平城ミコト

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平城ミコト

1 目が覚めると、いつもと変わらない天井が視界に広がった。昨晩の非日常が嘘みたいな、九斗の自室だった。ベッドサイドに置かれたデジタル時計を確認すると、午後九時を回ったころだった。瑪空はすでに登校している時間帯だ。というより、全日制の学校に通っているなら、この時間の起床は間違いなく遅刻だ。 九斗の通う学校は全日制ではないため、あまり関係がないからこそ、時間の概念が曖昧になりがちだ。 今日は通学日でもないし、その通学日だって月に二回程度だ。それにしても、昨晩のあれは本当に現実だったのか。そう思えてしまうほどには、夢想的な時間だった。 いくら通信制とはいえ学生の身、自宅で大人しく勉学に励もうとベッドから起き上がった。子どものころから配置の変わらない部屋の、小学校の入学時から使用している見慣れた学習机の上に、いつもなら存在しないものが目に入った。 「……へぁ⁉」 何の変哲もないただの正方形、それも手のひらサイズだ。 うっすらと紫色に染められていて、どこか欧米の彫刻を想起させる装飾がなされている。これは、薔薇の彫刻だろうか。九斗自身が美術に疎いせいで、このモチーフがいったい何を表しているのかは不明だ。 ただ、昨晩が現実であったことの証明がなされてしまった。それだけだ。パンドラか名乗った謎の女と九斗は契約したのだ。正確に言うと、厄災の付与。 厄災は悪夢、そして、九斗と同じように厄災を付与された人間がいることも説明していった。 『厄災を持つ者同士はお互いを引き合うから、そのうち顔を合わすことになるわ』 人間の命など虫けらと大差ない、というほどにはパンドラの態度は軽薄だった。九斗には悪夢が付与されたが、適性が、とパンドラが口を滑らしていたことを考えると、各々が適合する厄災が与えられている、と考えるのが適切なのかもしれない。 パンドラ曰く聖戦。ルールについて最低限の説明しかしないまま彼女は去っていった。そのおかげで九斗は大混乱だ。 その1 厄災を付与された者は、厄災とその個人の願いに呼応した「能力」が与えられる その2 願いを叶えるためには厄災を全て集めなければならない その3 厄災を手にする際の手段は問わない その4 単騎での戦闘が困難な場合、眷属をもつことも可能だが、個人の資質により眷属の能力値は左右される。尚眷属は厄災の能力は使用不可である ゲームにでもありそうなルールだ。簡単に言えば「殺しあえ」ということだ。物騒すぎる。 世界というのは、優しくはできていない。「平凡に、平和に生きていきたい」という九斗の願いさえも、はるか遠くに感じるほどには。 昨晩のことでまだ混乱しているが、非現実に囚われて、現実をないがしろにしてはいけない。瑪空が朝食を作ってくれているはずだろうし、食べないと食事が無駄になってしまう。 階段を下りて、リビングに入る扉を開けてもがらんとしていて誰もいない。祖母は部屋に引きこもっているのだろう。九斗も引きこもりがちではあるがコンビニ程度の外出もするし、家の中では比較的自由に振舞っている。祖母は比べ物にならないほど、部屋からでてこない。 テーブルの上には目玉焼きとベーコンを焼いたものと、「コーンスープは棚の上 パンは自分で焼いて! めあ」というメモが残されてあった。両親亡き今、家事のほとんどは瑪空が担っている。兄として情けないと思いつつも甘えてしまっているのが現状だ。年長者である九斗のほうが多く負担するべきなのは彼自身理解しているが、どうにも甘えてしまう。 九斗の家族は、二つ年下の瑪空と、祖母だけだ。両親は、二年前に事故で死んだ。それ以来、祖母は部屋に引きこもり、九斗も今のような生活になっていった。 パンを焼く気力もなければ、スープのために湯を沸かす気力もない。とりあえず瑪空が作ってくれたものは食べるとしよう。 やっぱり課題をする気にもなれないし、昨日のことを忘れるなんてできない。 ベーコンと目玉焼きを口に放り込んで、九斗は自室に戻った。机に置かれた謎の箱、宝箱のようなデザインをしているくせに、どれだけ手を尽くしても、力の限り引っ張ってもびくともしない。 思考を回すことに疲弊したのか、九斗は大きくため息をついた。 ――考えても答えなんて出ない、やめだ、やめ 手に収められていた箱をズボンのポッケに入れて、九斗はベッドにダイブした。さっきまで現実を大切にしようとかほざいていたが、人間は非日常の前ではあまりに無力だった パンドラのせいで寝不足だ、と考えながら、九斗の瞼は徐々に落ちていった ――寝よう。せめて瑪空が帰ってくるまで、そしたら夕食作るのくらいは手伝って、そんで…… と、九斗が思っていたのは事実だ。ただ目が覚めたら外が真っ暗になっていただけで。まだ五月なのにこの暗さ、ということは確実に八時は過ぎている。瑪空も当然帰ってきているだろうし、完璧にやらかしている。 九斗は姿を消しながらそろっとリビングに降りると、瑪空がバラエティ番組を見ていた。 ――よし、この調子で近づいて、謝ろ…… 「兄さん、やっと起きたんだ。ノックしても反応ないから出かけてるのかと思った」 九斗が出かけることなどほとんどない。それをわかってうえで瑪空はこういってのけた。 「すんません」 「いーよ、別に。冷蔵庫にシチュー入ってるから、温めて食べて」 これは罠だ。一見許しているように見せて、かなり怒っている。瑪空は、九斗と一緒に食事を摂りたがる。親が居なくなって、残された兄妹でくらい家族団らんをしたいのだろう。まだ中学三年生、難しい年ごろなのにいろんなものを犠牲にさせてしまっている。それなのに九斗食事をすっぽかしたのだ。さぞ、瑪空は怒っていることだろう。 「そういえば、兄さん」 瑪空が心なしか真面目な表情をしたものだから、九斗は反射的に「怒られる!」と感知した。 「すんませんでした、アイスでも買ってくるから!」 高らかにそう宣言して、俺はリビング、そして玄関から飛び出していった。 「ちょっ、そこまで怒ってないって! それより昨日の……行っちゃった」 瑪空の声が、背中越しに聞こえていたけれど、九斗はそのままコンビニへと向かった。幸い小銭程度は部屋着のポケットに入っていたし、アイスクリームは無理にしてもラクトアイスくらいは贈呈できることだろう。
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