百回目のお別れを

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 花びらがはらはらと舞っている。緑の見え始めた大木の下、青年は昨年と丸切り同じ浅葱色の着物姿で立っていた。 「久しぶり。今年は来ないのかと思ったよ」  新緑をかき分け現れた俺に、彼は優しく微笑みかける。  繊細で儚いその姿を見ると、胸の奥が絞られるような気持ちになるから嫌だ。 「俺だって来ないつもりでいたっての」 「ふふ、反抗期? ちぃ丸も随分大きくなったねぇ」 「いつまでも子ども扱いすんな!! あとその名前で呼ぶな!!」 「ええ、昔は喜んでいたのに」  幼い頃。それこそまだ人型もとれず、小さく丸々とした子狐だった頃の話だ。もう百年も前のことである。  俺は春になると森に現れる青年が好きだった。  くたくたになるまで遊んでもらい、それから一緒に昼寝をする。  何も知らない子狐は、毎年、毎年、彼と過ごす時間を楽しみにしていた。  ずっと森にいてほしいとも、連れて行ってほしいとも頼んだが、桜が散る頃になると彼は必ず俺を置いてどこかへ行ってしまう。 「また来年、会いに来てよ」  青年は青白い顔で言った。  いつもの決まり文句だ。ぐずる俺の頭を撫で、彼は寂しそうに笑う。 「これ飲め」 「何これ?」  俺が差し出した小瓶を、青年は不思議そうに見つめている。  出来立てほやほやのものだ。思ったより煮詰めるのに時間がかかり、危うく間に合わないところだった。 「龍の鱗を煎じたものだ。回復効果がある」 「……僕が飲んでも意味ないと思うよ。だって――」  ざぁっと風が吹き、二人を花びらが包んだ。彼の声は遮られたが、彼が何を言わんとしていたかは分かる。  徒労に終わることになろうとも、俺は僅かな可能性にすがりたいのだ。 「いいから飲め!!」 「ええー」  瓶の蓋を開け、半ば無理やり彼の口に捩じ込む。液体は喉を通って体内に流れ込むはずだったが、人体をすり抜けるようにして地面に落ちた。  苦労して手に入れた薬が一瞬で無に還る。 「もうぜってー来ないからな!!」 「ごめんね」  青年は申し訳なさそうに眉尻を下げた。それが泣きそうな顔に見え、俺は焦る。  そんな顔をさせたかったわけではない。俺はただ、ここから彼を連れ出して、色んな景色を見せてやりたかった。  桜の時期が終わっても一緒に過ごしたかった。 「嘘だ。嘘だから、頼むから消えるなよ」  青年の存在が景色に滲んでぼんやりしていく。結局、いつもと同じ。別れの合図だ。 「ちぃ丸は相変わらず泣き虫だなぁ。大丈夫、また来年、きっと会えるから」  そう言い残して青年は跡形もなく消えた。  妖狐の生まれた森にどっしり根を張る桜の大木。樹齢はとうに百を超えている。  普通であればとっくに寿命を迎えているが、この桜は〈贄〉の捧げられた御神木であり、特別なのだ。  俺は桜が嫌いだ。  水色の澄んだ空に揺れる薄ピンクの花を見ると、別れを悟って無性に悲しくなる。
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