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家から徒歩五分の場所に、二十四時間便利なコンビニエンスストアがあるというのは、生活を営むにおいて重要な条件だろう。九斗はすっかりこの店舗の常連だ。これで瑪空の機嫌もなおるし、俺も新作のアイスが気になっていたし、これで一石二鳥だ。
コンビニは住宅地の、少し坂を上がった場所にあるせいで、行はやや時間がかかる。
ふと、九斗は空を見上げた。月並みな表現であることは彼も理解していたが、星が綺麗だった。もう冬は終わって、桜の季節も過ぎ去ってしまったから、これほど澄んだ空は珍しい。
「星、か」
よく死んだ人は星になるとか、希望を星と言い表すけれど、星は星でしかない。ただ、宇宙で光を放つ、そしてその煌めきが地球に降り注いでいる。それだけだ。
九斗は、存外現実主義者だ。ついでに言うと、どことなく厭世的で、捻くれている。美しいものを綺麗だ、と思うことはあれども、それが救いになるわけでないと考えている。救ってほしいくせして、救いの手は跳ねのけてしまう。信じるのも怖い。彼の根底には生きることへの強い恐怖心が渦巻いている。
星を眺めていた。それだけだったのだけれど、星よりも鮮やかな金色が目の前に立ちはだかった。高めの位置で一つに結われた金色の髪に、燃えるような赤い瞳。暗闇の中にたたずむ少女は身一つで、九斗に猛突進してきた。
右手に握られているのはナックルだろうか、とりあえずこれで殴られたらマズい、とだけ瞬時に理解し、すんでのところで身体を翻した。
「あんたが新しい保有者(ホルダー)?」
「だれだよお前、しかも変な恰好しやがって!」
へそ出しの、白を基調とした軍服風の衣装に身を包んだ少女、腰まであるマントが風になびいている。瑪空と同い年くらいだろうか。ショートパンツから覗く足は細く、ひざ下までの編み上げブーツが絶対領域を作り出していた。
「これは私の趣味じゃない! 能力を使うとこうなんの!」
「能力って、まさか」
――厄災を持つ者同士はお互いを引き合うから、そのうち顔を合わすことになるわ
パンドラの言葉を反芻してみてが、九斗は展開についていけないまま、少女に圧倒されていた。
「早く寄こせ、あんたの厄災」
「ヤダって言ったら?」
九斗は笑顔を取り作ってみたが、きっと不自然で、醜い引きつった笑顔だろう。それでも隙を見せるよりはマシなはずだ、と彼自身に言い聞かせていた。
「奪う、それだけだよ」
「うわ、物騒」
「ルール決めたの、私じゃないから」
再び攻撃をけしかけるつもりなのだろう、目の前の少女は足に力を溜めていた。人間離れした瞬発力を持っているようだし、あのナックルで殴られたら確実に死ぬ。
男女の体格差があるとはいえ、九斗は基本的に家から出ない。ひょろっとした薄っぺらい身体では、少女の機動力にはかないそうにない。
やばい、それだけが頭の中をぐるぐると駆け巡って、理性で心臓の拍動を抑えようとしてもまったく言うことを聞いてくれそうになかった。
冷静になるべきだ。そう判断した九斗はもう一度星のような少女に目線を向けた。気のせいだろうか、九斗の目には少女の手が震えているように映った。
「あんた、抵抗しないの?」
「で」
一拍置いて、九斗は閑静な住宅地の住宅地の中心で不満を叫んだ。
「で、で、できるわけないだろぉぉおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」
「うるさっ、人が来たらどうすんの……って保有者同士の戦闘中は外界から切断されてるんだっけ」
「マジ何言ってんのか訳わかんない、こわい」
突如現れた金髪ポニテ美少女が九斗を殴り殺そうとしている、そんなシチュエーションが目の前に現れたら誰だって怖いだろう。
「戦え、って言いたいんだけど。あんたもボックスの保有者なら、能力も付与されてるでしょ」
「だから俺はわかんないんだって、能力とか、ボックスとか、どうやって使うのか……」
『馬鹿ねー、もうちょっと勘のいい子だと思ってたのに』
――この声は、間違いない
『いいから私の言う通りにして、ボックスを持ちながらこう言うの』
「「我、悪夢を司るもの。我に力を与えよ!」」
勝手に口が動いた。他人から見れば、九斗は突然中二病が抜けきっていないと判断されてもおかしくもないような、めちゃくちゃに恥ずかしいセリフを口走った奴だろう。
こんな言葉、九斗の頭の中には存在していなかった。無理やりねじ込まれて、脳ミソと声帯が直結して、それを強制的に動かされたような、脊髄から無理やり思考を流し込まれたような、そんな気持ち悪さが身体を駆け巡っていた。
気持ち悪い、吐きそうになりながらも九斗は思考を止めることはなかった。眩暈と現実の間で彷徨っているのか、とりあえずこのよく分からない状況を打破したい。
九斗は本能で理解した。戦わないと死ぬ、そしてそのために能力とやらが与えられたと。
――そうか、これが「厄災」の保有者になるということか
身体を這いずり回る違和感、目の奥が焼かれている、外部から付与される力を受け入れるという負担を、何の覚悟もないまま体感させられている。九斗は、胃の中に入っている唯一の液体、いうなれば胃液を吐き散らした。それでも吐き気は収まらず、地面にうずくまった。今のうちに殺しにかかればいいのに、なんて頭の隅で考える余裕が出来たころには、自分が来ていた部屋着が、やたらと豪華な装飾がごてごてとつけられたものを変化していることに気が付いた。
「うぇ、な、なんだこれ」
白を基調に紫アクセントにした、燕尾服によく似たジャケット袖周りは金色のボタンや飾緒まであしらわれている。手袋は黒の合皮なのか光沢感があり、胸元にはスカーフとブローチまであしらわれている。
「服が、俺のよっれよれの部屋着じゃない」
上半身だけではない。テーパード形状の白のスラックスに、紫のショートブーツ。こんな今から舞台にでも立つような恰好で戦えなんて、悪趣味すぎるだろう。
この殺し合いが『舞台』とでも言いたいのだろうか。死装束にしては派手だろう。
「やっぱり、使えんじゃん」
「いや、これは、その」
「もう手加減なしで行くよ!」
金髪がふわりと揺れて、彼女は星のように頭上へ舞った。
ムリだ、九斗はそう確信した。何故か身体は軽いし、周りの景色も早く動いてるけど、それでも力量差は圧倒的だというのが彼自身の判断だった。
相手は武器を持ってて、九斗は身一つだ。次々に繰り出される拳を避け続けても、この殺戮が終わるわけじゃない。
――どうする?
――俺は身一つ、彼女はナックル。
――身体能力に自信のない俺の、俺の武器。
――俺が動けないのならば、相手を止めればいい。
それならば。
心の中で、武器を描いた。紫の柄に、長い、長い編み込みの一本鞭。捕縛と攻撃を兼ね備えた。そんな武器を。
刹那、九斗の右手にはイメージ通りの鞭が握られていた。鮮やかなアメジストの持ち手に、ボディ、いわゆる鞭の部分は純白だ。
手にした武器を、訳も分からないままに振り乱した。運がよかったのか、鞭は少女へと向かい、慌てた様子で空に滞空していた彼女は地に落ちた。
殺したくはない九斗と、殺そうとけしかけている金髪の少女。いや、殺したいのかはわからない。
そもそも、彼女が本気を出せば九斗なぞ瞬殺だろう。それをしない理由はわからないが、この場を切り抜けられたなら、意図も聞き出せるかもしれない。
「はっ、さっきまでゲロ吐いてたくせに」
「あんまり舐めてると、逆転されるってわかっていいじゃないか」
「誰が、あんたなんかに負けるって?」
煽りたいわけじゃない、そもそも九斗は戦いたくなどない。この少女もおそらく九斗と同じだ。いくら体格差があれども、殺気のない九斗を殺すことなんてたやすいはずだ。そんな彼女の攻撃が、さっきから一度も当たっていない。九斗の疑問が、革新へと変わった。
九斗はこの少女を殺したくもなければ、自分自身も死にたくはなかった。
「……これが、能力……?」
鞭の使いかたなんて、当然ながら普通に生きてきた九斗が知ることのないものにも関わらず、どうやって手首を返せば、どのくらいの力で振れば、重い通りに動くのか、頭と身体に叩き込まれている。これが能力なのか。
「っ、初陣なのにやるね」
九斗が放った鞭は少女を捕縛することに成功して、おそらく九斗が弱いと油断していた彼女は身動き一つとれないほどにはぐるぐる巻き状態になっている。この鞭は長さも変幻自在なようだで、まるでマジックアイテムだ。
少女が抵抗しなくなったのを確認してから、距離を詰めた。睨まれるかな、という予想は外れて、彼女はなくアスファルトに視線を落としていた。悔しい、怖い。そんな表情をしているのだとばかり、九斗は予想していた。しかしその予想は儚く散った。
「殺せば、私の負けだし」
諦めたのか。それとも死ぬことさえ怖くないのか。視線の落ちたアスファルトは真っ黒で、少しでも気を緩めてしまうと絶望の淵に吸い込まれてしまいそうだった。
「俺は戦いたくない、んでもって殺したくもない! だからさ、今日は見逃してくんない?」
「嫌だ、って言ったら?」
「ずっとこのまま、死ぬギリギリまで締め上げるけど」
「優しいのか、サイコなのか」
苦笑するさまもどこか神秘的な赤い瞳が、九斗を見つめている。とりあえず今日のところは、ここで引き分けにしておくほうが都合がいい。
「名前、聞いてもいい?」
釣り目がちの目を大きく開いて、さらに赤色がこぼれてしまいそうだった。驚愕というよりは、戸惑いが色濃く表れた表情から、この少女も九斗と同類だと彼自身は察した。
名前、明かせば身元だってすぐに割れるだろう。彼女が自分の名前を教えるとなると、それなりの覚悟をもって九斗に名乗るはずだ。
「ミコト……平城(なら)ミコト」「ミコト……平城(なら)ミコト」
「俺は神殿九斗、よろしく、とはいかないか」
「名前教えるとか馬鹿じゃん」
「平城さん、だっけか。あんたから名乗ったけど」
「ミコトでいいよ、なんでだろ、もしかしたら私も死んじゃうかもしれなかったのにね」
私も、というとすでに死人が出ているのだろうか。
「俺は殺したくないし、死ぬのもごめんだね」
「甘いわー、足元すくわれるってそんなんじゃ」
「ミコト、でいいんだよな。ミコト以外にも保有者とやらはいるってことか」
「私、そこまで教える義理はないんだけど」
「まぁ確かに、とりあえず今日は見逃してくれるならそれでいいし、もう攻撃とかもしなさそうだし」
九斗は鞭をミコトの身体から解きほぐして、完全に開放した。あまりにあっけなく自由を手渡したせいか、ミコトはまた困惑も隠しもせずに俺を凝視していた。
「なんで、今ならあんたのこと一撃だよ」
「だって、それはミコトも嫌だろ?」
九斗がそう言ってのけるとミコトは耳まで真っ赤になって、わなわなと震え始めた。図星だったにしても、それは自覚さえなかった人間の反応だぞ、と喉元まで出かかった九斗だが、その言葉は飲み込むことにした。
「はぁ!? 違うんですけど。と、とにかく、今日はここまで。次は容赦しないんだから!」
ミコトは近くの家の屋根に飛び乗って、そのまま月明かりの中へと消えていった。星が、月に飲み込まれた。
「と、とりあえず、助かった」
腰を抜かして、地べたに勢いよく座り込んだ。冷えたアスファルトが、スラックス越しに尻を冷やしている。
また空を眺めた。星が爛々と輝いているのに、九斗の主観ではそれさえも不吉というか、不気味というか、そんな予感を肌で直接触れているような気にさせるような夜だった。
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