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あの日から数日後、厳の所に馴染みの潤師が天眼漆の漆液を依頼に来た。
「今は無理だ」
断る厳に潤師も引かない。
「しつけぇー!!」
声を荒げた厳はそのまま顔を歪ませ倒れ込んだ。
「当分安静だ」
柑が呼んできた薬師(クスシ)は、寝ている厳から背後の者達を振り返って言った。
「困った…どしても天眼漆が…城からの依頼だで…」
頭を抱え潤師は帰って行った。
次の日の未明、柑は眠る厳の元へと行き『師匠、行ってくるだ』と挨拶をし家を出た。
厳のように低い姿勢を保ち、先日の崖へたどり着く。
道具を用意し綱を巻くと、柑は風に飛ばされぬよう幅広く鋭い爪を上手く使い降りていく。
厳と村の為と突っ走ったが、心にはあの漆を近くで見て漆液をとりたい欲望も…
どうにか岩下へ着き、間近で漆の木を見て息を飲む。
「す、すげぇ」
幹は太く並の木の何倍もあり独特の天眼模様が浮かび、大量の眼に見られているようだが表現できない美しさだ。
“ガサッ!”
その時、木の根元で物音がした。
見ると恐ろしい顔の大きな怪物が嘴を剥き出し威嚇している。
その後ろに子どもらしき姿も。
「ここは巣だったのか!」
大きく怪物が鳴き叫び、綱を咥えられ柑は叩きつけられた。
「ぐほっ…そうか、師匠はここが怪物の巣だとわかっていたから…巣立ち空になるのを待っていたのか」
動けない柑を怪物が踏み潰そうとした時、誰かが怪物に飛びかかった。
「師匠っ!」
意識を取り戻した厳は、柑がいないことでここに来ていると感づいたのだろう。
怪物の首筋を掴み自分の綱を鎌で切る。
「早くおらの綱つたって逃げるだ!」
だが柑は立てないでいる。
そんな柑へ跳び、厳は柑の綱と切った綱を一瞬で結ぶと後ろ足で力一杯柑を上へ蹴り上げた。
「し、師匠っ」
「柑、立派な職人になるだぞ」
柑が飛ばされながら見たのは、厳が怪物に咥えられ下の谷へと投げ落とされるところだった。
うまく洞窟の出口の穴へ落ちた柑は、穴から谷を見る。
「師匠ぉーっ!」
柑の声だけが山の中で響く。
慌てる柑の下に折り畳まれた柑に宛てた書状があった。
一枚は厳が柑の師資相承の修了を認める内容だ。
涙を溢れさせもう一枚を読むと、厳が兄弟子である柑の祖父への恩返しを願っていたことがしたためられ、最後に柑へ礼の言葉が添えられていた。
おそらく早い段階から厳が用意し、柑に渡す準備をしていたのだろう。
自分の中にあった傲慢さを悔いた。
何故師匠が天眼漆を教えないことを、もっと深く考えなかったのか…
そして、口下手ながらも弟子としてどれだけ大切に思われていたのかを思い知らされた。
「許してくだせい…師匠」
ただ、柑の慟哭だけが谷に響いた。
~完~
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