011 瞳 side

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011 瞳 side

私は両手が塞がった重い買い物袋をぶら下げて、県営団地の5階にある我が家の玄関を目指して階段をひたすらに歩いていた。 「ふう、ふう。ハア、ハア。ふう、ふう。ハア、ハア、やっと着いたー」 ピンポーン 息が絶え絶えになった私は、最後の力を振り絞ってインターホンのボタンを押した。するとこれまでは静かであった玄関の内から、ドタドタと走る足音が次第に聞こえて近づいてきた。 ガチャガチャ、キキキィー 「おかえりなさあい。大ねえちゃ」 玄関を開けてくれたのは今年で小学3年生になる弟の翔馬だった。 「た、ただいま、翔馬。ハアハア、玄関を開けてくれて、ハア、ありがとうね」 私は息を荒くしながら玄関へ入ると、両手の買い物袋を廊下に置いたとたんにヘナヘナと座りこんでしまった。 エレベーターがついていない最上階の5階に我が家があるというのも凶悪だけど、団地が丘を整備して作られているので登り坂の上にあって余計にきつすぎた。 「おかえりな~さ~い」 バタバタ、バタバタ 続いて現れたのは、弟と双子になる妹の香歩だった。 「お出迎えをありがとう、香歩。ハア、ハア、あら歩美はいないのかしら?」 「小ねえちゃなら、いまくると思うの」 「こらあ香歩、遊んでたお人形さんを投げ出しちゃって、ほんとにもう。あ、おかえりなさい、瞳ねえ」 次女の歩美が渋顔を作りながらやってきていた。これで姉妹全員がすべて揃った。 「瞳ねえもたいへんでしょ。火曜日にはいつも買い物袋をこうして両手に抱えてくるんだから。小学校の帰り道にスーパーがあればあたしもこれを手伝えたのに。今日のイホンの特売セールは、なにかいいものでもあったの?」 まだ呼吸を荒くしていた私の様子をみかねたのか、歩美はお買い物袋を代わりに持って引き上げた。 「うっわ、ちょっとおっも! 瞳ねえ、これいったい買い物袋に何が入っているわけ?」 「春キャベツが旬で特に安かったの。それでつい2つも余計に買っちゃったわ。ああしんどかった。せめてうちの玄関が階段の1階か2階にでもあればいいのに」 「1階と2階は老人の世帯向けになっているそうよ。4階にいる中村のおばさんが教えてくれたわ。私たちのように体力のある家族は、そこがもし空いていても入れてもらえないって話よ。あ、お母さんは夜勤に出かけたから、今日は私たちだけで食べなさいっていってたわ」 歩美がキッチンワゴンに載せたお買い物袋から野菜類とその他に分別をすると、今度はそれを冷蔵庫の野菜室へ次々に詰め込んでいく。私は立ち上がると台所へと直行して水道の蛇口をひねり、コップに波々と注いだ水を一気に飲んでようやく一息ついた。 「歩美もこの3年間で逞しく育ってくれたわよね。お姉ちゃんも安心して任せていられるもの」 「お姉ちゃんにはお買い物と調理を担当してもらっているし、これくらいはお安い御用だって」 「私がお買い物とか調理をする間は、下の翔馬や香歩のお世話をさせっぱなしじゃない。小学5年生にしてはたいしたものよ」 「お姉ちゃんてば褒め上手だよ。さてと私はまだ宿題があるから、弟たちとお母さんのお部屋にいるね」 「いつもありがとうね、歩美」 「大ねえちゃー、バイバイ」 「バイバイー」 「よおーし。それじゃさっそくに夕食の支度にでも取り掛かりますか」 私は冷蔵庫内から取り出した、お母さんが前もって用意をしていた下ごしらえの材料を手にして、お夕飯の調理に取り掛かった。 ☆ ☆ 「それでね。池田くんがあたしに向かってこういってきたの、小沼はいつも同じ服しか着てこないんだなって。まったくデリカシーなくてあたし思わずに、彼のことをひっぱたいちゃったの」 夕食のひとときの時間を妹たちと楽しく団欒を終えて、いまはこうして洗濯物を畳んでいた私は歩美といっしょに雑談を交わしていた。 「へーそうなの。それじゃたまには新しいお洋服も買わないと。今度お母さんに相談をしてみるわ」 「やめてよ、あたしがお姉ちゃんを通してお母さんにおねだりをしたみたくなるじゃない。私はお姉ちゃんのお古で十分に間に合っているんだから。それよりもお姉ちゃんのほうこそ、新しいお洋服を買ってもらいなよ」 「お姉ちゃんは中学生で着るのは制服だし、普段着はあまり必要ないもの。歩美は遠慮せずに買ってもらいなさいな。そうすれば香歩にだって、歩美の年頃になると着られるんだから」 歩美はそこで黙ってしまった。小学5年生の歩美は自分のファッションにとても興味があるお年頃なのに、それをあえて我慢していることに私は気がついていた。 うちの内情がこのような緊縮財政を強いられている理由は、お母さんの部屋の片隅にある仏壇の遺影がそれを物語っている。うちにはお父さんがいなかった。お父さんはもう3年も前に亡くなってしまっている。 私が覚えているお父さんの職業は消防士だった。正義感とガッツさに満ち溢れた人で、多少ガサツな点もあったけど家族はいつも円満な毎日で、思えばお父さんを中心にしてあのころがいちばん輝いていた。 そのお父さんが死んだときには私がまだ小学4年生のころで、妹の歩美は小学2年生、下の双子はまだ保育園に通っていたころのことだった。お父さんが亡くなった後はこの県営団地に引っ越してきていまへといたっている。 「そういえばお姉ちゃんはさ、周りにいる友だちとか一緒にお買い物に出かけたりはしないの?」 「お姉ちゃん中学校では、お友だちを作らないもの」 「ええなんでよ? いっしょにさ、お出かけたりするのって楽しくはない?」 「お姉ちゃんはわりと平気かな。お友だちがいたらいたで時間とお金の両方の面で束縛を受けるしね。私は妹たちの面倒をみているのが今はせいいっぱい。その代わりに歩美には、ふつうに友だちをいっぱい作ってほしいかな」 歩美はその返答に窮して困っていたようだった。わたしも友だちを作らないよと言い出しかねないと思ったけど、そうは言わずにいるようなので私は歩美に安堵をしていた。 「そうだ! お姉ちゃん、同じクラスにいる一風変わった男の子のお話をこの前にしてくれたじゃない。あの子の名前はなんてゆうの?」 「一風変わった? そんなこと言った、、、ああ、石城くんのことね。ふふ、いつも彼とは毎朝にふざけ合っているわ」 「フンフン、そうなんだ。ねねねね、その石城くんとやらの特長を教えて?」 「背丈はすごくちっちゃいわね。ちょうど歩美と同じくらいかしら。ふふ、見るからに学生服に着せられてる感じがしてかわいいのよ」 「その石城くんてどこに住んでいるのか知ってるの?」 「ほら、駅前の商店街にある小さなカラオケ店を知ってるでしょ、あそこの息子さんなのよ。どうしてそんなことを聞いてきているの?」 「えへ、たんに興味が湧いただけ。お姉ちゃんとさ、仲の良い男の子のお話なんてこれまでに聞いたことがないからさ」 「歩美も中学生になってみたらわかると思うけど、まず気恥ずかしさが先に優っちゃって、小学生のときのように異性へ声をかけることなんて、滅多にできなくなるものなのよ。それをやたらに堂々と接してくるものだから、ふふ。石城くんもまだ小学生感覚が抜けていないのかしらね」 「お姉ちゃん知ってた? その石城くんのお話をしていると、いつもその顔がニヨニヨとしまらなくなっているのよ」 「なっ! ももうば、馬鹿なこと言って、このお話はもうおしまいよっ!」 私はプイッとむくれてしまい、妹の歩美はそれを見ていつまでもニヤニヤとしていた。うううう、やだ私の顔、ひょっとしていま赤くはなっていないのかしら?
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