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第11話 虫なんて食べたくない
アランの家は、見かけ通りにこじんまりとしていた。広さでいえばワンルームマンションに毛が生えた程度。ただ二階があり、そこではジョンが暮らしているのだという。ジョンは野良男だと思っていたが、一緒に住んでいるようだ。
涼子達は一階にある部屋のダイニングテーブルを囲んでいた。殺風景な部屋でいかにも若い独身男子が住んでいそうな部屋だった。テレビやパソコンはないようで、その点は日本よりも技術的が遅れているようだったが、他は特に問題もない。部屋もインテリアなどで全く飾り付けてはいないが、よく掃除もされていて綺麗な部屋だった。
「とりあえず、自己紹介でもしようじゃないですか」
アランは笑顔で言い、ダイニングテーブルの上にジュースが入ったグラスをおいた。
「これ、虫は入っていませんよね?」
綺麗な橙色のジュースだったが、思わず疑ってしまった。
「大丈夫だって。普通の木の実のジュースだよ。俺が働いてる隣町のスーパーで買ったもんさ」
それを聞いて涼子は安心してジュースをのんだ。ボード家で飲んだジュースに味とよく似ていてホッとした。
「っていうか、何でそんな虫が嫌いなんだ? 俺は好きだぜ」
ジョンは空気を読まず、ドヤ顔していた。ジョンの膝の上にはモコが乗っていた。アランによるとこの動物は、聖獣といい、この村で大事にされているという。ペットとして飼っているようで、日本でいう犬に近いようだ。いや、犬よりもっと人懐こいようだったが。
「ま、俺から自己紹介するぜ。俺はジョンという。アランとアシュリーとは幼馴染だ」
「うちら同学年で仲良しなんだよ」
アランはニコニコと笑いながら、ジョンの言葉に頷いていた。一方は野良男と、一方は顔色が悪いイケメン。涼子はこの二人にどんな共通点があるのかさっぱりわからなかったが、子供の頃から仲良しだという。いわば幼馴染のようなもんだと理解した。
「好きな食べものは、イナゴと蜂の子、それに蝉の幼虫だ」
「気持ち悪いよ、何で虫なんて食べているんです!?」
好きな食べ物に昆虫食をあげるジョンにドン引きだった。アランは顔色が悪いが、ジョンと一緒に暮らしているせいじゃないかと思い始める。
「この村は事情があって10年以上前から、昆虫食なのだよ」
「えー? ジョン、一体どういう事?」
長い伝統のある食文化で、そのせいで昆虫食が根付いているかと思ったが、ジョンの話によると案外歴史は浅いらしい。
「っていうか、あんたも自己紹介しな」
ゴリラのようなルックスのジョンに睨まれ、涼子はしぶしぶ自己紹介をした。アシュリーからあらかた事情を聞いているのか、日本から異世界転移したと言っても特に不思議がられなかった。
「俺はアランだ。隣の町で配送業の仕事をしてる。死んだ爺ちゃんが日本人だったみたいだが、ここから日本に帰る方法は、ちょっと調べてみるよ」
「え? いいんですか?」
涼子は思わず身を乗り出す。ジョンはどう見ても変わり者っぽいが、アランは優しい人のようだった。
「うん。隣町に住んでる親とか爺ちゃんが残した日記や本などを見てみるから」
「アラン、こんなクソガキに優しくする事ねーよ。昆虫食の魅力も全くわかっちゃいないぞ」
「アラン、ありがとう!」
涼子は胸がいっぱいになり、思わずアランに頭を下げてお礼をいった。ジョンの言う事など無視だ。
「まあ、普通の人に昆虫食は受け入れられないって。これには事情があるんだよ」
この村に来て初めて自分の気持ちに共感してくれるアランがいる事に嬉しくなってきた。
「ところで何で昆虫食? どういったわけでこんな食生活なんですか? 元いた日本でも昆虫食はあったけど、環境問題が原因みたいだけど」
思い切って一番の疑問をぶつけたが、二人は顔を見合わせて苦笑していた。
「実はね……」
アランは、落ち着いた語り口で事情を説明してくれた。10年前、このクリケット村で飢饉と疫病がおきた。当時は農作物や酪農をやっていた村だったが、伝染病も広がり人がいっぱい死んだ。そんな時、この村の聖女・レベッカが神託を受け取る。「昆虫を食べれば疫病や飢饉がおさまり、村に平和が訪れるでしょう」という神のお告げだった。
確かに村人は反発していたが、ボード家や村長一家が積極的に昆虫食を推し進め、昆虫ファームを作ったら、疫病や飢饉、伝染病もなくなったという。村人もだんだんと昆虫食を受け入れ、今に至るらしい。
そういう事情だったのかと涼子は納得する。この村は確か日本文明速度は遅くないが、変な宗教を信じていたり、聖女が病気を治している。その点についてはかなり遅れているので、聖女の神託とやらを鵜呑みにしていてもおかしくはない。昆虫食が宗教と関係あるかもしれないという予想は、当たっていたようだった。一種のマインドコントロール、洗脳状態なのかもしれない。
昆虫を食べないと飢饉や疫病があると怖がっていると思えば、あんな不気味なものを有り難がっていても不思議ではない。アシュリーやルースが精神疾患という予想も立てていたが、当たらずしも遠からず。高校のクラスメイトでは強迫的に手を洗ったり、何度も忘れ物が無いか確認してしまう子もいたが、メンタルクリニックに通っていた。
アランによると、隣町のスーパーや農家に行けば虫以外の食糧は簡単に入手できるらしい。涼子は思わず拍子抜けするが、この村では再び飢饉や疫病、伝染病が広がるのが怖くて昆虫が主食になっているという。酷い洗脳っぷりに涼子は思わず顔をしかめる。
ちなみに果実はこの国では豊富で採れるし、昔から根付いているジュースは変わらず飲まれているらしい。
想像以上に原始的、かつ呪術的な村の食生活にため息が溢れそうになる。日本のおにぎり、饅頭などの起源は宗教や信仰に関係があるという説も見た事があるが、この村の昆虫食もそれより酷くなったという事だろう。
「それにしてもジョンは、好きで昆虫食べてる感じがするんだけど?」
頭に浮いた疑問をジョンに聞いてみた。
「うん。俺は子供の頃からイナゴやセミに幼虫が好きだったんだよ。10年前、みんなバタバタ死んでいったけど、俺は普通に健康だったね」
「ジョンは死んでも死ななそうだろ?」
アランは、そう言って苦笑しつつ、キッチンから瓶を一つ持ってきた。
瓶の中には、青汁の粉のようなものが入っていた。さっきまではヘラヘラ笑っていたジョンだったが、この瓶を見たら怖がり、涙目でモコに抱きついていた。
「ぎゃー、俺はこのグリーンパウダーが大嫌いなんだよ!」
「きゃん、きゃん!」
モコもこれが嫌いなのか、吠えている。
「これは何? 青汁か何か?」
「これは青汁じゃない。グリーンパウダーという。10年前から国が配布してくれたものだが、首都の金持ち達が残した残飯をフリーズドライして粉にしたものだ」
「いやぁ、何それ」
それは虫より気持ち悪かった。おそるおそる瓶の中見を嗅いでみたが、吐瀉物と硫黄の匂いがした。とても人の食べるものではない。動物のモコだってこれは食べないと思う。
「この国は貧富の差が激しいんだよ。俺は医者だが人の不幸で貧乏人から金をむしり取る気がしなくてな」
「だからジョンは良心的な値段で医者の仕事もしてるんだよ。この国は平等な保険制度のようなものは、無いんだ」
そんな説明を聞かされると、ジョンは根っからの悪い人物には見えなかった。
「でも、私は虫もこのグリーンパウダーも食べたくない……」
ジョンからモコを取り上げて、思わずぎゅっと抱きしめてしまう。
「虫なんて食べたくないです」
弱音というか愚痴をこぼしても仕方がないが、悲しくなってきてしまう。こんな事情があるのなら、異世界ライトノベルのように、日本食を作って無双するのも気が引ける。自分は料理好きだが、別にプロの料理人でもない。「夏の虫、氷を笑う」という言葉がある。夏だけ生きる虫は、氷を知らない癖に笑う事を言う。転じてプロでも無いものが偉そうにするのは恥という意味で、今の自分も料理は特技にならないとも思う。
精神疾患と似たような心を持ち、怖がりながら昆虫を食べている人達に「それは違う!」と偉そうに言うのもダメな気がした。事情を知ってみると、同情しか生まれない。でも虫は食べたくない。このグリーンパウダーも食べたくない。だったら、どうすれば?
「お金を稼ぐしかないな。金を持ち隣町に行けば普通の食材が手に入る」
「でも仕事なんて……」
アランが言うように仕事をするのが一番の解決策だったが、体力だけが取り柄の女子高生に何の仕事があるのだろうか。
「でも私は力仕事だったらできる!」
マイナス思考になりかけたが、逆に言えばスキルが必要ない仕事はできる。全くへこたれていない涼子を見たアランは、ちょっとビックリしたように目を見開いていた。
「ほー。じゃあ、俺の仕事を手伝ってくれよ」
ジョンは逆にちょっと小馬鹿にしたような視線を涼子に向けてきた。
「仕事って何やってるの?」
「これでも俺は一応医者だからな。村の具合が悪い人を診てるんだ。ま、うちの親や聖女のようにお金をぼったくったりはしないが」
ジョンが医者というには意外だったが、今は他人について文句は言えない。しかもジョンは医者として、昆虫食はアレルギーを引き起こしたり、寄生虫に身体を食われたり、不妊になるかもしれないと恐ろしい事を言っている。医者としてそんな情報を知っていても昆虫を食べているなんて、ジョンはよっぽど虫が好きなんだろう。
「ジョン、医者でもない涼子が出来る仕事なんてあるのかい?」
アランは心配そうな表情を浮かべていた。この中では一番常識人のようだった。顔色が悪い事が気になるが、これは昆虫食やグリーンパウダーで栄養不足になっている可能性も十分ありそうだった。
「うん、涼子にはサミーばあちゃんの所に行って様子を見に来て欲しい。あと、薬も届けてくれるとありがたい。ミッションを達成したら、肉か野菜を一週間買える賃金をだそうか。どうだい? やるか?」
サミーばあちゃんと聞いてアランは一瞬嫌そうな顔をしていたが、このチャンスを逃すわけにはいかない。一寸の虫にも五分の魂という言葉がある。ちっぽけな虫でも、根性があるから侮るなという意味だ。今の自分もちっぽけで無力だけど、体力と根性はある。
「やるわ!」
少しも考える間もなく、即答していた。
「オッケー、任せたよ」
ジョンは腕を組み、うなずいていたが、アランは渋い顔だった。その表情に不安が無いわけでもない。よく考えれば、リスクがある事かもしれない。それでも、このチャンスを逃すわけにはいかなかった。
その動機はただ一つだった。
やっぱり、虫なんて食べたくない!
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