一緒

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一緒

 頼くんの言葉に、龍平は罰が悪そうに距離を取った。ベッドに横たわるのは彼の母親だ。本来ならうるさくするなと注意する立場であるとやっと気づいたのだろう。醜態を晒し、罰の悪そうな顔をしている。   彼は再び頼くんが首に下げている社員証に目をやると、軽く引っ張って裏表交互に返し見た。    「……道光製薬の町田頼久ね。ふーん、覚えておくよ。週明けにおまえの席があるといいな」     龍平はニヤリと口の端を歪ませた。  何でも自分の思い通りにできると思っている、そんなところが大嫌い。   「入籍すれば頼くんには手を出さないんじゃなかったの!? 」   「気が変わった。気に入らないからどっちにしろおまえの居場所を奪うことにした」    そう言うと、彼は自分よりやや背の高い頼くんの額を指先でツンとつついた。頼くんは急に詰められた距離にわずかに後退したが、瞳は真っ直ぐに彼の目を見ていた。   「何か?」   「今からおまえの製薬会社にクレームを入れる。おまえんとこの社員が顧客であるオレに失礼な態度を取ったうえに、オレの婚約者と親密な関係であるってな」     仕事の面を持ち出され、頼くんは眉根を寄せた。    「一夜を共にした証拠がないと、民法でも不貞で訴えて勝つことはできませんよ。そもそも、僕たちは学生のときが最後で、あなたが思っているようなことは一度もしていませんけどね」   「やだなぁ、そういうのが目的じゃないぜ? オレの目的はあくまで、おまえたち親子の生活を脅かすことだ。おまえは営業から、いや会社から退いてもらう。寺田病院の発展に邪魔になる奴はクビなんだよ!」    ほんの少しの空調の音が聞こえるだけの室内に、龍平の声は大きく響き渡った。同室の患者たちは空気を読んでか、未だ物音ひとつ発さなかった。  ただひとり、龍平の母を除いては。   「もー、龍ちゃんてば~! 人ひとりの進退くらいでどうにかなる経営状態でもないでしょう!」    彼女は頭を枕につけたまま、お腹を抱えてゲラゲラ笑っている。    |(どうしてそんなことが言えるの? 会社にとっては組織の一部に過ぎないけど、社員それぞれに人生があるのに)    そもそもどこかへ逃げてしまいたいと言ったのは私だ。頼くんは私に協力してくれただけで、仕事を解雇されるようなことはしていない。彼まで責任を問われる必要はない。   私は何も言うことができずに足元を見つめた。誰の力にもなれない自分が情けなくて、頼くんの顔を見ることができない。   「……進退ね」    重い沈黙を破り、頼くんが言葉を発した。   「俺は別に今の会社に固執してる訳じゃないよ。拾ってくれた恩は感じているけど、退けと言われたら席なんか譲ってあげる。それより……優月の気持ちが知りたい」     聞き慣れた低い声に、私はハッとして顔を上げた。   「私の……?」    彼はうん、と頷くとやんわりと微笑んだ。   「仕事なんて何とでもなるよ。人手が足りてない業界に就業すれば今より役に立てるだろうし、それもいいと思う。でも俺は、俺の力では……君の心まで操れない」    頼くんは真剣な眼差しで私を見つめた。   私はゴクリと唾を飲み込む。   「俺は君に俺のところへ来て欲しい。俺の家で俺と大和と家族になって欲しい。本音を言えばあのときのように恋人同士がするようなことも色々したいし、大和に兄弟を作ってあげたい」   「兄弟って……」    唐突に深い交わりを仄めかされて頬が染まる。  逃避行は夢のように一瞬だったが、私たちの間にたくさんの想いと確かな温もりをくれた。   「でも、龍平さんが金銭的に安定しているのは事実だろう。彼といればほぼ一生衣食住に困ることはないし、それってすごく恵まれていることだろう。俺は君が彼を選ぶのなら、それはそれで応援するべきだとも思うんだ」    頼くんは憂いだような眼差しでそう述べた。   どことなく物悲しく苦しそうで、ぎゅっと胸が締め付けられる。    「私の、気持ち……」    以前にも見たことがあるような気がした。いつも凪いでいて頼りがいがある彼の、切ない胸の内。        私たちがまだ十代だったころに遡る。  クリスマスをひとりで過ごすのが嫌でふらっと大学に立ち寄った。その年のクリスマスイブは平日だったから、カフェや学生課、図書館は開いていた。サークル棟からは賑やかな笑い声があちこちから上がっていた。  図書館からいくつか本を借りて、カフェテリアの窓際の席を陣取った。一列に並んだカウンターチェアに、他の学生と同じように腰を据える。イヤホンをして、ずっと気になっていた英国児童文学の本をめくった。  けれど私が空想世界に浸ることはなかった。   「誰かいないかなって来てみて正解だった。ちょっとだけ俺のために時間をくれないかな」   「牧野くん……?」    思いがけず頼くんと出会ってしまったから。     階段を駆け上がってきたのか、彼は息があがっていた。頬は上気して赤く、何故か潤んだ瞳をしていた。   「どうしたの? そんな急いで」    咄嗟にそう言うと、彼は息も絶え絶えにますます視界を滲ませた。    「……半澤さん」    頼くんは涙声で私の名を呼んだ。   いつも私を引っ張って前を向かせてくれる彼が、見たこともない表情をしていた。私がいないと生きていけないような、か弱いオーラを全開にしていた。    その姿に呆気に取られていると、彼は隣の椅子を引き、元あった位置より少し距離を縮めて腰を下ろした。肩と肩が触れそうな近さに、驚きと嬉しさが溢れた。    クリスマス直前に付き合っていた人にフラれたのだろうかと思っていた。  彼の口から彼女の話を聞きたくなくて女の子の話題を避けていたから、いるのかどうかも分からなかったけど、ついに自分の番が回ってきたのかもと期待に胸が弾んだ。    しかし、ポツリポツリと話始めたのは女の子の愚痴ではなく彼の実弟のことだった。   「俺の弟、浮気されてるんだ」                
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