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「師匠、漆の木の場所を教えてくだせい」
ある日の早朝、座敷で準備中の厳に柑が頭を下げて頼んだ。
「いつも連れて行っとるでねぇか」
「ちがう!“黒翡翠”と“天眼”の木だ!」
厳が気怠げに嘆息する。
「んなもの、あてにするでねえ」
「死んだじっ様は師匠なら…厳ならおらを立派な村一番の職人に育ててくれると」
黙っている厳に、柑はさらに続ける。
「じっ様は師匠のこと自慢の弟弟子だったで、おらを預けただ。立派な職人になって村を守れって」
触覚を揺らし暫く考えると、厳は『支度をしろ』と立ち上がった。
急かされ準備をし外に出ると、厳は年齢では考えられない速さで前へと跳ぶ。
「おらを真似てしっかとついてこい」
柑は慌てて後を追った。
普段山へ入る時と違い、厳は妙に低い体勢で回り道をすると、見知らぬ道へと入り薄暗い岩の間をすり抜ける。
柑は迷わず後に続いた。
岩を抜けると、見たこともない幹が黒い艶のある漆の木がまわりの木の陰に隠れるように立っていた。
「黒翡翠漆の木だ」
「こ、これが…」
何ヵ所か掻いた傷がついていることから、厳が通っているのは確かなようだ。
「ここは誰も知らん。こいつはもうじき伐採して新たに芽を出し蘖(ヒコバエ)がよく育つよう促すだ。柑に任す」
「ええだか?ふあ~美しか…天眼も似とるのかのう?」
うっとり呟く柑に、厳は悲しい目を向ける。
「天眼は今は諦めろ。あの場所はおめにゃまだ無理だ」
驚く柑に厳は首を振った。
ひと月程経ち、厳だけ山へ入るからと早朝に一人家を出た。
残された柑は、あちこち風のように低く跳ぶ厳に気づかれぬよう密かに後をつける。
不気味な暗い森を厳は抜け、光のない洞窟に入り潜り抜ける。
必死に後を追った柑がその先で見たのは、険しい断崖絶壁だった。
危うく落ちそうになりながら、身を潜め厳を探す。
厳は長い綱を体に巻き、崖づたいに突き出た岩の下に向かい周囲を見ながら降りているところだ。
「あ!」
岩の下に見たこともない漆が生えている。
幹に黒い艶があり、模様のようなものが見える。
「て、天眼漆か…」
柑は震える口を押さえ興奮する気持ちを落ち着かせる。
「は…はっ…あそこにあるのか」
だが間違っても厳に気づかれてはならない。
師匠と弟子の間では、師資相承しか許されず、柑は破門されてしまうことになる。
破門となると、村から追い出され二度と帰ることができない。
「今は我慢するだ」
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