始まりの夜〜厄災の保有者たれ〜

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始まりの夜〜厄災の保有者たれ〜

夜も深い深夜二時、丑三つ時。少年はこの小さな自室で、幽霊を見た。 幽霊というには美しすぎ、露出の多い衣服に身を包んだ奇怪な女だった。真っ白な髪に藤色の瞳、布面積の小さい衣服から覗く皮膚も白く照り輝いている。月光に照らされているとはいっても、白すぎるのだ。つるりと光沢感のある、異様な白さだ。人間ではないことは明らかだろう。 「わたくし、あなたに力を与えに来たのよ」 力を与えに来た。そういってカギをかけていたはずの窓をすり抜けて、この女は部屋に侵入してきたのだ。いつも通り深夜に課題をしていた少年は、窓の外に浮遊する女を見つけた瞬間に椅子から飛び上がった。 少年の動きに連動するように、ペンケースが派手な音を立てて落ちた。床には愛用のシャープペンシルや、蛍光マーカーが散らばっていた。赤、オレンジ、緑、水色。色とりどりのペンが床に落ちている。 「怖い?」 「当り前だろ、これが怖くなかったら異常だろ……」 少年の声は弱々しく、覇気が一切なかった。未知との遭遇、些か刺激が強い。 「こんな美人が夜やってきたら男は嬉しいものじゃないのかしら」 超常現象を見せつけられて、美人だから帳消し、と言える奴はそういないはずだ。もしもそんな人間が存在するというのなら、それはよほどの面食いか単なる異常者だろう。 「名前、まだ名乗ってなかったわね。我が名はパンドラ、始まりの女、そしてあなたに力を与える女」 「ぱ、パンドラ」 「パンドラ」がなぜの目の前に、それも丑三つ時を通り越した今、平凡な少年の前に姿を現しているのか。 かの有名なギリシャ神話の一説、はじまりの女(にんぎょう)「パンドラ」 神のために造られ、神の目的を遂行するためだけに下界に降ろされた。開けてはいけない箱を開いてしまった悲劇の女性。 「あら、わたくしのことを知っているのね。あぁ、それと、あなたの名前も素性も知ってるから、自己紹介は不要よ、神殿九斗(こどのないと)くん」 「個人情報、漏洩してんじゃん」 「これくらい神に与えられた特権よ。さて、茶番は終わりにしましょう」 白い長髪を一つに纏めている彼女がくるりと一回転すると、身体にまとわりつくかのように髪が踊っていた。人間じゃないことを考慮しても、神秘的で、これが現実なのか疑わしいほどに綺麗だった。九斗は不気味さを払拭できずにいたが、パンドラから目が離せないでいた。 今日は満月だ。小さな部屋に人間と、神の創造物。妙な状況なのにも関わらず、満月に照らされたパンドラは恐ろしいほどに美しく九斗の目に映ったのだった。 美しすぎて不気味なのか、薄気味悪いからこそより美しく見えるのか。九斗には判別がつかなかった。 「力を与えるって」 「そのままの意味よ。あなた、今の人生に満足していないでしょう? もしね、なんでも願いが叶うって言われたら、どうする?」 願いが叶う。なんだかもう漫画とかに影響されたのか、それともこの前クリアしたゲームの影響なのか、明晰夢でもみているのかもしれない。この女が発した言葉の意味が分からず、九斗は頭を抱えた。 それにしては妙にリアルというか、質感と、これは花の香りだろうか、どこかの庭園のような香りが九斗の鼻腔をくすぐった。パンドラが現れてから、十七歳男子の部屋に似つかわしくない、そんな華やかな芳香が漂っている。 「そんな胡散臭い話、俺は信じないね」 「あら、そう。じゃあこれならどうかしら、願いを叶える代償と、条件があるのよ」 「ほらな、タダでそんなうまい話があるか」 「パンドラの箱については知っているかしら」 パンドラが柔和な表情を崩した。笑顔でも、引きつっているわけでもない、ただ虚無を落とし込んだような目で九斗を見ている。 「有名な話だろ。神様が人間そっくりな人形(おんな)人形(おんな)を作って、そいつに箱を渡した。そんで結末は、開かれた箱からいろんな苦しみが飛び散って終わりだ。そこから俺達人間は、苦しみを知ることになった、だっけか」 「人間の世界の伝承では、ね」 「神様の世界では違うとでも」 「まだ続きがあるのよ、その話。世界に厄災がふりまかれて、希望だけが箱の中に残った。でも、人間の世界は、その厄災の耐えられるほど丈夫ではなかった」 一呼吸おいて、再びパンドラは語り始めた。ただ事実を突き付けるように、淡々と。 月の光を浴びて銀色に光る睫毛を伏せながら、ただ言葉を紡いでいる。 「神も予想以上の人間界の荒れ方に困惑したの。そして、その責任を追及されたのが元凶であるパンドラ、私よ。私は散り散りになった厄災を、全部は不可能だったけれど集めたわ。そしてまた箱の中に詰めた」 一度外に出したものが大人しく閉じ込められてくれるとは思えないが、それでも外界に放置するのも問題だったのだろうか。 「でもね、そうしたら希望の光が弱くなってしまって。厄災の色が濃くなるばかりで、定期的に厄災を浄化する必要が生まれた。強すぎたのよ、箱に押し込めておくには」 「へぇ、で、俺に浄化とやらをしてほしいと」 「そういうこと、でもね、厄災を背負っているのはあなただけじゃないわ」 「一人で全部の浄化は不可能ってわけか」 「勘がいいのね、その通りよ。今回浄化するのは十七個の厄災。二十個が限界値だから、それなりに多いわ」 この「厄災」とやらを背負わされた人間は確実に存在する。これは九斗の予想だが、各々異なる厄災を手にしているのだろう。そうでなければ、このシステムが成り立たない。 「厄災を付与する、その代わりあなたには戦う力が与えられるわ。そしてその手に全ての厄災が揃うとき、願いは果たされる」 「なんだそれ、ゲームかよ」 「聖戦、とでもいっておきましょうか?」 「そんなの、お断りだ」 「あら、意気地がないのね」 「悪かったな」 話の通じない人外の相手に疲れて、九斗はベッドに腰を落とした。このまま立っていたら腰を抜かして床に転がってしまう。 願いが無いわけじゃない。むしろ、なにかに縋りたいとさえ思っていた。今を変えたい、こうあればいいのにという未来を描かない人間など居るのだろうか。 「確かにあなた自身の安全は保障できないけど、対価には代償がつきものでしょう?」 何かを掴むには代償が必要、といっても行き過ぎだ。生きるか、死ぬか。そこまでしなければいけない理由も、九斗に対するメリットもまだ分からないのに、戦えとは、やはり常軌を逸している。 選択させるように見せかけて、九斗を誘導しているパンドラが、このまま引き下がりそうにもない。最悪この場で消されかねない。どのみち待っているのはいい方向への道筋ではないだろう。 ――どうする、どうしたらいい 願いを叶える代償。九斗自身の安全は保障されない。九斗は自問自答を繰り返していた。ただ平凡に暮らしていたいだけだった。 願いは罪なのか。こんな些細な願いを叶えるために戦わなければいけないのはなぜなのか。 ――それなら、俺になにかあったら…… 「兄さん、兄さんがやらないなら私がやる」 ドアが開く音がする方を向くと、パジャマ姿に寝ぐせがついた妹が立っていた。こんな状況を一番見せたくない妹が、真っすぐこちらを見ている。 「瑪空(めあ)、なんでこんな時間に」 「部屋、隣だもん。これだけ騒いでたら起きるよ」 「それは、ごめん」 起こしてしまったのは九斗自身のせいだとしても、一番聞かれたくないというか、巻き込みたくない瑪空がこの場を目撃してしまった以上、退路を断たれたようなものだ。 瑪空は、躊躇なくこの糸に手を伸ばしてしまう。間違いなく。それがどれだけ自己犠牲を払うものであったとしても、危険だったとしても。 「ねぇ、それ私じゃだめなの?」 「うーん、ある程度適正を測って選定してるから……でも血縁者なら」 「おい、瑪空がそんなことする必要ないだろ」 予想通りだ。だから見られたくなかった。九斗と違って、瑪空は強い。まだ中学生で、女の子の瑪空に比べると腕力そのものでは九斗に軍配が上がるが、希望を掴もうとする強さは彼にないものだ。 だからこの幽霊みたいな女が、瑪空じゃなくて九斗のところにきたのはある意味都合がよかったのだけれど、こうなってしまったら九斗が地獄を見るしかない。 「私には願いがある、だから」 「お前にこれ以上背負わせたくないんだよ」 大きくため息をついた九斗は、ベッドからら立ち上がった。 ――瑪空、いつもごめんな。お前が強くならなきゃいけなかった理由の一つは俺の弱さだ。だから、こんなことまで背負わないでくれ 九斗が気丈に振舞っているのは、虚勢でしかない。ハリボテだとしても、弱くても、妹を危険から遠ざけられるのならそれでよかった。 「おい、パンドラ。その厄災とやら、俺が引き受ける」 「あら、麗しい兄妹愛」 くすくす、と笑うパンドラは美しいはずなのに、悪魔が魂をむさぼっているような邪悪さを醸し出していた。俺はいったい何に巻き込まれようとしているのだろうか。 「早くしろよ」 「では、願いを」 パンドラは、九斗に手を差し出した。これは、手を取れという意味なのだろうか。 九斗はその手を取って、口を開いた。 「平凡な、平和な暮らしを送りたい。それがまやかしであっても」 「わかったわ。箱の番人、パンドラが命ずる。神殿九斗、あなたに付与します、悪夢を」 これが始まりで、終わりなのかもしれない。 夢なら、よかったんだ。
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