おへそ

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 取り調べが終わる。やっとである。疲れた。何だかとても疲れた。刑事はメモ書きに目を落としながら首をポリポリと書き、どーしたものかなぁと、頭を悩ます。さあ、あとは老人の妻への愛と、何よりヘソの話をどう纏めたものかという事だけである。それでおしまい、正直もう関わりたくない人というのが本音だ。面倒臭すぎる。いっその事、全く話が通じない方がまだ楽だ。老人にも伝えた通り、罪が軽くなる様とりはからうつもりはない。老人自身もそれを望んでいる訳でもないだろうし、どうなってもやはり、この老人は己がした事について後悔したりはしないだろうから。  面倒なのは、この老人の精神が極めて頑健であろうという事。頑固、堅個、狂っているかどうかはともかく不安定ではないのだ。精神鑑定をしても大きな問題は出ないだろうし、責任能力もあるだろう。身の前にちょこなんと座っている見すぼらしい小男は、妻と、己が才能を厚く神聖視しているだけ。  そう、神聖視。所詮余人には理解できない領域の話。  例えば、先祖代々受け継がれてきたお墓に毎日話の通じない酔っ払いがゲロを吐きかけてくる。愛する妻がもうすぐそこに入る予定だ、と置き換えれば理解できる話だ。だったらいっそ自分の身体の動くうちに、という人間も中にはいるだろう。  問題なのは墓でなくヘソであるという事。  ヘソ、はぁ……ヘソって…………  へそ…………………………ヘソねぇ……… 「……………因みに貴方が仰ってる日本のヘソって、どちらにあるんですか?」  ふと、そういえば聞いてなかったなと、刑事が顔を上げると、 「……………………」  老人は下を向いていた。  なんだ? 「………………よ………」 「はい?」 「………しぬよ」 「…………………………は?」  キョトンと、刑事が聞き返すと同時に、老人はぐるり、顔を上げる。 「たくさんしぬ、たくさんたくさん、しぬよ」 カパァと、歯がほとんど抜け落ちた口、歪、何? 「しぬよ、たくさんしぬ、しぬよ」  ウロのようだ、口と、目、真っ黒に、穴が空いてる、 「たくさん、たくさんしぬ、たくさんしぬよぉ…」  能面のような、奥に何も入っていないような、空洞、空洞、空洞、空洞から、 「しぬよぉ」 どろり。 赤黒い。何?液た…… ぼだんっ。  中に砂でも詰まっているような間の抜けた音を立てて、 「じぬよぉぉ………」 老人が顔から机の上に突っ伏した。 「じぎゅごおぉぉぉぉぉぉぉ………」  ひくりひくりと弱々しく身体を跳ねる老人の顔からだくだくと、赤黒い液体が机の上に拡がっていく。 ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ…………  あまりの事に固まってしまって動けない刑事。 「引け!離れろ!」  身体ごと後ろに引っ張られ、机から剥がされる。が、動けない。 ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……………  呆然として、老人の断末魔を眺めている。 ぉぉぉぉぉぉ…………  その後ろでは、ドアの外に向かって怒鳴りながら、同時に電話も掛けている刑事。 ぉぉぉ…………ぉぉ…………  若い刑事は、見ている。  看取っている。 ……………………………………………  やがて、机の上から垂れるほどに赤い液が拡がった頃、老人も静かになった。  いまだ、椅子に座したまま、ぼぅと老人を見ている若い刑事。 「おい、大丈夫か?」 「………………………」 「おい!」  肩を強く揺すられ、ビクリと身体を揺らす。ゆっくりと、漸く、振り返る。少し安心したように「血、かかってないか?一応後で検査しろよ?平気か?」となるべく穏やかに声を掛けると、 「…………あぁ……」 小さく返事をして、ゆっくりと視線を前に戻す。 「ペットボトルだ…」 「ああ?」 「……中に水が入ってると云々って……このジーさん……いってた………」 「なんだ、オマエなにいってんだ?」 「………みたか………?」 「みてた、ジイさんが血を吐いて倒れた。おい、本当に大丈夫か?」 「ちがう…………けしごむ………」 「………消しゴム?」  刑事が震えながら指を差した、机の上。 「ボロって…」  血のなかに、バラバラに砕けて、 「崩れたんだよ………」 ゆらゆらと、不吉に揺らいでいた。
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