1‐A 疑

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1‐A 疑

 その人のホームページが更新されなくなってから、もう一ヶ月以上が経っていた。  とても気に入ったページだった。基本構成はシンプルで、絵画を中心に組まれていた。その絵画は――おそらく彼女が自分のパソコンで描いたものだろう――見る人の深層心理を刺激するような奇妙なインパクトをぼくに与えた。くすぐるような、それでいて怖いような、けれども陽気なような、しかし咽が乾くような、ネットサーフィンをしていてそのページを見つけたのはもちろん偶然だが、遠い海を漂流していたぼくが、海難救助隊のぼくを発見したような、そんな込み上げるような感情を、出逢ったぼくに与えてくれた。  ページの作者が女性らしいことは、その人の自己紹介を見て知った。もっとも、WWW(ワールド・ワイド・ウェブ)は匿名性が売りものだから、彼女が本当に女かどうかはわからない。自己紹介ページに載っていたjpgの髪の長い写真も、だから本人かどうかは断定できない。涼しげな目をした、どちらかというと可愛らしい感じのポートレイトはまるでハイティーンのように感じられたが、同じページに記載された生年は、彼女が二十四歳だと告げていた。  比較的まめにページを更新する人だった。二週間に一回か、長くても一ヶ月に一回はページのどこかを変えていた。いくらかストックがあったのだろうが、メインで六枚あるパソコン画のページも一月おきに替わっていた。  はじめてアクセスしたとき、春先から設えられたカウンタは、まだ二〇〇をやっと越えたばかりだった。だから初夏にそのページと出逢ったぼくは、比較的初期の訪問者だったということになる。それから半年近く過ぎ去ったが、ぼくは結局彼女にE‐mailは出さなかった。ただ月に一回か二回、更新された彼女のパソコン画と、たまに更新されることもある彼女自身の写真を見に行くくらいで満足していた。  そのページが更新されなくなるまでは……  前回にページが更新されてから、すでに約五週間が過ぎていた。人それぞれ都合というものがあるから、ホームページの更新に経験則が成り立つという保証はどこにもないが、ぼくの中には疑念が生じた。人は、たいてい己の法則によって生きているからだ。  一ヶ月と一日目、ぼくはただ首をかしげただけだった。  一ヶ月と二日目、ぼくはもう少し首をかしげた。  そして、一ヶ月と七日目、ぼくはなんとなく彼女のページの構成を調べてみる気になった。  それには理由があった。その二日前に、友人の通称<悪党>から新種のftpクライアントを受け取っていたからだ。ftpクライアント・ソフト(ftp)とは、自分のパソコン(ローカル)からインターネット・サーバのコンピュータにホームページの材料を送るソフトのことだ。パソコンのOSはたいていがウィンドウズ――というと怒る向きもあるので、OSⅡまたはTALKまたはTRONなど――でサーバはUNIXだから、違ったOS間でファイルのやりとりを簡単に行うためには是非とも必要なソフトだった。  ftpでは他人のホームページ構成を覗くことができる。もちろん、それはサーバの種類や基本設定によってできたりできなかったりもするのだが…… またできた場合でも、覗けるのはファイル名だけのことが多い。もっとも、それは当たり前で、それ以上覗きたい場合、あるいはそのディレクトリに何かファイルを転送したり削除したりしたい場合は、そのディレクトリを所有する人間のID番号およびそれと組になったパスワードが必要となる。どんなftpでも、通常後者を実行することは不可能だ。が、悪党のソフトにはそれができた。既知のIDからサーバ内を検索して関連ファイルを捜し出し、そのIDを持っている人間が犯したキー・ミスからパスワードを推測する、という機能が備わっていたからだ。もっとも、その機能は必ずしも働いてくれるとは限らない。それに、もしもバレたらヤバイことになるそんな機能を、いつもは必要以上に臆病なぼくが使うわけがなかった。  悪党のftpによって得た、サーバの彼女のディレクトリにある全ファイルと、ホームページの一枚目(表紙)から(経路はともかく)ローカルリンクで辿り着けるファイルとの照合を、ぼくはまず最初に行った。もちろん、これらは必ずしも一致しなくてよい。たとえば、ページに飾っている画もしくは写真すなわち画像ファイルを更新するとき、違う名前でファイルをサーバに転送し、それを呼び出すページ上の名前は書き換え、前のファイルを消去しなかった場合、どのページからもアクセスできない画像ファイルがディレクトリ内に残されることになるからだ。しかし、その画像ファイルの名前さえわかっていれば、それをieやネスケやグーグルなどのブラウザで覗くことはできる。  とにかく、ぼくは結構階層のある彼女のページをいちいち巡り、そこから辿り着けないいくつかのファイルが、サーバのハードディスクの彼女のディレクトリ内にあるのを見つけた。それらはみな画像ファイルだった。もちろん好奇心から、ぼくはそれらすべての画像ファイルをブラウザ上に呼び出してみた。それらは彼女の痴態を晒した淫らな写真集だった。  全部で六枚あった。よく見ると、同じ姿態を別角度から撮った写真だということがわかった。前、横、後ろ、それぞれ六角形の頂点から写したようだ。彼女ひとりだけの全裸写真で、男、女、獣、あるいは他との絡みはなかった。  写真の<女>は恍惚の表情を浮かべていた。その顔は、たしかにぼくの見知った彼女の顔だったけれども、しかし、それが本当に彼女かどうかはわからない。誰か体型の似た女性の該当位置に彼女の顔を嵌め込み合成(コラージュ)したものかもしれなかったからだ。だがそうすると、そんな手の込んだ――なにしろ六方向からの写真なのだ。しかも恍惚の表情まで浮かべている!――ことを行い、パスワードを盗んで彼女のディレクトリに画像ファイルをアップした犯人は、あきらかに変質者ということになる。けれども彼女自身がその写真を撮ったのだとすると(ポートレイト自体が嘘という場合はひとまず置いて)、いったいどういうことになるのだろうか?  もちろん自動シャッターを使えば、ひとりで写真を撮ることは実行可能だ。かなり面倒ではあるけれども…… 彼女の他に写っていたのは淡いベイジュ色の絨毯だけだったが、方向によって背景に鉄骨や窓の下枠部分が見えたので、廃ビルが撮影現場だったのかもしれない。普通に考えれば、彼女がそういった趣味の持ち主で、やはり同じ趣味を持った彼女の恋人かマスターあるいはスレイブ(たち)が撮影した写真と判断するのが妥当なところなのかもしれなかった。インターネット上には、わりとよくいる可愛い魔性のものたちだ。そして、撮影者の彼または彼女が、彼女が知らないうちに、あるいは了解を得てそれをアップした。そういう解答も可能だろう。  だが、ぼくは違うと思った。理由はない。強いて挙げれば、そう思いたくなかった、ということになる。  ぼくはそれら六枚の写真をヴィデオプリンタでプリントアウトすると、いつでも見られるように手帳の中に挟んでおいた。  そして、一ヶ月が過ぎ去った。
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