12.奪われた日常

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 半年が過ぎた一一。  三四郎さんは滅多に姿を見せなかった。食事を運ぶ時と下げる時に扉から太い腕が見えるけど全身を顕にする事はなかった。  外出するにはカラオケで百点を取らなければならない。絶対に無理だし必要性も感じなかった。脱出したところで私に待っているのはクソみたいな夫に家政婦のように尽くす生活で、リスクをおかしてまでチャレンジするメリットがない。  優菜には会いたいけどお母さんが面倒を見ているなら当面の心配はないだろう。  なにより……。  ここは居心地が良い。  一日中ゴロゴロとテレビを見たり本を読んだりして過ごす。掃除も洗濯もやる必要がない。三四郎さんは話しかければ何でも答えてくれるし、何より私に甘い。  九十五点に設定されていたシャワーはお願いしたら八十点にしてくれたし、トイレは自由にさせてくれた。  部屋を出てすぐにトイレとバスルームがあったけど出口は見当たらなかった。三四郎さんはどこから来るのだろうか、もう少し真剣に探せば隠し扉でもあるのかも知れないけど、それは三四郎さんを裏切る行為のような気がして憚られた。 「結婚しよう、僕には優香が必要なんだ」  そんな言葉に嫌悪感を抱いていたのは最初だけで、今ではそんなに悪い気がしなかった。そんな自分が異常な精神状態なのではないかと疑いたくなったけど、今までの結婚生活にくらべたら数倍優遇された扱いに私は満たされていたのかも知れない。 「いや……それは」 「あのクソみたいな男の何が良いんだい?」  私はすっかり三四郎さんに心を許していた。誘拐犯の男に恋に落ちる映画があったけれど満更デタラメじゃないのかも。 「財産分与を……」  気がつくとすべて話していた、ソファに座り赤ワインを飲みながら。近くで聞いているであろう彼に、私の離婚計画を。 「なるほど! 合点がいったよ優香」  三四郎さんが愉快そうにそう言った。相変わらずのハスキーボイスに少しうっとりしたのは酔いが回っているからだろう。 「たまには一緒に飲まないか?」 「え?」 「そっちに行ってもいいかな?」  良いも何もここはあなたの家で、私は監禁されている身。でもそんな紳士的な振る舞いを彼はする。そんな所に好感が持てた。 「はい、全然」  五分ほど時間が過ぎて入り口の扉がガチャリと開いた。日に焼けた腕が見えて緊張する。そう言えば面と向かって話すのは初めてだ。 「おじゃまします」  遠慮がちに入室してきた三四郎さんを見た瞬間の感想は「だれ?」だった。私の記憶にある彼は巨漢でラグビーの選手みたいだった。しかし、入り口の扉から歩いてくる三四郎さんは細身で顔もシュッっとしている。  ラグビー選手と言うより日に焼けたサーファーみたいだった。 「あれ、痩せました?」 「うん、優香に相応しい男になりたくて。変……かな?」 「いえ、全然、素敵です」  何を言っているのだろう。ただ私の為に努力してくれた事が素直に嬉しかった。 「良かった」  白いパンツにグレーのシャツ、ボタンの隙間から厚い胸板が見える。日焼けした肌に髭が良く似合っていて天然パーマのような頭ともマッチしていた。  半年間で子供部屋おじさんはイケおじにフルリニューアルしていた一一。
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