平城ミコト

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4 目の奥がまだ痛い。その痛みに耐えながらゆっくりと目を開くと、今にも泣きだしそうな瑪空と、ただ眉を下げたミコトが九斗の顔を覗き込んでいた。体の下には柔らかなマットレスの感触があり、二人の背後に視線を移すと見慣れた自室の天井が目に入った。二人で自室まで運んでくれたのだろうか。右頬にはガーゼを貼られた感覚がある。ミコトと瑪空が手当までしてくれたのだろう。 「兄さん! やっと、やっと起きた!」 「瑪空……」 まだぼんやりとした感覚に包まれている九斗は、自身の右手を強く握りながら泣きじゃくる瑪空に視線を送ることしかできず、ベッドに横たわったままだった。 「びっくりしたわよ、ほんと。とんでもない無茶してるし」 静かにそう言ったミコトは、ベッドサイドから離れ、一度ため息をついた。そのままゆっくりと学習机に付属していた椅子に腰を落として、九斗と瑪空を傍観するかのような態度をとっている。冷静を装ったミコトではあるが、声がほんの少しだけ上ずっており、目線を床に落とし九斗を避けているようだった。 不安を隠すように仮面をつけようとしているのだろうけれど、ミコトには向いていないようだ。 「あいつって『緑のヤバい奴』であってるわけ?」 上体を起こした九斗はミコトに問いかけると、その両肩を瑪空に肩を押さえつけられた。不服そうな瑪空の橙色の瞳に睨みつけられながら再びベッドに押し戻された。 「兄さん、私を呼ばないで勝手に戦って死にかけたって?」 「瑪空、誤解だ。死にかけては」 泣き止んだものの、まだ目元が赤い瑪空を見ていると、九斗は自分のしでかしたことの重大性に気が付いた。 「ミコトが家に着いた時にはぶっ倒れたって聞いたけど?」 「それは……、まぁ、事実だけど……」 「ほんと、死んでなくてよかったよ。あんなの見せられたらさ、こっちも気が気じゃないって」 ――ミコトめ、今それは余計な一言だぞ。 「無茶しないでって、私も戦うって言ったのに。なんで兄さんは私を置いていこうとするの……? 私は、私は、兄さんに生きていて欲しいのに」 憔悴したような瑪空は、普段はどこか大人びて見えることが多いが年相応に見えて、やっぱり一人で戦ってよかったと思えなかった。巻き込みたくない妹を、ここまで追い込んでいるのは間違いなく九斗自身だ。命のかかった戦いだということを、九斗は頭では理解していてもどこか他人事だったのかもしれない。 「悪かった、でも今はなんともないから」 九斗は瑪空の頭を、ゆっくりと撫でた。兄妹おそろいの薄紫のショートヘアーは、彼自身よりも幾分柔らかくて、子どものころを思い出した。気が付いたら、九斗は泣いていた。 「生きてて、よかった」 「大丈夫、俺はちゃんと生きてるよ」 「よかった……本当に。……私、夕飯の準備してくるね」 瑪空は九斗の額にキスをして、部屋を出ていった。何か嫌なことや、不安なこと、心が乱れると料理をする瑪空が足早に夕飯の支度に向かった。 ――心配、させたんだな 生きている。それで瑪空が安心できるなら、死ぬわけにはいかない。この選択に九斗の意志は関係ない。 無理に大人になろうとする瑪空の姿は、痛々しいほどだ。九斗までいなくなって、瑪空が一人で取り残されることになったら、誰が瑪空を守るのか、誰か拠り所になるのか。 ――俺がバカだった。守るために死にかけてちゃ意味ないだろ 生きていたいわけではないけれど、瑪空のためにも死ねない。アンバランスな九斗の死生観は、やはりこの戦いにおいてはイレギュラーだ。彼は死にたい。死にたいまま、生きている。 「瑪空はそうでもないけど、九斗は死にたいの?」 「……なんで、そう思う?」 「だって」 一拍だけ置いて、この言葉を投げてもいいのかと思案しながら目を泳がせていたミコトが口を開いた。 「死にたくないとか殺したくないっていうわりに無茶するっていうか。自分から死のうとしてるみたい」 ――あながち間違っちゃいない ミコトに見えるほど、九斗は自ら死地へ向かっていたということだ。これは反省すべきだ、もっとうまく隠さないといけないと九斗は内省するのだった。 「俺、情けないな」 「うん、情けない」 はっきりと物申したミコトに九斗はたじろいだが、まだミコトは何か言いたげに九斗を見ていた。真っすぐと、情けないと言い放った相手へ向けるべきではないくらい芯のある目だった。 「私は九斗も瑪空も死なせる気なんてないから。諦めて」 「は、はは。そりゃ残酷だ」 「だって、あんな、あんな寝言聞かされたら」 「なんか言ったか?」 「……なにも」 一瞬だけ、ミコトの表情が泣きそうに見えた九斗だったが、すぐさまいつも通りの彼女の姿に戻ってしまっていた。 「ここからは九斗が聞きたいことを話すわ。あの緑のヤバい奴の名前は若草双葉、ちなみに私と瑪空と同じ学校。学年は二年で私の隣のクラス」 「思ってた以上に近くに保有者集まりすぎじゃないか……? あとセットの奴の名前は凪沙、で間違いはないな」 「保有者の密集、なにか意図を感じるけど……それがわかってたら苦労しないしね。甘樫凪沙のことまで引き出してたなんて、めちゃくちゃ無茶してるじゃん。私ももう少し詳しく説明しておくべきだったみたい」 「とりあえずミコトが来るまでどうにかする算段だったんだよ、そしたら」 「能力が発現した、ってわけね。それにしてもやりすぎ。言われなくても分かると思うけど、もっと瑪空のことも考えなよ」 九斗もよく分からないまま使ってしまったこの能力は、本人でさえ無我夢中すぎたのか記憶がおぼろげだ。 「私が来たころには九斗は双葉の能力で足が縛られてた、なのに双葉は自分で自分の足をズッタズタにしてて、九斗の目が真っ赤になってたし……なんか妙だった」 「俺、そんなんになってたわけ?」 九斗の瞳の色は、瑪空と同じ琥珀色だ。それが赤に変わっていた。それに何より、あの自分が自分じゃなくなる感覚は、気味が悪かった。 「九斗と双葉の距離はちょっと離れてた、ってことは九斗の能力は距離を取られても使用できる……、それにあの双葉があんなに錯乱してるとこは見たことない」 「そうなのか?」 「ヤバいって言ったでしょ、あいつ。あんなに可愛い見た目してるけどめちゃくちゃ獰猛だよ、基本的に出くわしたら即攻撃だし。今まで何人殺したんだか」 「手練れだ……俺よく生きてるな」 「だからもっと周りを見ろって言ってるの。……九斗の能力は遠隔攻撃が可能なのは確定でしょうね、あとは私の憶測になるんだけど、少なからず他人の精神に干渉出来るものだって考えられるんじゃないかな」 「精神干渉って、チートかよ」 「珍しい能力だと思う、私は見たことない。ってもそんなに保有者に出くわしたことないんだよね、双葉と凪沙くらい。二人とも物理! って感じの能力だし、あと私も」 ミコトは炎、双葉は植物を操っていた、凪沙の能力は未知だけれど少なくとも物理系であることは間違いないのだろう。 「あんだけ訓練しても発現しなかったのに、やっぱ実践が一番手っ取り早いのかな。私も戦ってる最中にいきなり使えるようになったし」 「火事場のバカ力ってのか」 「人間って、切羽つまんないと本気出さないのかなぁ」 それは一理ある。ミコトも実践で能力を発現させた、それなら疑問が一つ残る。 「なぁ、ミコト。初めて能力使ったときさ、自分の名前とか、自分ってなにか忘れそうになったりしなかったか?」 「……? してないけど」 心底不思議そうに首を傾げたミコトは、九斗が突然変なことを口走ったことを心配するかのような目をしていた。 「そ、そうか。もしかすると俺の能力と何か関係があるのかもな」 「それってあんたが変になってたことに関係ある?」 「あぁ。俺は、俺が何者かわからなくなって、意識が遠のいた。だから能力が発現してたことにも気が付かなかった」 どうやって能力を使ったのか、それは感覚として覚えている。問題はその先だ。能力が発動した後、九斗は自我を失ったとしか思えない精神状態だった。 「私はそんなことになった覚えがないけど、九斗の能力と関係あるにしても……」 「わからない、そもそも俺の能力の詳細だってよく分からないしな」 他人の精神に干渉出来る能力、ざっくり言い表せばこれで間違いはない。九斗はあの時、双葉にとって一番恐ろしいと感じるものを彼女に見せようとした。それで何が見えていたのかまではわからないけれど、意図的に幻覚を見せることは少なからず可能というわけになる。 ミコトが自由自在に炎を操るように、九斗の能力もこれだけではない可能性が高い。現時点で分かっているのは「他者に幻覚を見せる」だとしても、今はコントロール不足だろう。使い方によって応用が利きそうな能力だ。 珍しい能力といっても、九斗の「夢を見たい」という願望に「悪夢」が呼応したのなら、妥当な能力かもしれない。 九斗の率直な感情は、怖い、だった。今まで、命がかかっていると言われても実感が持てなかった。それが、初めて不可抗力な死に晒されて、怖いと感じたのだった。 能力に飲まれる感覚も、誰かに本気の殺意を向けられるのも初めてだった。悪意には慣れていたが、殺意に耐性のない九斗は、自身の能力はもちろんのこと、双葉のことも恐ろしかった。 「とりあえず九斗の能力が安定さえすれば大幅に戦力は上がりそうだけど、今回みたいなことは見過ごせないから一人で能力は使わないこと!」 「そうだな、気を付ける」 「一人で暴走されちゃ私の心臓が持たないもん」 「同盟関係なのに、俺は守られてばかりだ」 「私は九斗の武器になるわ、頭脳を守るための。死なれちゃ困るんだから」 「俺、そんなに守られる価値なんて」 「いや、生きなきゃいけないでしょ、九斗は。だから私は九斗を守る。あんたが立ち上がるまで」 九斗を見つめたミコトは、その目を見るだけで嘘をついていると思えないと分かるほどに本心で語っていた。 九斗は、自分自身が生きているべきだとは思えない。でも生きなければいけない。それを求めている人がいるというのは、残酷で、暖かくて、ぐちゃぐちゃになりそうだった。 「でも双葉も黙ってなさそうだし、落ち着いてられないかも」 あの様子だと、今夜あたり確実にまた窓ガラスが木っ端みじんになる。いくら元通りになるとしても家が破壊されていくのは心臓に悪すぎる。 「あの状態でも襲ってきそうな形相だったもんな」 「私も今日は遅くまでここに居座らせてもらうわ」 「親は大丈夫なのか?」 中学二年生の女の子があまり夜遅くまで拘束するのは、いくら同世代とはいえ気が引ける。それにこのくらいの年頃の子には門限だってあるだろう。 「うちそんなに厳しくないし、最悪変身しちゃえば親も私が部屋に居ないことに気付かないんだよね」 「変身チートすぎないか?」 「めちゃくちゃ便利、でも不思議だよね」 変身してしまえば壊したものも元通りに、保有者自身が不在だということもばれない。確かに便利だ。便利なんだけども、九斗は違和感が拭いきれなかった。 「なぁミコト。変身している間、俺達は外界から遮断されてるんだよな?」 「え、えぇ。それはパンドラから聞いたから間違いはないはず」 外界から遮断される。便利な仕様だ。 だけど引っかかる。九斗にもその違和感の正体はわからないが、この世に存在するものを、なかったことにするというのは力業すぎないだろうか。 リンゴが一つ存在していたとして、木から落ちたとしても地面にはそのリンゴが落ちているはずだ。 なんの残滓も残さずに、世界から切り離すことなどできるのだろうか。奇妙な現象へ説明を求めるほうが間違っているのかもしれないが、やはり九斗は気持ちが悪かった。 「いろいろ考えることがありそうだな」 「特に意識してなかったけど、色々ヤバいね、この戦い」 「穴が多すぎるし、知らないとマズいことが予想以上に多そうだな。なんのためにわざわざパンドラがこんなことしてるんだか」 「確かに、パンドラにメリットってあるのかな」 「うーん。考えても仕方ないかもな。とりあえず俺も夕飯の支度を手伝ってくるわ」 「じゃあ私も」 「いや、ミコトは休んどけ。うちの主戦力なんだからさ。俺は勧化すぎるから、ちょっと手を動かしたほうが休まるんだよ」 「じゃ、じゃあ、少し休ませてもらうわ」 「ん。飯出来たら呼びに来るけど、勝手に降りてきても構わないから」 瑪空に続いて、九斗も一階に降りてキッチンへと向かった。
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