおかげか、管理人は快く案内してくれた。
そればかりか、一般開放はしていない土蔵まで見せてくれるらしい。
マキは、遠慮がちに写真撮影と発表は可能か申し出てみる。
「どうぞどうぞ、何なら二人とも入れて写真を撮ってあげましょう!」
普段訪れる人が少ない資料館なのか、意外なほどに明るい管理人だった。
「あれれ、このカメラ、シャッターきれませんね」
管理人の言葉に、マキは泣き顔になる。
「そんなあ、年代物だけど昨日もちゃんと手入れしたのに」
結局、写真は撮れないままに、二人は学校へと戻ってきた。
「またコダマの時間が取れる日にリベンジしなきゃね!このおんぼろカメラめ~」
カシャリ。
シャッターは軽快な音を立てた。
「え~、今ごろ!」
マキはくやしそうにカメラを振り回してお仕置きする。
「マキちゃん、落ち着いて。聞いてくれるかな。あの土蔵が座敷牢だったんだよ。今でもいるよ、座敷牢の住人。でもリベンジは駄目。シャッターはそっとしておいてほしいという警告なんだ」
コダマは無表情に訥々と話し出した。
「え?本当にいたの?座敷牢の怪物って!」
マキは目を丸くした。
「人を近寄らせないためかな、そんな噂を流したのかもね。正体は怪物どころか優しげな女の人。随分昔のことだけど、病気になってあそこで療養してたみたい」
「コダマー!それってそれこそお祓い案件じゃ……」
コダマは寂しそうに微笑んだ。
「待ってるんだって、あの人。あの場所で、来るはずだった人を。ただそれだけでいいんだって言ってた。あのね、誰にも害がないのなら祓わない選択肢もあるんだ。ごめんねマキちゃん。このことは発表どころか、誰にも知らせずマキちゃんの胸の中にとどめておいてほしいんだ」
「……わかった」
あまりに切ないコダマの横顔を見ていると、マキはそれ以上の言葉を紡げなかった。
「ね、マキちゃん」
「何?」
「すっごくおなかすいた」
「……」
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