1,桜が嫌いな朋也

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1,桜が嫌いな朋也

今年もまた、日本中が桜に陶酔し浮かれ騒ぐ季節がやって来た。 花粉症の憂鬱を吹き飛ばす、春の花の祭典。 人々は桜の花が咲くことで、生きて花見のできる無事息災を身に染みて有難く感じる。 そんな日本人にとって心の安らぎである桜だが、それを嫌う人物も中にはいる。 中学3年の淵野辺朋也(ふちのべともや)も、その1人だった。 彼が桜を嫌う理由は、明解だった。父親が桜を愛好しすぎるからだった。 思えば、朋也が幼いころから、父親の休みの日の行き先はほぼ決まっていた。 車で20分ほどの山の中腹にある畑、そこに植えられた桜を見に行くのだった。 父の父、つまり朋也の祖父が父雅也が誕生した45年前に知人から山の畑の一部を譲り受け、祖父は真っ先に桜の木を植えることを思いついた。 20本の桜の苗木は順調に育って、毎年見事な花を咲かせた。 桜とともに成長した雅也にとって、その桜たちは兄弟に等しかった。 そして朋也が生まれると、祖父は自身が還暦を迎えた節目ということもあって、桜畑を息子雅也に譲った。 以来雅也は父親の桜への愛情を受け継いで、息子と均等に桜へ愛情を注いできた。 しかし朋也にしてみれば、桜と息子への愛が同等というのは納得できなかった。 血を分けた息子と、カテゴリーの異なる植物。 「血は水よりも濃し」というように、同じ愛であっても自ずと血を分けた方が濃くなるのが当然だった。 それなのに朋也の頭の中では、息子と桜を秤にかけると、桜の方に分銅が積み重なっていくのだった。 休日の行き先に関して、山の中の桜畑で自然と触れ合うのは悪くないが、育ち盛りの子供はほかに連れて行ってもらいたい場所が山ほどあった。 映画館、動物園、遊園地、公園、水族館、球場etc。 それでも母の登志子は、休日に一緒に過ごせるのだからそれでいいと、父の肩をもった。 母は自分のように、桜と私のどっちが大事?という疑問を抱かないのだろうか。 休日に一人で桜畑へ行くこともある父に対して、朋也は小学生の時母に尋ねたことがあった。 「お父さんは僕たちより桜の方が大事なんだよ。お母さんはそれでいいの?」 その問いに母登志子は微笑を浮かべて、「私も桜が大好きだから、お父さんの気持ちがわかる」と答えた。 まあ、女の人は大抵花、特に桜が好きなのだろうけれど、小学生の男子には桜はそこまで魅力的ではない。と、朋也は休みの日に父親とキャッチボールとするという友人を羨ましく思ったものだった。 それに、小学校の運動会の日、ほかの父親たちが朝早くから場所取りに奔走しているのをよそに、雅也は早朝、桜畑へ出かけた。 朋也の最初の種目には間に合って、ビデオカメラで撮影もしたが、朋也は割り切れない気持ちだった。 毎年桜が開花した時のお花見は、家族の恒例行事だった。母も運動会の日のように朝早く起きて張り切って弁当を拵え、一家4人、父と母、朋也と4つ下の妹さくらは、揃って車で父の桜畑へと繰り出すのだった。 父は桜の花が見事に咲いたことを自分の手柄のように得意げな顔をし、私有地であるここは最高の穴場だと自画自賛した。 祖父が苗木を植えた桜は、今や日本の桜の8割を占めるソメイヨシノだった。 「ソメイヨシノは成長が早いんだ。5年もすれば花が咲くし、20年30年で10メートルを超す大木になる。ちょうど人間の成人と同じだ。 そして1本の原木からのクローンだから、みんな同じ遺伝子で一斉に足並みをそろえたように咲いて散る。この自然界にはない人工的な趣が、美学なんだ」 父は桜について話し出すと、子供の理解を無視して暴走した。
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