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第1話 猫の世界と妙なる小鳥(6)
からん、からん……。
店の戸に付けられたベルが、来店を告げた。
「いらっしゃい!」
ルイフォンが足を踏み入れると同時に、威勢のよい声が響く。恰幅のよい女将が、その体格に似合った笑顔で迎えてくれた。
「――っと、ルイフォンかい。よく来たね」
「お邪魔するよ。女将さん、相変わらず綺麗だね」
いつも通りのお世辞に、女将は「まったく」と言いながらも悪い顔はしなかった。
「何ぃっ! ルイフォンが来た!?」
キンキンとした高めの少年の声がしたかと思うと、がたんと椅子の倒れる音が続く。
「あー。まただよ」という複数の少年の微苦笑に見送られ、奥のテーブルから痩せぎすの少年が現れた。この店の息子、キンタンである。母親の女将とは対照的な体型は、父親のトンツァイ譲りだった。
「ルイフォン、勝負だ! この前の雪辱戦だ!」
キンタンがルイフォンに向けてびしっと突き出した指先には、カードが挟まれていた。
彼ら――奥のテーブルの面々は、ルイフォンの遊び仲間であった。たまには連れ立って繁華街を練り歩くこともあるが、大概はなんとなくこの店に集まり、カードゲームに興じている。中でもルイフォンとキンタンの実力は拮抗しており、勝率は五分五分……よりもルイフォンのほうがやや高かった。
ポーズまで決めてルイフォンの前に躍り出たキンタンだったが、次の瞬間には顎が外れたかのような、ぽかんと口を開けたままの間抜けな姿を晒すことになる。
「ル、ルイフォン!? ……女連れぇ!?」
甲高いキンタンの声は店中に響き、彼の受けた衝撃は奥のテーブルの少年たちにも連鎖していく。
「なんだとぉ」
「見せろや!」
奇声に近い声を上げながら、少年たちがルイフォンの元へどやどやと引き寄せられた。
メイシアは硬直した。
貴族の世界には、大声を出す者も、突然走り寄ってくる者も存在しなかった。すっかり気圧されてしまった彼女には、ルイフォンに救いの眼差しを向ける余裕すらない。
一方、少年たちは絶句していた。
彼らはメイシアの無垢な美しさに吸い込まれていた。怯えた表情さえも、保護欲と嗜虐心をくすぐるスパイスとなる。
「すげぇ美少女……」
たいして語彙が豊かでもない、ひとりの少年のその呟きが、陳腐ではあるが的確に彼女を表現していた。
片手を突き付けたままだったキンタンが、はっと我に返る。彼は繋がれたままのルイフォンとメイシアの手に目敏く気づいた。
「ああ……、糞……!」
言葉にならない雄叫びを上げる。それを呼び水に、他の少年たちがルイフォンに矢継ぎ早に問いかけた。
「どこから連れてきたんだよ?」
「名前は?」
「いつからだ?」
ルイフォンは凶賊の総帥の息子であり、表情にさえ気をつけていれば、端正と言ってよい顔立ちをしている。その気になれば女に不自由しないはずだ。しかし彼は、今まで特定の相手を作ったことはなかった。それだけに、少年たちは興味津々だった。
彼らは、不躾なまでの好奇の視線でメイシアを舐め回す。ルイフォンの連れだと承知の上でも、黒絹の髪は元より、赤い唇や白い首筋、華奢な撫で肩から更に下へと目が行っていた。
「……スーリンは、どうするんだよ?」
キンタンが呻いた。彼としては低い声のつもりだったのだが、彼の声質ではそれは叶わない。
「あいつ、お前にぞっこんだろ!?」
剣呑な響きを載せてキンタンが迫る。そこで初めてルイフォンは、少しばかり軽率だったかと反省した。
「おい、みんな待てよ。こいつは、親父の女だ」
握った手をそっとほどきながら、ルイフォンはメイシアを少年たちのほうへ押し出す。
「名前はメイシア。屋敷に閉じ込めておくのも可哀想だから、気晴らしに俺が連れ出しただけだ」
「何ぃ!?」
「嘘だろ? 親父さん、もう六十五だろ? まだ『現役』なのか?」
「ああ。あの親父だから」
ルイフォンのその一声で、一同が納得する。
メイシアが何か言いたげな様子であったが、ルイフォンは笑って返すだけだった。
彼女の現在の身分が凶賊の総帥の愛人なのは本当であるし、そう公言しておけば余計なちょっかいを出す者はいないだろう。現に、彼女を好奇の目で見ていた少年たちが浮足立った。それでも、ちらちらと名残惜しげな視線を向けてしまうのは仕方のないことだろう。
ルイフォンはそんな少年たちの反応を横目に、メイシアを伴いカウンターに腰掛けた。
「うちの人だね?」
女将が尋ねる。ルイフォンは簡潔に「ああ」と答えた。
「悪いね、今、ちょっと仕入れでトラブっちゃって、出かけているんだ」
「ふむ……」
女将の言葉にルイフォンは眉根を寄せた。『仕入れでトラブルがある』――これは情報屋トンツァイの暗号で、何か気になることがあって調べているということだ。
「じゃあ、待たせてもらうよ。女将さん、あれ出してくれよ。二人分」
「あいよっ」
女将は威勢よくそう言って、奥に入る。
つんつん、とルイフォンの服の裾が引っ張られた。隣でメイシアが目で訴えていた。
「違う、違う。酒じゃない」
「え……。すみません」
彼女は顔を赤らめた。申し訳なさそうに見上げる瞳が、なんとも嗜虐心をくすぐる。
戻ってきた女将がトレイに載せていたのは、二個の大きな椰子の実だった。上端に穴を開けてありストローが差してある。
「天然のココナッツジュースだ。まずい店もあるが、ここのは美味いぜ!」
ルイフォンは、ひとつをことんとメイシアの前に置いた。予想通り、彼女は目を丸くしている。お上品な貴族なら、椰子の実からそのまま飲むなんて驚きだろう。
ルイフォンは、もうひとつの椰子の実を手に取って飲み始めた。よく冷やしてあり、口の中に広がる甘みがなんとも美味だ。
彼に誘われるように、恐る恐るといった体でメイシアがストローに口を付ける。途端、ぱっと彼女の目が見開かれた。
「美味しいです!」
顔を綻ばせ、「ありがとうございます」と、再びストローに唇を寄せるメイシアに、ルイフォンは満足げに目を細めた。
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