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第一話「First Love」
夜20時頃、駅のホームで青白い顔をした女が整列して電車を待っていた。
(今日も疲れた。 会社にいるだけでもしんどいのに、電車に乗って帰るのも重労働とは)
時森 芽々、30歳になったばかりの女である。
赤系統の茶髪ボブの長さ、ゆるくパーマを当てている。
顔出ちは突出したものもなく、しいていえば目が人より大きめである。
すっかり疲れ、枯れきった女は肌荒れも酷く、毛穴が黒ずみ血色が悪かった。
点字ブロックの黄色を見下ろしながら芽々はポツリと呟いた。
「価値、か」
その単語は芽々が一番悩んでいるものだった。
会社というものは辞めてくれとは言わず、社員から辞めさせてくださいと巧みに誘導する。
芽々もまた退職するように際どいレベルで言われるようになっていた。
ここにいる価値はあるのか。
そんなにしがみついて、お互いそれは幸せなのか?
円満に終わらせた方がお互い楽になる。
雇う価値ってなんだろうね?
そこまで何かあるのかな?
そうやって中年の管理職は若さを失いつつある能無し女の処理にかかる。
芽々はそのターゲットとして日々追い詰められていた。
(しがみついて何が幸せなのって? 知らないよ、働かなきゃ生きていけないんだから)
少し前までは50代後半の役職のない中年男性が追いやられ、正社員から契約社員、始末書の果てに退職に追いやられた。
しがみついて幸せ?と、笑う上に恐怖を覚えたが自分に向けられるとは思ってなかった。
芽々は人生の岐路に立たされていた。
(転職しようとしてもどこも私を認めてくれない。採用されるなんて夢物語)
「若さを失って、何もない私は社会にいらないのかな?」
鞄からスマートフォンをとると、メッセージが届いていた。
開くとそこに出てきた名前は高校時代の友人であった。
「……里穂から?」
たまにやりとりするだけで、久しぶりに感じる。
芽々は画面をタッチしてメッセージを開く。
『久しぶり!
突然なんだけど黒咲 由利くん覚えてる?』
「黒咲くん!」
出てきた名前に心臓が飛び跳ねる。
懐かしさに表情が綻び、えくぼが浮かんだ。
黒咲 由利くん、高校生の時、好きだった人。
気持ちの高揚した私はニヤつく顔を誤魔化しながら早打ちで返事をする。
『覚えてるよ。黒咲くんがどうかしたの?』
『死んだんだって』
「え?」
目が点になる。
理解がまったく出来ない。
ただの文字の羅列にしか見えなくて、目をパチクリさせた。
『芽々、黒咲くんのこと好きだったから言っておこうと思って』
「え、ええ? ちょっと、わけわかんない」
理解不能すぎて私は衝動的に里穂に電話をかけていた。
数コールで里穂はすぐに電話に出る。
私は食いつくように電話口に吠えた。
「もしもし、里穂!?」
「あ、芽々? 久しぶりー、元気してたぁ?」
「元気……ってそうじゃない! さっきのなに!?」
「あー、黒咲くんのこと? なんか……自殺って報道されてる。意外なんだけど。 あの黒咲くんが自殺って」
自殺? 黒咲くんが?
あんなに明るくて優しい人気者の黒咲くんが?
卒業式のとき、泣いて笑ってみんなで写真を撮った中にいた黒咲くんが自殺?
非現実的すぎて息が止まりそうだ。
「大人になるとどうなるかわからないもんだね。 もうみんなと縁ないからニュースで見てびっくりした」
全国ニュースにはならなかったが、地方のニュースにはなっていたようだ。
同じ名前の同級生。
公開された顔写真は高校の卒業アルバムに掲載された写真だった。
「なんか信じられないね。 知ってる人がもういないなんて」
(うそ、うそだ。 あの黒咲くんが自殺だなんて……)
他人事のように感想を言う里穂に対し、私は動揺を隠せない。
全身が心臓になってしまったかのように熱くて激しく血が流れて、頭が麻痺していく。
嫌な汗が流れた。
「おーい、芽々聞いてる?」
「あ……」
「芽々は黒咲くん好きだったもんね。 あたしよりショックだろーね」
ショックなのかさえわからない。
なんの実感もないのだから。
誰かに言われただけでは、文字をみるだけではわからない。
私の頭の中にはまだ高校生の黒咲くんが笑っているのだから。
「せっかくだしこっち帰ってきたら? 仕事休めない? 久しぶりに会おうよ」
気にかけてくれたのか、話題を変えようとする里穂。
傷に触れようとしない適度な距離感に今は救われた。
「……うん。 ちょっと、会社で相談してみるね」
そして私は電話を切った。
ちょうど電車がやってきたので私はそれに乗り込んだのだった。
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