桜は私を魅了する

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「ねぇ?死ぬの?」 若い男の声が聞こえた。 心咲は1人だと思い油断していた。突然の声に肩がビクッと上がり、目を丸くし声がする方を見た。 2mくらい離れた真向かいのベンチに膝を組んで座っている知らない男がいた。 ——いつからいたんだろう。 肌の色は蒼白い端正な顔立ちで、切れ長で黒目がち、身長は180センチ程だが、身体は華奢な男だった。片手には古書を持っている。 心咲はさっきの自殺願望を聞かれていた事を知り、背中に嫌な汗がにじむ。返答に困り顔を下に向けた。 「ねぇ?聞こえなかった?新入生?」 あきらめもせず男が、また話しかけてくる。 心咲は、居心地が悪く諦めてほしいが、相手は、返答してくるまで、どんどん質問してくる感じの男だと直感した。 しかたなく小さい声で聞かれた事だけを答えた。 「し……新入生です」 思った以上に小さい声しかでなかったので、聞こえてないかもしれないと思いチラッと男の顔を見た。男には聞こえているようですぐに返事が返ってくる。 「入学式終わったばかりじゃないの?死にたいとか簡単に言っちゃ駄目だよ〜。友達はどうしたの?」 普段なら反論したりはしないが、自分の本心を知られてしまっている。心咲にしては珍しく男が自分の事をわかったような言葉に苛立ち、気持ちを表情に表す。不快そうにムッとした顔をした。 「友達いません。私ここの大学来たかった訳じゃないので」 心咲は悔しくて両手を強く握りしめ男の顔を睨む。 男は、返答が重いのなんだの小言を言いながら、持っていた本をバッグに直し始めた。 心咲の少し強くなった声も気にする様子はなく、片付け終わると両腕を組んで微笑みかけた。 「わー直球。じゃあ何でここ来たの?この大学も悪くないよ?今から友達作ればいいんだし…?」 「第一志望落ちたんで……。父も亡くなってしまって……お金の事情で浪人できなくて仕方なく……」 男は状況把握できたようで、クスリと笑った。 「だから、入学初日なのにやる気ない感じなわけね。なるほど。じゃあしょうがなくない?この大学に来たのも運命なんじゃないの?」 心咲は頭ではこの男の話しは理解できる。 実際自分も毎日頭ではそう思って飲みこもうと思っていた。だが気持ちがおいつかなくて今に至るのだ。 心咲は、何も言えなくなり、硬い表情で黙って男を見つめる。 男は桜の花を切なそうな顔で見ながら、先程とは違う少し低いトーンで心咲に語りかける。 「確かに運命に争うのも必要なんだけどね……運命ってさ、時にはどーしても抗えない事もあるんだ。受け入れることも必要よ?」 ——この人はなぜ切なそうな顔をしているんだろう?この人も運命に抗えなかった? 心咲は、考えれば考える程、男への苛立ちがどんどん落ちつきだし、冷静になっていく。 そして、自分が初めて会った人なのに誰にも言ってない本心をさらけだしている事に気がついた。 「そうですね……我にかえりました」 あまり笑わない心咲も、その男にまんまと気持ちを誘導された事に気がつき、自嘲の笑みをこぼした。少なくとも自殺についての考えはもう頭から消えていた。 男も心咲の雰囲気で気持ちの変化を察知しているようで先程の微笑みとは違い得意げな顔を見せる。 「俺は、文学部3年の蒼葉(あおば)。君は?」 「私は医学部の心咲です」 「心咲ちゃん、医学部なんだ!凄い!明日から楽しい大学ライフ楽しんでね?」 「お話ありがとうございました」 心咲はベンチから立ち上がり深々と頭を下げた。会ったばかりの人に全てを知られて、何だか恥ずかしく、早くこの場から逃げたかった。 そのままベンチを後にし帰って行く。 後ろから蒼葉の声が聞こえた。 「心咲ちゃん、笑顔だよ?」 心咲には聞こえていたが、振り返らず聞こえてないふりをしてそのままそこを後にした。 ——変な人だったけど、自殺願望を聞いて、うまく私を誘導したんだきっと。悪い人じゃないけど……。もう関わりあいたくない。 心咲は、帰宅途中の電車の中で明日からの授業の資料を見ていた。 そして、いつのまにか経験するつもりではなかった大学生活という未来について考えている事に気がつく。 ——あの人のおかげだ……。 そんな事を考えている途中、家の近所に咲いている桜の花の前を通り過ぎようとした。何故だか足が止まった。桜の花を見ると今日初めて会った蒼葉を思い出してしまった。 蒼葉が話しが上手かったからなのか? 桜を見て心が白くなったからなのか? 本当は誰かに心内を聞いてもらいたかったのか?今はまだどれが理由かなんてわからない。 ただわかっているのは、蒼葉の事が気になっている事だけは明確だった。
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