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「何の用だよ、人が寝ている時に」
「おい、ロミオ。外を見てみろよ。どうなっていると思う? なんと、一日が終わりそうだぜ? 人生はこれから楽しい夜を迎えるっていうのに、もう寝ているってどういうわけだ?」
「説教したいなら、教会にでも行けよ」
ただでさえ不機嫌なロミオは、マネージャーのカルロ・アルベルティーニの嫌みに、猫の毛が逆立つように反抗した。
「さっさと、用件言え」
「あのな、俺はお前とパウロのマネージャーなんだぞ。用件って言ったら、一つか二つか三つくらいしかないだろうが」
「なんだよ、歯でも磨けって言うのか?」
「それは、四つ目だ」
カルロの機嫌も良くないのが、電話口からでもぷんぷんと匂ってくる。オレに八つ当たりする気かと、ロミオは綺麗な眉をしかめた。
「で、イラついている理由は?」
「パウロだ。どこに行ったんだ? 連絡がつかないぞ!」
「知らねえよ」
ロミオは鬱陶しげに即答した。パウロ・ビアンチはロミオが身を置いているイタリア・ゲイポルノ界で最も有名な俳優であり、監督だ。ゲイポルノ俳優として働き始めてから、様々なことを教えてくれ、色々と助けてくれた尊敬すべき相手であり、一緒に仕事をしていることに誇りを持っている。互いにウマもあうのだが、私生活のスケジュールまでは把握していない。
「旅にも出たんじゃないのか? 放っておいてやれよ」
そう言いながら、ちょっと前に撮影所で会ったパウロの様子が少々おかしかったことに気がついた。何やら、考え込んでいるような……
「おい、ロミオの王子様。新作の撮影は終わっていないんだぜ。聖地巡礼の旅にでも出られたら、俺が困るだろうが。ああ、そうさ。広場でスポンサーの手で火炙りの刑にされるのさ。お前も一緒に焼かれろ!」
「気が向いたらね。チャオ」
待て! と吠える声を無視して、通話を切った。そして脇に放り投げると、またベッドの中に潜る。
――くそっ。
赤い枕の上で腕枕をして、天井を睨みつけた。ロミオが住むアパートメントはミラノ市内に多くある古い建造物で、室内もまるで骨董品のように手間がかかって不便なのだが、その簡単に思い通りにはいかない古めかしさが気に入っている。
――久しぶりに会えたのに……
天井には絵が描かれている。もう何十年も経っているので、ひびが入り、色彩もぼやけているが、絵の輪郭はわかる。小さな天使たちだ。
ロミオはしばらくその絵を眺めた。この天井画の下で、初めて隼人とセックスをした。
――抱いていいのか?
自分の裸を前にして、そう律儀に訊いてきた日本人の男。いいぜ、と自分は答えて、相手の首に腕を回して初めてのキスをした。男の接吻が、自分の躰に回した手と同じくらい温かかったのを覚えている。
……ハヤト。
ロミオは腕枕を外して、横を向き、背を丸めた。笑っている天使の姿など見たくなかった。
先程の着信音が、再び鳴っている。
ロミオはちょっとだけ息をひそめて、探るような手つきで携帯を手前まで持ってくる。発信者を見て、勢いよく起きあがった。
「パウロ!」
「……元気そうだな、ロミオ」
魅惑的な声の持ち主は、話題になっていたパウロである。
「どうしたんだよ? あんたと連絡が取れないと火炙りになるって、カルロが喚いていた」
「今は、燃えていてもらおうか。マネージャーの使命だ」
パウロは涼しげに言いのけると、ロミオの近況を尋ねた。
「オレなら暇だ。やることっていったら、寝ることだけさ」
胸の奥で、ズキッと軋むような感じがしたが、パウロの声が少しだけ癒しになった。
「お前に頼みたいことがある」
「へえ、何だ?」
「……手を貸して欲しい」
切り替わる気配がしない呼び出し音に、隼人はもう何度目になるかわからないため息を吐いて、携帯を耳元から離すと、疲れたように切断のボタンを押した。幸運の女神がしかめっ面をするのではないかと思うほど、ずっとため息ばかり繰り返している。
――ロミオ……
隼人は無常な待受画面を呆然と眺めた。
あの夜から、ロミオと全く連絡が取れないでいる。携帯電話は普通にかかるのだが、相手が取ってくれないのだ。
――そんなに怒っているのか……
身の回りで何か起きたのかと心配もしたのだが、今までの体験から考えるに、これは自分へ対しての抗議なのだと思った。
積み重ねられた書類の脇に、シルバーの携帯を置くと、隼人は額を手で押さえ、文字通り頭を抱えた。性格が素直じゃなくて、気性も激しいのは承知している。ラテンの男だ。すぐに頭に血が上る。口もからしき悪い。
けれど、それら全てがロミオの魅力だ。
少なくとも、自分は大好きなんだ。
しかし……隼人は奈落の底へ堕ちてゆきそうな気分を、必死になって崖っぷちで堪えた。ロミオがへそを曲げるのは珍しくないが、数日間にわたって無視されるのは初めてだった。
――悪かった。俺が悪かった、ロミオ。
隼人は携帯をじっと見つめた。何回それで電話をかけたかわからない。ロミオの携帯には自分の名前が列をつくっているだろう。それでも連絡をくれない恋人。
――俺が勝手に恋人だと勘違いしているのかもしれないな……
そんな寂しい考えまで、浮かんできた。
「四回目」
隼人はふっと声がした方を振り返った。斜め横の席で仕事をしているジュリアーノ・アッカルドが、こちらへ視線を向けていた。
「ハヤトのため息の回数だ」
同じマーケティング部で働くイタリア人の同僚は、隼人の部下である。
「数えていたのか?」
「うん、親切だろう?」
ジュリアーノは仲間内からサラセン人とからかわれる黒い髭で覆われた口元を、豪快にひらいて笑う。
「仕事をしていたんだ。同僚の心のリサーチ」
隼人は少々恥ずかしくなった。そんなにため息をついていただろうか。通常の勤務時間は終わり、残業に突入していたので、つい使ってしまったのだが、同僚の目の前で良くないと自分を戒めて、携帯を革製の鞄に仕舞おうとした。
「行けよ、ハヤト」
ジュリアーノはウィンクをする。
「俺のリサーチ結果は、たとえヴィーナスがストリップをしていたとしても、振り切っていくべきだと出た。恋人の元へね」
「……いや、恋人って……」
自分は何か喋っただろうか。無意識にひとり言を口に出していただろうか。隼人は焦ったが、ジュリアーノはそれを察知したように首を横に振った。
「誰だってわかるさ。携帯をかけて、ため息ついて。また携帯をかけて、ため息ついて。これをイタリアじゃ何て言うか知っているか? 恋の病って言うんだ」
「ジュリアーノ、ちが……」
うと、隼人は言いかけたが、俺は騙されないぞと言わんばかりの髭顔が、ノート型パソコンの向こうから熱く睨んできた。
「いいか、ハヤト。恋の病は不治の病なんだ。相手の彼女が違う男をベッドに引きずり込む前に、早く会いに行け。さもないと、手遅れになるぞ」
「……うっ」
ハヤトは痛いところを突かれたかのように表情をゆがめた。違う男をベッドに引きずり込む……考えたくなかったことを直球で投げられて、まさかという思いが広がる。
――まさか、でも……
裸になったロミオをベッドに置き去りにしてしまった自分。その冷えた肌を誰か温めたのだろうか……
ロミオはとてもハンサムな若者である。
隼人は突き動かされるように、勢いよく椅子から立ちあがった。その拍子に、書類が一枚ぱらりと落ちる。
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