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「んで、要件があるなら……」
ミコトの言葉は、ドアをノックする音で遮られた。
――マズい、これは、エマージェンシーだ。
「兄さん、騒がしいけど、何かあった?」
このままでは瑪空が部屋に侵入してくる。そしてこの状況を見たら、どういった反応をとるのかなんて明白だ。
「えっと、妹? 変身してるときは一般人には知覚されないはずなんだけど」
「俺が変身してないから? それなら俺が一人で騒いでたことにして」
がちゃり、とドアが開かれた。その瞬間、案の定瑪空の目線はミコトと九斗を行ったり来たりして、徐々に顔が青ざめていった。
「え、なに、兄さん彼女いたの? うそ、マジか。てかその子コスプレ? ちょっと待って、追いつかない、どういうこと、これ」
「私が、見えてるの……!?」
驚愕する瑪空と、そんな瑪空を見てこれまた驚きを隠せないミコトという図は、かなりシュールだった。どういう状況なんだろう。コスプレじみた格好の女の子と、引きこもりの兄、瑪空からしたら理解不能空間に間違いない。
「瑪空、落ち着け。ちゃんと説明するから」
「わ、わかった。とりあえず挨拶した方がいい?」
困惑しつつも、兄の客人だという事実は理解したのか、瑪空はこわばった表情で九斗に問いかけた。この状況で挨拶、という選択肢が浮かぶ肝の太さは中学校三年生にしては大人びすぎている。
「私から名乗るべきでしたね、あとこの服も元に戻した方が分かりやすいですし」
ミコトは派手な軍服をモチーフにしていると思われる衣裳から、いたって普通のセーラー服へ着替えが完了した、それも一瞬で。
「あれ、うちの制服」
「言われてみれば、桜が丘第一中の制服だ」
ミコトが纏うセーラー服は、九斗の母校でもあり、瑪空が現在進行形で通っている公立中学の女子制服だった。ポニーテールに変わりはないが、白いリボンがシンプルなヘアゴムに変化し、心なしか髪も短くなっている。
「学校はこれでわかると思いますが。二年の平城ミコトです」
「じゃあ後輩になるんだ。私は神殿瑪空、三年」
学年が違うのなら面識がなくても不思議ではない。にしても瑪空が知らない人を見るような雰囲気ではないのがなぜだろうか。瑪空は帰宅部だから、部活の後輩というのも存在しないし、とくに交友関係が広いわけでもない。
「平城、さん。平城ミコト。もしかしてさ、去年陸上部でめちゃくちゃ表彰されてなかった?」
「知って、るん、ですね」
どこか硬くなったミコトは、今までの傍若無人さが嘘のように借りてきた猫のようだった。
「私らの学年でも有名だったよ、長距離ですごい子が入ってきたって」
「……まぁ、そうですが」
徐々にミコトの覇気が消えていく。不自然なくらいに。もしかして触れてはいけないことなのだろうかと、九斗は口数が少なくなっていくミコトを視界に入れながら考えていた。
「とりあえずさ、なんで瑪空はミコトが見えてたんだ?」
「あっ、そう、それ。保有者でも、眷属でもないんだよね?」
瑪空は少なくとも保有者ではない、九斗に悪夢が付与されているのが何よりの証拠だろう。ではなぜミコトの姿が見えていたのか。
「えっと、パンドラの件で、二人は話してたの?」
「勘がいいな、当たりだ」
――流石、我が妹。勉強は苦手なくせして、頭の回転は速い。
「あのさ、もしかしてだけど、パンドラが厄災を与えるとき瑪空さんもいた?」
「あぁ、その場には」
「まさかとは思うけどそのとき瑪空さん、私も戦いたい、とか、そんな感じのこと言わなかった?」
『ねぇ、それ私じゃだめなの?』
『私には願いがある、だから』
九斗はミコトの発言で魔法がかかったように凍り付いた。そもそも瑪空は、九斗の代わりに保有者になるとまで言ってしまっていた。部外者に変身した姿は見えない、瑪空は保有者ではない、そうなると考えられるのは。
「もしかして、俺の眷属に、なってんのか……?」
「この状況から考えて、そうだろうね」
まさか知らぬ間に巻き込んでいたとは。九斗はその場で膝から崩れ落ちて、しばらく立ち上がれないほどの絶望感に打ちひしがれていた。関わらせたくなかった。それが九斗自身のエゴだったとしても、瑪空には安全な場所にいてほしかった。
パンドラは瑪空さえ巻き込んでしまえば九斗が逃げないと確信していたのだろう。瑪空が「戦う」と意思表示してしまった以上、こちらにも非があるのかもしれないが、それでもあんまりだ。
「兄さん、よく分かんないけど、眷属ってこの前パンドラが言ってたのだよね。なら私、兄さんと一緒に戦うよ」
「お前、自分で何言ってんのかわかってんのか⁉」
九斗は瑪空の両の肩を強く掴んだ。戦うなんて、もうこれ以上瑪空を戦わせたくなんかない。
「お前は、父さんと母さんが死んでから、泣き言一つ口に出さないで、ずっと戦ってきただろ。もういいじゃないか。これ以上、お前が犠牲になるなんて」
「でも、兄さんは今から戦わなきゃいけないんでしょ。兄さんが死ぬくらいなら私が死ぬほうがマシ。もうあんな思いはやだよ」
――父さんと母さんが死んで、俺もこんなんで
瑪空にばかり我慢と負担を強いてしまっていた。九斗の責任でもあるのに、瑪空は九斗を責めたことは一度たりともない。そうやって一人で戦ってきたんだ。
「そんなこと、言わないでくれよ。俺を責めてくれよ、ゴミだって、役立たずだって、弱虫で迷惑だって」
パンドラに指名されたのは九斗だ。九斗が騒ぎさえしなければ、瑪空を巻き込むことだってなかった。全て九斗のせいなのにもかかわらず、瑪空は九斗と行動を共にすることを選ぼうとしている。
「兄さん。私は兄さんが生きてくれるならそれでいいの。だから……兄さんが命を懸けるなら私もそうする。それだけ」
「嫌だ、そんなの、俺は」
「おいて行かれるのはもう嫌なの。兄さん、分かるでしょ?」
そんな感情は、九斗も瑪空も嫌というほど味わった。なにもできないなかった無力さも、疎外感も。九斗たちの両親は、事故で死んだ。二人で買い物に出かけた帰り道、居眠り運転のトラックに追突されて、そのまま即死だった。家で留守番をしていた九斗と瑪空、祖母は、警察からの連絡で両親の死を知らされた。
まだ中学生だった九斗は、未成年だからと喪主にもなれず、文字通りなにもできなかった。本当に、なにもできなかったのだ。
娘の死を受け入れられない祖母と、そこから引きこもってしまった兄を目の前にして、それでも絶望に屈しなかった瑪空が、自分にできることが見えたならもう止めても無駄かもしれない。
それに、九斗に瑪空を止める資格はない。
「止めても、やるんだな」
「うん、私、頑固だから」
「知ってるよ」
てこでもうごかない。瑪空の黄金色の瞳は強い意志を携えて九斗と視線を合わせている。
「眷属がどうとか、そもそもこのゲームの意義とか、まだわからないことの方が多い。かなり不利な戦いになる、んじゃないかな」
「私も協力はするけど、あくまで九斗と私は保有者同士だから。仲良しこよしじゃいられないしね。とりあえず、やれることから。情報集めながら動いていこう」
しばらくはミコトが頼りの綱だろう、しかし九斗も焦らなくてはいけない。瑪空が眷属となると万がいち九斗に何かがあったときに、瑪空への影響が計り知れない。早く戦力として、最低でも身を守れるようになるのが最優先だ。
「とりあえず、ミコトちゃん、よろしくね」
「こちらこそ、あとミコトでいいです」
「じゃあ私のことも瑪空でいいよ。先輩後輩気にしてたら戦えなさそうだし」
瑪空がミコトに手を差し伸べて、ミコトは少しだけ先輩と握手をすることに抵抗があったのか少しだけ空気が停滞したが、最終的に瑪空の手を取った。
「とりあえず、俺の能力が分かるまで平穏だといいんだけど」
「兄さんなら、なんとかなるよ」
我儘というか、危機感がないというか、そう思われたっていいから、とにかく平穏に日々が過ぎてくれることをただ祈った。
「そうだといいんだけどな」
自虐を込めて、九斗は吐き捨てるように言った。
「瑪空、お前は何があっても守るから」
小さいようで大きな決意を口にした九斗は、硬く右手を結んでいた。
その言葉は誰にも届くことなく、九斗の中で消化されていった。
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