平城ミコト

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「兄さん、休日くらい洗濯もの干して」 デスゲームの真っ最中だというのに、瑪空はいつもの休日らしく洗濯やら掃除に勤しんでいる。もちろん彼女がこれらを放棄したら我が家はたちまちにごみ屋敷と化するので、ありがたくはあるのだけれども、にしてもいつも通り過ぎるので瑪空の肝の据わりかたは類を見ないのかもしれない。 「ミコト、今日も来るんだったら部屋の片づけでもしてて、手伝わないなら邪魔!」 「悪かったって……」 リビングから締め出された九斗は、大人しく自室の片づけでもしようと階段を上がった。 ミコト侵入事件から約一週間、あの夜、俺は彼女に頼み事をした。能力の覚醒のために、手合わせをしてほしいと。 嫌そうな顔をしつつも「私も乗り掛かった舟だしね……」と了承をしたミコトは、瑪空の後輩として度々神殿家を訪れるようになった。夜は保有者同士の戦闘が激化するため、訓練は昼間に、人気の少ない公園で行うことにしている。戦闘ではないが、変身すると外界から遮断される機能は作動するようで、なんというかご都合主義だ。 実践的な模擬戦闘を主に行っているおかげか、武器の扱いはこなれてきた。ミコトは能力と武器を自由自在に使いこなしている。相変わらず九斗は、能力というものが無いかも分からないまま、日々を過ごしていた。 『能力、うーん……こう、なんか体の奥から出てくる感じで……こう、思うままに……うーん、言葉にできない』 ミコトはへばる九斗にそう言ってのけた。ますます訳が分からない九斗は、どうすれば能力が発現するのか分からないまま日々を過ごしていた。それでも身のこなしは少しマシになってきた、とミコトからのお墨付きを得たので、この訓練も無駄ではないのだろう。 瑪空とミコトは思いのほかウマが合うのか、九斗の訓練よりも二人で遊ぶためにうちに来ているのではないか、というほどだ。瑪空と同じ学校ならそう離れてはいないと予想していたが、まさか徒歩で十分程度レベルだとは思ってはいなかった。 瑪空がミコトを着せ替え人形にしたり、ゲームに勤しんだり、年頃の女の子らしくお喋りに熱中したりと、九斗が付いていけない遊びで女子二人は親交を深めているようだ。 多少帰りが遅くなっても、学校の、それ同性の先輩の家ならどうにでも誤魔化せるし、二人が仲良くしてくれるのは都合がいい。 それに、明るく振る舞って、きっと学校で同じだろうけれど、家族を優先して友達を家に呼んだり、休日に外出することなんてほとんどない瑪空が同年代の女の子に気を許している姿は、九斗も兄として嬉しくもある。 部屋を片すと言っても元からあまり散らかす方ではないし、精々机の上の参考書やノートを本棚に戻す程度しかやることがない。瑪空もそれを承知で「部屋に戻れ」といったのだろう。 気を使わせてしまっている、二歳年下の妹に。ミコトが来るまで休んでおけ、と遠回しに伝えたかったのだ。今日は土曜日、現在時刻午前十一時。昼食もうちでとることが多くなっているミコトは、そろそろやってくる。そのうちインターホンが鳴って、瑪空の軽快な声が聞こえてくるはずで、瑪空が作ったグラタンを三人で食べる。祖母の分も瑪空が部屋に運んで。 新しい日常が続いて欲しいという九斗を無視するかのように、ガシャン、という大きな音が彼の鼓膜を貫いた。金属とはまた違う、こまやかで、張り詰められた薄いものが割れる音だった。 同時に、頭の中にぴりっとした違和感が流れ込んだ。視界の端に映るガラスの破片と緑色の長い髪に意識が向いて、この部屋唯一の窓に視線を移した。 なぜ皆窓から侵入するのか、玄関が存在するというのに。とげとげしく割られた窓ガラスから、飛び出してきたのは新緑の長髪を高い位置で二つに結った、柔和な雰囲気の美少女だった。 九斗にとっては瑪空が一番可愛いが、この少女の容姿の整い具合は端正に仕上げられたビスクドールのようで、表情に生気が宿っていないのにも関わらず柔らかな印象を受けるのは、大きなたれ目のせいだろうか。翡翠の瞳を開いた彼女は、部屋の中で仁王立ちしていた。 ツインテールを飾るオレンジのリボンに、髪色と同じ緑基調としたメイド服に近いエプロンドレスを身に纏っているが、魔法少女のような可愛らしい容貌とは似つかわしくない目をしている。外見に騙されそうになるが、殺気が瞳の奥から隠されることなく九斗に向けられている。ミコトとは違う、明らかに殺しにかかっていた。 「我、悪夢を司るもの。我に力を与えよ!」 ミコトが来るとわかっていたから、スウェットのポケットにボックスを忍ばせておいて正解だった。とっさにポケットの中に手を突っ込んで、薄ら寒い言葉を発した。好きでこんな中二で卒業した方がいいようなことを口にしたいわけではないが、このままじゃ待合なく死は目前だ。何より九斗も変身しないと家が木っ端みじんになる。 ――変身している間は外界に干渉しなくなる 仮に戦闘でこの部屋がぐちゃぐちゃになろうと、変身さえ解いてしまえば「外界」は元通りになることはミコトとの訓練で実証済みだ。訓練は主に室外だったが、狭い場所でも戦えるようにと近距離戦も行っていて正解だった。 「あんたが新しい保有者」 ミコトの凛とした声色よりも甘いはずなのに、冷たい声でそう言ってのけたこの少女は半円状の刃物、おそらくはチャクラムと呼ばれる物の一種らしき武器を両手に携えていた。おそらくこれで窓ガラスを割ったのだろう。 「どう見たって戦い慣れてないじゃない。なんでこんな奴がまだ生きてんの」 「さぁな、運がいいんだろうよ」 九斗がそう言ってのけると、緑の少女はケタケタと笑いながら腹を抱えていた。 「ははっ、確かにね」 何がおかしいのか、少女は笑い続けている。その様子が、なにか壊れてしまっているのかと感じるほどに、整った容姿と相まって人形じみていた。 「この辺りの保有者、私が殺したんだった! だからあんたは弱いまま生き残れたわけ。まぁ、それも今日までだけど」 『緑の髪の方はやばい』 いつだったか、ミコトがそう言ったのは。間違いなくその緑のヤバい奴はこちらの侵入者である可能性が高い。 「ってかお前単騎なわけ? 連れはどうしたんだよ」 半分はったりだ。九斗は実際にこの緑頭と、その相方を見たことがない。あくまでミコトからの情報でしか彼女らのことは認識していない。そもそもこの美少女がミコトが距離を置きたい、と言っていた保有者かも定かではない状況でこの発言は悪手だったかもしれない。 「はぁ? あんた凪沙に近づいたわけ?」 「どうだろうな、想像に任せるよ」 ビンゴだ。そして連れの名前は「凪沙」という情報まで零してくれた。もしかするとミコトは知っている可能性もあるが、あいにくこの状況で名前を引き出せたのはありがたい。 ミコトはまだ来ない。瑪空はそのうち気が付いて二階に上がってくるかもしれないが、巻き込みたくない以上できれば来ないで欲しい。ここはミコトが到着するまで九斗一人で対処するのが望ましい。 「あんた、ムカつく。さっさとボックス渡してくたばって」 「死にぞこないなもんで、お断りだ」 九斗の右手には変身と同時に鞭が握られている、相手の両手にもチャクラム。何よりのハンデは、九斗がまだ能力を覚醒させていないことだ。 「じゃあ早く死んでほしいからさ、サクッと殺されて」 彼女の右手に握られた武器が、その手から放たれた。さすがご都合主義な武器というべきか、九斗がいくら鞭で弾いても、フリスビーのように室内を自由自在に飛び回り、彼女の手に戻っていく。これは室内戦では圧倒的に不利だ。 自由自在に動き回る刃物が、九斗の右頬をかすった。血がじわり、と滲んでいるが、そんなことを気にしている暇はない。むしろかすり傷ですんだことを喜ぶべきだろう。 中距離戦向きの武器である鞭と、長距離から、あの形状であれば接近戦もこなせる半円状のチャクラムでは分が悪すぎる。なにより相手はすでに能力を使いこなせる可能性の方が高い。そんな相手と長時間一人で戦闘を行うのは自殺行為だ。 ――とにかく、家から出たほうがましだ。 鞭を緑髪の少女を通り越して、自室の窓に向かって振りかぶった。窓枠を破壊して、この女が呆気に取られたであろうこの一瞬を見逃さなかった九斗は、そのまま走って窓から飛び降りた。 瑪空には気付かれたと九斗は一瞬焦ったが、そろそろミコトも来るはずだ。どこかに凪沙とやらが潜んでいたとしても二人と二人。なんとかなるだろう。勝たなくていい。とりあえず撃退させれば九斗の勝ちだ。 とにかくこの少女を食い止める必要がある。食い止めないと、瑪空に被害が及ぶのは間違いない。 庭に下り立った直後、相手も外に出てきた。九斗も地面に着地した際に、脚に痛みが走った。気が付かないうちにあちこち切り傷だらけで、服に血液が付着していた。鮮血で染められた白いこの衣装は、どこか死を連想させた。 現状奇襲を受けていないとなると、凪沙はついてきていないか、長距離向きの武器を保有していない。どちらかで間違いない。 「逃げんなよ、クソが」 「俺は生来のクソ野郎だからな、どれだけ罵ってもらっても構わないぞ」 「だからそういう態度がムカつくのよ! 早く死んで!」 気が付いた時には手遅れだった。神殿家の庭はコンクリート張りで、雑草のわずらわしさからは解放されているはずだ。しかし唐突に現れた謎の植物のツタで足元を地面に固定されている。コンクリートから植物が生えることはある、それでもこれだけ急成長を遂げて、人間一人をその場に留ませられるほどの強度を持つツタは生えてこないはずだ。 「なるほどな、これが能力か」 「だったらなによ、今からその首切り落とすんだから。動かないでよね」 「動きたくても動けないっての」 少女はチャクラムを構えて、九斗に照準を合わせている。一撃必殺を狙っているのだろう、だが九斗も馬鹿ではない。 ――あくまで「足」はな。こいつも詰めが甘い。 なんとか手までは自由を奪われていないし、武器もまだ手の中にある。勝算は、三十パーセント程度か。とりあえずミコトが来るまで鞭で攻撃を撥ね付け続ける、もしくは。 「俺の能力」 九斗の厄災は悪夢、能力は願いと厄災が呼応することによって発現する。九斗の願いは、シンプルだ。 「ただ夢を見たい、平和な夢を。それが現実でなくても、まやかしでもいい。ただ家族がいて、学校に行って、そんな平和な夢を見たい。幸せな、夢を」 「はぁ? あんた何言って……」 それがどれだけ願っても帰ってこない過去だと理解している。だから、夢でいい。 「だから、お前も夢をみようぜ」 ――思うままに、か。こういうことだったのか。 心の底から、願いを叶えたいと渇望する必要があったのだ。それなら、模擬戦で能力が発現しなかったことにも納得がいく。 頭の中が焼かれている。ぐらぐらと、熱を持って思考が奪われそうだ。脳幹から、視神経まで熱が伝わってくる、今度は目の奥が熱い。熱い。熱い。九斗は、彼自身が今何をしているのか分からない。自分じゃない自分が動いているみたいで、やっぱり気持ちが悪いという感覚に飲み込まれそうになっているが、なんとか意識を保とうと必死だった。 ――俺って誰だっけ? ――俺は、俺の名前は。 「ちょっと、なにこれ。なんでお前がこんなとこにいるんだよ、おっ、お前は、お前らは、私が殺したはずじゃない。ちゃんとこの手で、なのになんで」 ――緑の女が何かわめいている、でも俺に向けてじゃない 「消えろ、消えろ、消えろよ!!!!!!」 女は己の武器で彼女自身を傷つけ始めた。つい一分前まで九斗を獲物にしようとしていたチャクラムは、少女自身の手によって彼女の脚を切り裂いている。 ――なぜ? ――どうでもいい ――俺の名前。俺の名前は 「我、戦火を司るもの。我に力を!」 聞きなれた声が、凛とした、それでいて澄んだ声が聞こえた。 「ちょっと! 何してんのよ!」 「やだ、やだ、私にさわんないで、殺す、ころす、コロ、ス」 少女はまだ喚いている、悲痛だ。その声は、九斗にしか届かない。保有者にしか聞こえない。誰も、保有者の存在には気が付かないのだから。軽いものだ、人間の命なんて。ちっぽけなものだ、人ひとりの存在なんて。 「ちょっと九斗、これどういう状況よ!?」 ――そうか俺の名前は 「ないと。俺の名前は、神殿九斗」 「あんた変だって! あんただけじゃない、あの双葉の錯乱状態って。ってか足縛られてるじゃん」 ミコトは九斗を縛り付けていたツタを燃やして、肩を揺さぶっている。一気に九斗の頭冷えた。さっきまでの熱量がどこへ行ったのかはわからないが、とにかく神殿九斗という人格が戻ってきた。神殿九斗、彼はそれ以上でも以下でもない。 「痛った……今のなによ、最悪、痛いし、気持ち悪いし、これがあんたの能力ってわけ?」 双葉というらしいあの少女は、自分で傷つけたズタズタの両足を眺めながらそう呟いた。足元には血だまりがつくられていることから、あの傷の深さがうかがい知れる。 「もしかしてとは思ったけど、九斗の能力で双葉があんなことになってたわけ?」 「た、たぶん。俺にもよく分からなくてな」 おそらく能力が発動したのだろう、そこまではなんとなく記憶がはっきりしている。しかし問題はその後だ。 ――俺は、俺の存在を忘れかけた。 「あー、萎えた、マジムリ。今日は帰る。そこの脳筋女も厄介だし、九斗だっけ? あんたの能力、最悪」 痛いはずの足を引きずることなく、双葉は近くの塀に飛び乗って、そのあと電柱へ飛び移った。双葉の虚ろな目線が九斗に刺さった。恨みがましいような、悲しんでいるような、曖昧な表情を浮かべながら双葉は立っていた。 「私、負けたわけじゃないから。萎えただけだから」 そう言い残して、双葉は空へ消えた。あの足の傷であれだけ動けるとは、この強化された肉体はかなりのものなのだろう。 「と、とりあえず、俺生きてるよな」 「うん、生きてるよ、生きてる。死んでない」 「俺は、生きてる。生きちゃって、る」 「生きてる。ちゃんと。私が保証する」 ミコトの手のひらが、熱がこもった九斗の額に触れた。左手は九斗の強張った拳を包み込んでいる。その感覚がより生きているという実感と共に、九斗をこの世に留まらせてくれたのかもしれない。 「よかった、死んでない。私のせいで、死んでない」 他者からの肯定に安堵したのか、九斗はその場に倒れこんだ。その後の記憶はない。ただわずかに残った目の熱さと、生き残ってしまった、生き残れた、という二律背反を抱えたまま瞼を閉じた。
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