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離島
脱衣所に素っ裸で立ち尽くしてしまい、慌ててバスタオルを胸から下に巻き付けた。
最後の記憶では私の秘めた片思いだったのに、二人で逃げてしまうくらい彼に愛されていたのだと思うと、心が華やいで止まない。
どんな生活を送っていたのか、何を語り合っていたのか、現実味のわかない過去の秘密に、高鳴る胸を抑えきれない。子どもがいる時点で察するべきだと思うのに、どこか現実味がなかった二人の関係。それがどんどん露になっていく。
信じられないのに嬉しい。頼くんの世界にも、ちゃんと私が存在していたんだ。
『行ってみる?』
『え……』
『意外と近いとこにあるんだよ。平日休み取れる? 大和は保育園だから二人で出かけないか?』
『え……!?』
『教えてあげる。俺がどんなに君を好きなのかを』
婚約者の龍平以外の男性と出かけるなんて論理的にどうかと思うけど、跳ねる気持ちを隠せなかった。
私は頼くんの誘いに元気に承諾の返事をしてパジャマに着替えた。今シーズン初めての厚物をひっぱりだし、ノルディック柄の可愛いデザインのパジャマに久しぶりに心を踊らせた。
そして二週間後の十二月初旬、電車と船を乗り継ぎ、三時間ほどで関東の北部にある小さな離島に到着したのだった。
異性と二人きりなところを見られると何かと不都合と言うと、もしものことを考えて友人を呼んでくれた。大学時代よく話していた共通の友人たちだった。
「優月じゃん! うわー! 久しぶり! 全然変わってないね」
「頼久と消えてから音沙汰ないから心配してたんだよ。こいつだけ戻って来たってむさ苦しくてたまんねぇじゃん。やっぱ女の子がいないと華がないからさぁー」
「悪かったなむさ苦しくて」
頼くんをむさ苦しいと感じたことはないが、その場に合わせ笑い声をあげると、私の態度に気づいた一人が、気を遣って優しい言葉をかけてくれた。
「半澤さん、何も覚えてないんだって? 今は難しいかも知れないけど、そんなに気にする必要はないよ。頼久は駆け落ちする前から半澤さんしか見えてないし、こいつと話していれば近いうちにきっと思い出すよ」
旧友はそういうと、私を励ますように明るい笑顔を向け、頼くんは照れを隠してそっぽを向いた。
彼の話では、大学四年生のゴールデンウィークから半年以上の間他者との関わりを持たずに暮らしていたらしいから、彼らにも相当迷惑をかけたことだろう。にも関わらず、前と変わらず接してもらえることには感謝しかない。
|(私の知らない間も、優しい世界が広がっていたのね)
龍平との関わりの中ですっかり蔑んでしまった心の中に、暖かさが戻ってくる。
頼くんも友達との久しぶりの再会に話を弾ませ、今の近況や昔話に花を咲かせている。懐かしい賑やかさにほっと心が凪ぐ。
|(いいなぁ……やっぱり落ち着くなぁ。もう一度こっち側へ来たいなぁ……)
みんなでいるとまるで学生の頃に戻ったみたいだった。もう二度戻れないとは分かっているが、楽しさを分けあった友達や心を許した頼くんといるのは、今となってはこの上なく贅沢なように思う。
「ありがとう。こちらこそ、何か私にできることがあれば言ってね。私ができることなら何でも協力するから」
忘れている期間の労をねぎらうと、何故か頼くんが振り向いて私達の話に混じってきた。
「何でもって、誰にでもそういうこと言わない方がいいと思うよ? 勘違いして好意を持たれてでもしたら面倒なことになるんだから」
「なんねぇよ。それは頼久だけだろ」
「何でもからよくないことでも想像したんじゃない? ほら、こいつ意外とむっつr……」
揶揄されて頼くんは少しだけ耳を染めると、「そんなことないだろ」と納得していないようにポツリと溢した。
島には私が思っていたより住民が暮らしており、島の玄関口である港から中心部の方角とは反対側へ行き、深い森の中の奥まったところに目的地の家はあった。
日が影れば写真のように薄暗くなったが、日が当たればまぶしい光が森の中に降り注いだ。そのまままっすぐ進むと十分もしないうちに海へと抜けることができ、隠れ家でありながら利便性の良い秘密基地のようでもあった。
「なるほど、住むには不便そうだな」
「そりゃあ秘境だから」
「絶対虫とか出るでしょ。あたしホント無理なんだけど」
「あなたとは寝ないから大丈夫です」
怯えたように弱音を吐く女友達のことは、彼は光の速さでぶった切った。おかげで私まで白けたような目で見られたのは流石に勘弁してほしいところである。
暮らしていたという古い家屋は当時のまま残されていた。今どき茅葺き屋根に和式トイレ、シャワーもない浴室に、畳は年季が入って色褪せているし、床はところどころ軋んだ。そこに不釣り合いに置かれているカラフルな鍋やヤカンは持ち込んだものだろうか。綺麗に畳まれたままの布団と共に、つい最近まで生活していた跡が見え隠れする。
少しばかり……いやかなり時代錯誤過ぎる気がするけれど……。
「……電気がなさそうなんだけど」
「そうだな、でもガスはあったよ。島にスーパーはあるからね、そこで食材を買ってライターでコンロに火をつけて調理してたんだ。テレビはないけど乾電池式のラジオ持ち込んだから情報には困らなかったし、暇なときは島を散歩したり、絵を描いたり、たまに移動図書館の車が来るから本を読んだりね……楽しかったよ。君がいるから他に何もいらなかった」
遠い昔のことのように彼は語った。そこには記憶のない私に考慮して嘘をついている様子は微塵もなく、私との数ヶ月の逢瀬を心から焦がれているように見えた。
思い出の家を懐かしむように見つめる頼くんの横顔は、よく見ると私の知っている彼よりわずかに大人っぽくなっていた。二十代なりたての頃の少年ぽさはすっかり消え去り、落ち着いた大人の男性の雰囲気をまとっている。
知っている人なのに知らない人みたいで、思わず私は目を反らした。大切な記憶を映している澄んだ瞳を、このままだと何時間でも見ていられるような気がした。
「君を抱きしめて眠る寒い夜が好きだったよ」
私の様子に気づいて意地悪そうにそう言うと、ぎゅっと腰を引き寄せた。
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