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「信じる」なんて、ボクには…… (童話)
序
かくれんぼをするうち友だちとはぐれてしまった男の子は泣きたい気持ちをけんめいにこらえて帰り道を探しました。たそがれが空をおおい、はきだめたような霧(きり)が少しづつ濃さをましていきました。
「だいじょうぶさ。ボクにはおまもりがあるもの。小さな妖精さんが、ついていてくれるもの」
男の子はそういうと、ぐっしょりと汗にまみれた手をひらき、オレンジ色のガラス玉を見つめました。ガラス玉は男の子の手のぬくもりで、ほんのりとあたたかくなっています。
男の子は安心したように、またぎゅっとガラス玉をにぎりしめました。
「あれ、なんだろう?」
男の子は森に迷いこんでいましたが、今その奥から不思議な音楽が聞こえてきたのです。
「どうしたんだろう。こわくないや。へいちゃらだよ。あの音のせいかしら。フワフワフワ。変てこりんな、変てこりんな、いい気持ち」
男の子は音楽にさそわれて、一歩また一歩と森の深みにさそわれました。するとそこにはマシュマロのようにやわらかそうな洞くつがあったのです。忘れられたように、そこだけくっきりと霧から浮かびあがっていました。
「なんだろう、これ? この中から音が聞こえてくるよ。どうしようか。のぞいてみようか?」
男の子のうたがいの気持ちは、聞こえてくる音楽のために、とけてなくなっていたようでした。
男の子が中に入ると洞くつの入り口は、かすかな音さえたてずに、ゆっくりとしまっていきました。
1
山深い森の奥にはたいていおばけが住んでいます。人喰いおばけのパクパクも、やっぱりそこに住んでいました。
「あー、おなかいっぱい。ねむたくなっちゃたなぁ」
大きくのびをするとパクパクはいいました。
パクパクはもうずいぶんと長いこと、この森に住んでいました。どうして生まれたかは知りません。どうしてこの森に来たのかも知りません。おとうさんおばけや、おかあさんおばけが、いたのかどうかもわかりません。けれども、だれに教わったわけでもないのに、自分が人喰いおばけであること知っていました。パクパクという名前だということも知っていました。人――といっても、いまではほとんどが道に迷った子供でしたが、その昔は、役にたたなくなって捨てられたおばあさんたちもいたんですよ――のおびきよせかたも、食べかたもパクパクはちゃんと知っていました。いままでにいったい何人の人たちを食べてきたのかまでは、さすがに憶えていませんでしたが……。
霧はもうすっかり晴れ上がっていました。
「あれ、ヘンだぞ! おなかがゴロゴロする。さっき食べた『えもの』が、よくこなれなかったのかなぁ?」
パクパクは口をあけると、のどのおく、胃ぶくろのところまで手をのばし、そのあたりを探ってみました。
コロン……
なにか丸いものが手にさわります。つかんでとりだすと、それはオレンジ色のガラス玉でした。岩のふちからわきでる水でよく洗い、パクパクはそれを月の光にかざしてみました。
「ふうん。またいつものように、子供の宝ものか!」
いままで何人もの子供を食べて、子供たちがそれぞれ、いろんな宝ものを持っているのに、パクパクなれていました。困ったことにのどに引っかかる、さびてまがった釘があったり、きれいな貝がらや、すべすべした石、それにおもちゃのかけらなどがありました。ある子供など生きたままカブトムシを、そのままポケットに入れて持っていたものです。
「そしてこれも、ボクのコレクションのひとつになったわけだね」
パクパクはオレンジ色のガラス玉を自分のすみかであるカシの大木の、けずりだしの棚の中におさめました。
「ふわぁ、すっかりねむくなっちゃたなぁ」
あけはなたれ窓の外、大あくびをしたパクパクの目に、いくつかの星のかたちがうつりました。星はいつものように、にこりともせず光っていました。
「はくちょうさん、あんたはちっともあいそなし。みなみのうおさん、そんなにお水はおいしいの?」
パクパクは人間を食べることに少しのうたがいも持っていませんでした。なぜって、それがパクパクにとって、あたりまえのことだったからです。パクパクはその日いち日を思いかえしてみました。ひさしぶりに子供を食べたほかには、これといって変わったことはありません。そして今も、いつものようにしんとして時はただ静かに流れていくばかりです。
パクパクはベッドに横になると誰にともなく、
「おやすみ!」
といいました。
2
色が、見えるものすべてをなめるようにとりかこんでいました。
「これは夢かしら……」
パクパクは思いました。
色は広がって、ゆすられなければ動くはずのない木々や、古めかしいけれどもがっしりしたたてもの、湖の水などを埋めつくしてゆきました。赤? それほど濃くも激しくもありません。青? 青なんてとんでもない。そのとき色には、わずかばかりの冷たさもありませんでした。
「オレンジだ!」
そう叫ぶなり、パクパクは目を覚ましました。ベッドから飛び起きるまでもなく、パクパクには部屋全体がオレンジ色に染められているのがわじかりました。ついさっきまでの夢の中で描かれていたように重くるしいものではなく、淡く素敵に清らかな感じのする色あいです。
「あのガラス玉だ!」
パクパクは思い当たりました。そして事実、部屋をうっすらと照らすその光りのみなもとは、けずりだしの棚に置かれた男の子のガラス玉だったのです。
ピカッ!
ガラス玉がひときわ大きく輝きました。
するとガラス玉の内がわに小さな小さな女の人の姿が浮かび上がりました。その姿がはっきりしてくるにつれ、部屋をおおったオレンジ色の光は、ひく波のように、うすらいでゆきました。
「…………」
目覚めた妖精は、ねむそうにあたりをきょろきょろすると、パクパクを見つけて不思議そうにかわいく首をかしげました。
「あなたはだあれ?」
妖精はそっとささやくと、むずがゆくなるくらい、パクパクのかおをじっと見つめました。
「わたしは、小さな男の子に拾われたはず……だったけれど?」
妖精はまだ首をかしげています。
パクパクはというと、しばらくの間、びっくりして口もきけませんでしたが、すぐに気をとりなおすと妖精に答えていました。
「ボクはおばけ。もう何百年もここに住んでる。『えもの』がいないと旅をすることもあるけど。パクパクっていうんだ。よろしく」
パクパクの声ははずんでいました。妖精のことを見つめます。けれどもすぐに目をそらしてしまいました。
「そう、あなたはパクパクさんていうの。こちらこそ、よろしくね」
妖精はにっこりと微笑むと、パクパクにペコリと頭をさげました。それから少し考えるとパクパクにたずねたのです。
「パクパクさん、あなた、小さな男ノ子のことを知らない? この前目が覚めたとき、わたしは、男の子に拾われていたのよ」
「あんたの入ったガラス玉を宝ものにしていた男の子のこと?」
「そうだと思うわ」
「ああ、その子だったら、たべちゃったよ。ボクは人喰いおばけだもの。いまごろはボクのおなかの中で栄養になってる」
しばらくの間は、何も起こりませんでした。
「ヒ・ト・ク・イ!」
ひとたび粉々に砕け散った言葉が、再び組みたてられるくらい時間がたったころ、妖精の口からコトバのひとしずくがこぼれおちました。
妖精のかおが、みるまに青ざめてゆきました。ガラス玉の中にとらえられた小さな体がブルブルふるえ、目をつりあげてパクパクをにらんでいました。さっきまでの、あどけない、やさしい面かげは、もうどこにも見つけることはできませんでした。
3
「子供たちは天使なのよ。清らかで、何人たりともおかせないものよ」
長い長い沈黙のあと、妖精は怒りと悲しみを爆発させたようにしゃべりはじめました。
「それをたべてしまっただなんて、よくもそんな口がきけたわね。ろくでなし! あんたなんか、おそろしい狼のキバにかかって死んでしまえばいいんだわ」
「どうして、そんなにおこるの? どうして、そんなにおどろくの? ボクにはわかんないよ!」
「まあ、わからないですって、なんてことでしょう」
妖精の手は、わなわなとふるえていました。
「それは、数多い子供たちの中には悪い子だっているかもしれない。いいえ、いるでしょうとも、きっと。しょうのないいたずらもので、おとうさんや、おかあさんを困らせてばかりいる子供だって……」
(カマキリの目を針でつつく子供たちは? ちょっぴり手かげんしてセミを壁に投げつける子供たちは?)
「……でも、その子たちでさえ、朝から晩まで、いっときの休みなく、だれかれかまわず、悪さをしてやろうなんて思っているわけではないわ。ときには手を合わせてお祈りするでしょう。いけないことをしました、ごめんなさいって『ざんげ』の声がきこえてくる。どこにいたってほんのちょっぴり耳をすましさえすれば」
妖精は遠くを見つめるようなしぐさをしました。はるか昔から自分が生きている時間に出会った、さまざまな人たちのことを思いだしているようでした。
「わたしはしっている。わたしは何人もの子供たちに拾われたわ。子供たちばかりでなく、いくにんもの汚れなき大人たちにも拾われた。若い詩人さんがいたり、年とった絵描きさんや、仕事ができなくなって子守りだけが生きがいのようなおばあさんに拾われもしたわ。
その人たちは、弱い人たちなのかもしれない。もしかしたら人間の社会においては、ただのやっかいものなのかもしれない。でも、その人たちはみんな素直な心を持っていたわ。そうよ、素直な心こそ、いちばん大切なものなのだわ。……そして素直な心を誰でも間違いなく持っているもの、それは子供だわ!
素直な心は、どんな子供でも持っている、子供たちの宝だわ。エメラルドよりも尊い、どんなものよりも清らかなもの。――あなたは、それを踏みにじったのよ!」
「ヒトゴロシ!」
妖精は最後にそう叫ぶと両手で顔をおおい、激しく泣きはじめました。
パクパクは泣きくずれた妖精に何と声をかけたらよいのか、わかりませんでした。この様子からするとパクパクが何をいったところで、きいてくれるはずはなく、さらに激しく泣きはじめるか、自分に向かってののしりの言葉をあびせかけるばかりだろうと、パクパクは思いました。
(ボクがボクの『えもの』をたべると、どうして、スナオなココロをふみにじることになるの?)
パクパクは心に思いました。パクパクは、静かに悲しみました。そして思い出しました。おそろしさと淋しさではちきれそうになった人たちに向ける自分の音楽のことを。パクパクの『<えもの』となるものたちは食べられて意識を失うその瞬間まで幸せな気持ちになっているのです。幸せになって、うたがう気持ちをすっかりなくしているのです。うたがう気道を持たないってことは、たぶんスナオなココロを持っているということです。この二つをはかりにかけたら、いったいどちらが重たいのでしょう? それとも、この二つは決して比べることのできないものなのでしょうか? パクパクには、わかりませんでした。
「そういえば、おもいだしたよ」
とほうにくれたパクパクは自分でも気づかずに、しゃべりはじめていました。
「ずいぶんまえに、きいたことがあったっけ。あんたみたいな、ようせいのはなしを。あんたたちは『えもの』をつかまえなくたっていいんだ。なぜって、だれでもいい、あんたたちを信じてくれる人がいさえすればいいんだから。そうすれば、あんたたちは生きていられる。スナオなココロって『信じる』のこと? だれかが信じてくれれば、それが『栄養』になるなんて……。
「信じる」なんて、ボクには食べられないよ!」
4
気まずい静けさには、いつしかたえられないときがくるものです。
(ちがうものに生まれていれば、よかったの?)
パクパクの心の中に、ふとそんな思いがよぎり、すぐにかすれ、消えてゆきました。できないことは、のぞむべくもないことに、パクパクの心は重く沈みました。妖精は、まだ泣いています。パクパクはガラス玉と妖精の顔とを黙って見つめると、それらをそっと自分の頭の中から負いはらいました。
パクパクは決心したようでした。
パクパクはゆっくり立ちあがると、のろのろと妖精の方に近づいてゆきました。その影の動きに気づいて妖精がはっと顔を上げるとパクパクはすばやくガラス玉をつかみ、力いっぱい、窓の外、星つぶてに向けて放り投げました。
「さよなら! キミののぞむ人にひろわれなよ」
そう叫ぶパクパクの目には、いまにもこぼれおちそうな大つぶの涙が光っていました。
(もう、おなじ日は、こないかもしれない)
すでにガラス玉の消えてしまった空の一点を見つめて、パクパクは、そう思わずにはいられませんでした。(了)
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