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あの夜から一夜明け、再び夜が巡ってきた。
――さて、状況を整理しよう。
瑪空がテレビでも見ているのだろう、一階からは雑音に近い芸能人の話し声と、SEが聞こえてくる。日常的な音の中、九斗は自分専用のノートパソコンでワードと睨めっこしていた。頭の中であれこれ考えたり、紙に書きだすのは性に合わないし、追加の情報だってまだまだ出てきそうだし、それならデジタルの力を借りた方が楽だ。
まず、この戦いは死人が出るほどには苛烈だ。パンドラの「手段は問わない」というのは本当らしい。そしてあの呪文を唱えると謎の悪趣味衣装に変身できる。不思議なことに武器まで生成できて、その使い方までマスターしているときたもんだ。殺しあえ、そう仕向けられている、そう考えて間違いないだろう。
『我、悪夢を司るもの。我に力を与えよ』
冗談じゃない、と叫びたい気分だけど、戦う覚悟も、命を懸ける気概もないくせして厄災とやらを引き受けた九斗の責任でもある。自分のせい、確かにそうかもしれないけど、納得できないのも事実だった。
感情まで頭で制御できたら誰だって苦労しない。そんなことが出来たらもう人間じゃない。
「こんなの、瑪空には任せらんないしな。俺でよかったのかも」
瑪空がこんなことに巻き込まれたら、と考えると文字通り背筋が凍る。目立ってシスコンというわけではないが、瑪空は両親がいない九斗にとってはただ一人の家族と言っても過言ではない。
大切な妹をわけのわからないことに巻き込みたくない、そう思うのは自然なことだろう。それは、きっと瑪空にとっても同じだ。生き残らなければいけない。あの子を独りにはしたくない。九斗は生きていたいわけではない。瑪空を独りにしたくないがために、生き残ろうと足掻いているだけだ。
「っても情報がなさすぎる、正直能力とか言われてもわかんないし、パンドラもあれっきり出てこないし」
九斗の口からは、無意識のうちにため息が零れた。圧倒的な情報不足、これはかなり痛手だろう。厄災を付与された人間のことを保有者と呼ぶこと、保有者はボックスと呼ばれる箱を所有していること。
厄災を集めると願いが叶う。厄災は保有者に付与されていると考えると、この箱が厄災と何か関係がありそうだ。
戦いは、情報の有無で決まることだって少なくはないはずだ。厄災同士が引き合うというなら、九斗はまさにいいエサでしかない。
さて、どうするか。考えて答えが出るなら苦労しないが、考えないよりましだろう。
ノートパソコンの画面から発せられるブルーライトは容赦なく九斗の眼球を刺激したせいで、簡単に言うと疲れていたのだ。
――厄災を手に
わからないことだらけだ。九斗は疲労に耐えられなくなった身体を椅子の背もたれに預けた。ぎぃという音から、この椅子に年季が入っていることがよくわかるな、なんて考えながら机の横にある窓に視線を映した。曇った空がガラス越しによく見える。今日の空は黒いな、と思った矢先、見覚えのある金色が急に視界に入った。
「え、ぇえぇ!?」
情けない声を上げて椅子から転げ落ちた。間違いない、ミコトだ。いつの間に現れたのか、そもそもここは二階だぞ、とか色々な思考がぐるぐると回るけれど、情けないことに九斗の身体は動かないままだった。
そんな彼を見かねたのか、ミコトは吐息でガラスを曇らせて「カギ、開けて」と簡素なメッセージを指先でつづった。
意図が分かった分安心した九斗はなんとか起き上がり、彼女の指示通りに窓の鍵を開けると、なんの容赦もなく彼女は部屋に侵入した。いつぞやのパンドラを彷彿させたが、ミコトは鍵を開けるように指示したところから、やはり人間だ、と妙に安心した。
「昨日以来ね、話したいことがあるから上がらせてもらうよ」
「ってかよく家分かったな」
「神殿、って名前珍しいし。あの辺に昨日いたなら家も離れてないだろうから、一軒ずつ見て回った」
「地道だな……」
「私、魔法使えるわけじゃないし」
魔法じみたものではあるが、パンドラに付与された能力はあくまで狭い範囲のようだ。
相変わらず煌びやかな服に身を包んだミコトは、狂気の沙汰としか思えない行為を当たり前のように語った。
「んで、話したい事って?」
「パンドラと、厄災、そんでこの戦いについて。あんた何も知らなさそうだし」
「……それって俺に話していいのか?」
戦いには情報が必須、それくらいはミコトだって理解しているだろう。それでいて九斗にミコトが知り得ることを提供する、というのは何か裏でもあると勘繰ってしまう。
「殺したくない、死にたくないって言ったでしょ。それは私も同じだし、殺さなかったのは、私が知る限りでは私とあんただけ。だから、協力してやってもいいって思った。それだけ」
「ミコトも、殺してないのか」
「それだけの度胸はなかった、ダサいけどさ。なんとか逃げ回ってたけど、あんたなら殺せるかなって近づいた」
「しれっと怖いこと言ったな、今」
「だって、私は殺したくない、より、死にたくない、だもん。怖いから逃げてた、皆強いから。新参の保有者ならなんとかなると思ったんだけどな」
「震えてたくせに……」
何人の人間が厄災を付与されているのか、九斗は把握していないが、ミコト自身がそう言うのであれば。彼女よりも戦闘力は上なのか。ぞっとするが、それが現実というなら受け入れるしかない。
「だから、あんたとは一時休戦、協力したい。願いを叶えたいってギラついてなさそうだし」
ミコトはラグの敷かれた床に腰を落として、九斗をじっと見つめた。なんだかんだ、人を見る目というか、相手がどんな人間か推し量ることができる子なのだろう。
九斗の臆病さや、怖気ついているのにも気がついてそうだ。
「わかった。俺も情報が欲しいし、とりあえず同盟関係ってことで」
「というか、九斗はこれからどう動くわけ?」
「……まだ詳しくは何も。情報が少なすぎて」
――漫画やゲームなら、ここから主人公がボックスの争奪戦に身を投じるんだろうな
九斗は、自分が主人公であるとはまったくもって思えなかった。精々脇役。いや、脇役にもなれない、チュートリアルで殺される役どころだ。
「じゃあ、今から簡単にこの戦いと、私らが置かれている状況について説明しといたほうがいいね。私も全部を理解してるわけじゃないけど」
「そうしてくれるとありがたい。まずさ、これってゲームかなんか?」
「バカなの? そんなわけないでじょ。てか最初にパンドラに説明されたこと忘れたわけ?」
ミコトは目を大きく見開いて「信じられない」という言葉を顔面に張り付けていた。
「最低限しか説明されてないし、わからないことが多すぎるし、こんなゲームよくあるじゃないか」
事実、九斗が聞かされたのは四つのルールのみだ。あとは謎の声に突き動かされた、あの現象。それ以外の情報はゼロだ。
「……残念だけどこれは現実。あと戦いについてだけど、あのルールが基本。あとは能力なんだけど、これは個人差があるからあんたの能力は私にもわからない」
「あの変身みたいなのが能力じゃないのか?」
「あぁ、あれはただの身体能力上げるのと、お互いが保有者だって分かるようにって理由らしい。あとは現実世界から切り離されて戦いに集中するためなんだってさ。武器も能力に近いけど……詳しくは知らない。本人の資質に合わせて顕現してるみたい」
らしい、ということは彼女も確証はないのだろうか。そもそも、どうやってそんな情報を手に入れたのか、不思議でならない。パンドラは小さな情報を各保有者に小出しにしているのだろうか。
「能力は、こんな感じ」
そう言った直後、ミコトの表情が険しく変化した。彼女が右手で、物を薙ぎ払うかのような動きをしてみせたら、その動作に同調するように激しく炎が立ち上がった。赤く、血のような炎が、小さな部屋の中で燃え盛っている。
「燃えてるって、火事! 俺んち! 火事!」
「そのくらいのコントロールはできるから、うるさい。触ってみれば?」
九斗は恐怖を隠しもしない様子で恐る恐るミコトが操る炎に指先で触れてみた。火なんて、人間の本能で避けたくなってしまうから、それこそビビり散らかしながら、ゆっくりと指を炎に沈めた。
「あ、熱くない、し、焦げ臭くもない」
「騒ぎすぎなのよ。んで、これが私の能力」
炎の生成と、操作、と言ったところだろうか。これほどまで人間離れした能力を与えられている、それを使って戦う、というのは流石に現実か疑いたくなってくる。
「私の知ってる保有者は二人、でもまだいるっぽい。その二人は一緒に行動してるから、あんた一人で出くわしたら確実に死ぬ」
「一人での戦闘はお前にも厳しかった、ってことか」
「そういうこと。あの子らは普段から一緒にいるし、他人にはマジで容赦ないから。とくに緑髪はヤバい」
「というか、眷属を持てるのに保有者同士でつるんでんのか」
「あー、あの二人は特殊ケースでもあるんだけどね。見たら分かるけど、しばらくは出くわさないことを祈りたい」
保有者同士の同盟も特殊と言っても存在はしているのか。そうなると眷属の意義は、無に等しいのではないだろうか。
「ミコトは眷属いないのか?」
「眷属なんて好きでなる奴いないでしょ。巻き込まれるだけだし、能力は使えないし」
「なるほど、それもそうか」
眷属なんてのはただの巻き込まれ損ということになる。それなら保有者同士で協力する方が現実的、というのは間違ってはいない。
「んで能力使うのと、変身に必要なボックス」
ミコトは腰のベルトにつけられていた収納ケースから、やや赤みを帯びた箱を手に取って九斗の前に差し出した。九斗もミコトにつられてポケットにしまい込んでいた箱を取り出して二つのボックスを交互に見ていた。同じ薔薇の刻印。九斗の者は紫がかった色味だったが、ミコトのものは赤みを帯びている。
「これ自体が厄災らしいけど、私も詳しくは知らない」
「なるほど、こいつがないと俺らはなんもできないのか」
「このボックスを集めるのが、願いを叶える条件。厄災を全て手にしたらってのはそういう意味」
手に集める(物理)じゃないか、と九斗は叫びたくなった。あまりに物理で笑ってしまいそうだ。なんなら、もう笑っていいんじゃないだろうか。
――ボックスが厄災、それを集めることが勝利条件
――保有者の生死は関係するのだろうか
「正直なところ、私が知ってるのはこれくらい。パンドラも説明は最低限だったし、戦ってるときにちょくちょく相手が言ってくることとか、頭の中で話しかけてくるのをつなぎ合わせただけだから確証はないけど」
「わからないことが多すぎるな」
「残念だけど、現状はこんな感じ。あと……まだ能力さえわかんないあんたと行動するのなんて、めちゃくちゃ賭けだから」
分からない、そのまま前に進むしかない。それでもミコトという戦力が加わったのは九斗としてはありがたいことだ。寝首を搔かれる可能性は否定できないにせよ、自分の身も守れない九斗と、少なくとも能力をコントロールできるミコトなら、彼女のほうが戦力として上なのは間違いない。
「能力、使えるように、ならないとなぁ……」
「まぁ、嫌でもそのうち使わなきゃいけなくなるけど」
ミコトは再び立ち上がって、九斗の前に立ってみせた。この線が細くて、骨ばった印象を受ける肉体で、あのパワーとたたき出していたのか。ミコト元来の身体能力が高かったとしても、九斗の身体能力もかなり向上しているのだろうかという希望は持てる。
「それでだ、ミコト、俺に付き合ってほしいことが」
変身した状態での手合わせ、実力は図っておくに越したことはないだろう。それならミコトが一番適した相手だ。
「な、なによ、突然気持ち悪い」
「気持ち悪いはないだろ」
九斗よりは幾ばくか幼い顔立ちをしかめて、可愛いんだか怖いんだか、よくわからない顔でミコトは重心を後ろにずらしていた。年上の九斗が一歩引けばいいのだろうけど、なんだかそれはそれで癪で言い返してしまう。
「あんた言いかたが陰気なんだって、そのくせ妙に叫んだり早口だったり」
「……悪かったな」
しばらく家族以外と会話していないせいもあるのだろう。これは反省した方がいいと九斗は自分の態度を顧みた。
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