桜の下には僕が埋まっている

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桜の下には僕が埋まっている

 桜が嫌いだ。桜の樹の下には僕の死体が埋まっているから。  子供の頃に桜を初めてみた時、僕の心は震えた。見るだけで不安が込み上げてきて、漠然とした恐怖を感じた。  それ以来、僕は桜に近づかないようにしてきた。家族や友達に花見を誘われた時も断ってきたし、桜が咲いている時期は桜並木の道は通らないようにしてきた。不思議と、花が散っている時は怖くはなかった。  桜が花開き、満開に近づけば近づく程それは異形のモノだと感じてしまう。    いったい、何が理由なのだろうとずっと考えていた。恐怖を感じる理由は、恐怖を感じる理由が分からないからだ。理由が分からないから不安になる。 不安になるから恐怖する。人は知らないものに恐怖するのだから。  その日も、遠くから桜並木を見つめていた。かなり離れた場所から見ていても今にも逃げ出したくなるような得も言われない恐怖に襲われていたが、 それでもじっと見つめているとふと気がついた。なぜ桜に恐怖を感じるのか。  桜が綺麗過ぎるのだ。こんなに綺麗なものがある。見る人の感性に訴えかけ、視線を奪っていくものが他にあるだろうか。それほどまでに美しいのに、その下で大騒ぎをしても笑いながら鑑賞していても許される雰囲気がある。高潔なのに庶民的に感じさせる。  ただ、綺麗な花だけなら他にもあるだろう。だから、綺麗なモノに恐怖しているわけじゃない。これほどまでに綺麗で美しい花なのに。欠点がない。それが怖いのだ。  桜の欠点はすぐに散ってしまうことだと言う人もいるだろう。違う。すぐに散ってしまうからこそ、桜は美しいのだ。その存在に意味を考えてしまう。意味を見出してしまう。  たった一種類の花が過去多くの人の心を奪ってきた。桜を題材にした芸術はそれこそ溢れるほどある。絵、音楽、映画、小説、漫画。それこそ枚挙に暇がない。  それほど桜は魅力的な花だということだ。多くの人が桜に対して考え表現してきたことで桜はただの植物ではなく桜という概念ですら完成している。  だからこそ。怖いのだ。桜というのは一言で言えば完璧な植物だと言える。そう。これほど綺麗なことに理由がない。  それが怖い。これほどな美しさを手に入れるには何かを失っていないとおかしい。何か欠点がなければ釣り合わない。でも、それがない。だから僕はその完璧さが怖いのだ。  そう気がついた時から、僕は桜の樹の下に僕自身の死体が埋まっている夢を見るようになった。  あれだけ綺麗な桜には僕のような薄汚い人間の死体が埋まっているぐらいでないと釣り合いがとれない。 「また。何か考え事しているの?」  横から声をかけられて僕の意識が現実に引き戻される。声のしたほうを見ると美久が僕の顔を覗き込んでいた。  さらりとした艶のある髪、意志の強さを感じさせる切れ長な目をしているのに、柔和な雰囲気が人懐っこさを感じさせる女性だった。 「ああ。うん。また、春が来たなって思って」 「そうだね。もう大学も三年目だもんね。今年は就活も始めなきゃなー。カズくんはやっぱり医者になるの?」 「ああ。うん。そうだね。昔からなりたいと思っていたからね」  僕の言葉を聞きながら美久は手を組んで大きく天に向かって伸ばす。 「カズくんはすごいね。自分のやりたいことしっかりあって」 「美久だってマスコミ関係に行きたいっていってたじゃないか」 「うーん。そうだけどね。私のはただの漠然とした憧れだから。本当にそこに行っていいのかなって最近悩んでいるんだよねぇ」 「美久ならきっと誰かの役に立てる人間になれるよ」  誰かの役に立つ、助けられるような人間になること。それが美久が僕に教えてくれた将来の夢だった。凄い立派な考えだと思う。 「ねぇ。今日は時間あるんでしょ?」  美久が僕の顔を覗き込むようにしながら少しだけ照れくさそうに聞いてくる。 「うん。今日はずっと空いているよ」 「やった! じゃあ、私の家に泊まって行ってよ。この前、お母さんと一緒に練習した料理すごく美味しかったから、カズくんにも食べてもらいたかったんだ。決まりね!」 「ありがとう。楽しみにしてるよ」  それから僕たちは二人で並び立って買い物に行き、美久のマンションで夕食をごちそうになった。その料理の美味しさに簡単して、僕たちはゆっくりとした二人きりの時間を過ごし、夜は体を重ねあった。  美久を抱きしめて眠ったあと、朝の日差しで目が覚める。 「あ、起こしちゃった?」  美久が窓のカーテンを開けながら申し訳無さそうに僕に聞いてくる。 「朝日に輝く美久で目が覚めることができて僕は幸せものだよ」 「もうっ。何言ってるの!」  少し怒ったようにいいながらも頬を染めている彼女はまんざらでもなさそうだった。彼女の作ってくれた朝食はとても美味しかった。二人でまったりとした時間を過ごした後二人で並んで大学に向かった。  美久とは学部が違うので大学についたところで別れた。ああ。僕は本当に幸せものだと自覚する。美久は美人で人当たりが良く一緒にいてもとても楽しい。彼女自身もふわふわとした雰囲気を持っているが、自分の意思をしっかりと持っている。誰が見ても羨む女性だろう。そんな彼女が僕の恋人だというのだから。  大学の講義室に言って席に座って講義の開始を待っていると隣に友人の正弘が座った。 「柴田。お前、高田とまだ付き合っているのか」  苦々しい顔をしながら正弘が言う。どうやら二人で大学に来たところを目撃されていたらしい。 「ああ。もちろんだよ」 「あいつはヤバいって言っただろう?」  美久と恋人だというと多くに友人や知り合いは羨んだり嫉妬されたりする。しかし、この正弘だけは僕のことを心配してくる。 「何がだよ」 「俺の後輩が昔あいつと付き合っていたことがあるんだが、最終的には金をだまし取られて別れたんだ」  正弘は真剣な表情で訴えかけてくる。 「でも、その後輩は美久に騙されたとは言っていないんだろう?」 「だからこそ、怖いんじゃないか。一流の詐欺師っていうのは詐欺にあったことすら気が付かせないんだよ」 「分かってるって」  前のめりに詰め寄ってくる正弘を手で押さえながら答える。 「お前信じてないだろう!」 「信じてるって」  僕の言葉に正弘は不満気にしながらさらに問い詰めようとしてくるが、ちょうどその時教授が部屋の中に入ってくる。  正弘はまだ何かを言いたげだったが、渋々席に着く。  正弘が僕の事を本気で心配してくれているのは僕だって分かっている。だからこそ、正弘も僕の事を信じて欲しいものだ。  なぜなら、。  その手口は様々で、仲良くなった人間からいろいろな理由をつけては金を引っ張っている。美久の凄いところは正弘の言った通り、金を支払った人間たちが騙されたと気が付いていないことだ。彼らは本当に彼女のために金を出して、役に立っていると今でも信じているところだ。  恋人も僕以外に現在二人いることも把握している。一人は有名な企業に勤めている係長補佐の青年。もう一人は驚くことに、この大学の教授だ。  誰が本命というわけではない。正確に言えば誰もが本命ではない。僕も含めて。  彼女の目的は金を手に入れることであるから、誰かと本気で恋愛をしているわけではない。  すでに係長補佐の青年からはお金を引っ張っているらしく、今度大きな金額。確か二百万を受け取る手はずになっているようだ。  逆に教授からは少額を長い期間受け取り続けているようだ。まだ、僕には金銭を要求をしてきていない。きっと、僕が医者になってお金を稼ぎ始めるタイミングを計っているのだろうと僕は予想している。  このように、僕は彼女の詐欺行為についてはすべてとは言えなくてもほぼ全てを把握している。それを知ったうえで交際をつづけているのだ。  はっきり言おう。僕は詐欺師である彼女が好きなのだ。  美人で性格で良くて勉強も、運動も料理や家事までできる。彼女は完璧すぎる。  そんな完璧な彼女が詐欺師である。  それで良い。それが良い。それでこそ釣り合いが取れている。 *  午前で今日の講義は終わりだった。しかし、僕は美久には午後まで講義があると伝えていた。  そうすれば彼女は別の男のところに行くだろうと踏んでいたからだ。案の定、彼女は午後になると大学を出て行った。  僕は付かず離れずの距離を保ちながら彼女のあとをついていった。電車に乗って山手線に乗り換えると人込みに埋もれながら揺られていると新宿で降りるのが見えた。新宿には係長補佐の青年が勤めている会社があったはずだ。  彼に会いに行くつもりなのだろうなと思いながら後をつけていくと、予想外に美久は駅の中心部から離れていく。歌舞伎町を抜けて郊外のほうへ歩いていく。周囲に人の姿が少なくなってきたので仕方なく距離を大きくとりながら姿を見失わないように注意して追跡を続けた。  古いアパートやマンションが立ち並ぶような場所の一角に建つ古ぼけた二階建てのアパートに近づいて行き、一階の角部屋に入っていくのが見える。物音を立てないようにゆっくりと近づいて行く。かなり建築年数が経っていそうな建物で玄関のすぐ隣には中が覗けそうな小窓がついていた。  わずかに隙間の空いていたその窓から部屋の中を覗く。すると、部屋の中には小さな男の子と美久がいた。 「お姉ちゃんの持ってきてくれたお菓子美味しいねー」 「ほら、落ち着いて食べて。口の周りに付いちゃったじゃない」  男の子の口の周りを拭いてあげながら、苦笑しながらもその表情は慈しみにあふれていた。 「ごめんね。いつも苦労をかけて……ごほっ」  奥の部屋から女性が顔をのぞかせる。その表情は青白く痩せこけていて一目で病人に見える。 「お母さんは無理しないで。ほら、寝てていいから」 「でも。いつも申し訳なくて。結局、お金も美久に頼りきりになっちゃって」 「しょうがないよ。お金のことは心配しなくていいから。そっちは私がなんとかするから、お母さんは体を治すことだけを考えてくれればいいんだよ」 「本当にごめんね」  そんな会話をしながら美久は母親と思わしき女性の背中を優しく撫でていた。僕は、思わず後ずさる。がらん。と何かが足に当たって大きな音を立てる。その音に驚いて美久が僕のいる窓のをほうを見つめる。  僕はとっさに踵を返してその場を逃げ出した。無我夢中で走る。周囲を見る余裕もなく走り続けている。といつの間にか川沿いの公園をとぼとぼと歩いていた。目の前には桜並木が広がっていた。  桜だ。いつもなら絶対に近づかないような場所。無我夢中で走っていたのでいつの間にか迷い込んでいたらしい。桜は満開で風に揺られて花びらが舞っている。幻想的な光景だった。 「カズ君」  声をかけられて振り返ると向かいの桜の木の下に美久がこちらを見て立っていた。僕を走って追いかけてきていたのか、わずかに息があがり頬が赤く染まっている。額に浮かんだ汗がきらきらと日差しで輝いていた。  彼女は、桜と舞う花びらに演出されとても美しかった。 「見つかっちゃったね。幻滅した?」  美久はとても申し訳なさそうにつぶやく。 「実は、私。貧乏なんだ」  苦笑しながら言う。どうやら、僕には家の事情を知られたと思って追いかけてきたらしい。僕には良いところのお嬢さんみたいな嘘をついていたので取り繕いに来たのだろう。でも、まさか自分が詐欺を働いていることをまで気が付かれているとは思ってはいないみたいだ。 「美久は家族の事が大切なんだね」  僕は絞り出すように声をだす。彼女は少しだけ戸惑ったような顔をしてうなずいた。 「うん。お父さんはちょっと前に亡くなっちゃったから。弟とお母さんの二人だけの家族だからね。とても大切な人たちだよ」 「そうか」  僕はそう呟きながらゆっくりと彼女に近づく。桜の木の下で美久は相変わらず背すじをピンと伸ばして立っていた。  意志の強い目。その綺麗な瞳。まるで吸い込まれしまいそうだった。僕は彼女にそっと手を伸ばす。彼女も手を広げて僕を待ち受ける。幻想的な桜の下でそれは一枚の絵画のようだった。  僕は。両手をそっと。彼女の首に添えて。全力で握りつぶした。 「……がっ」  彼女が何かを言おうとしたが気道をつぶされているので言葉にならない。「どうして?」と視線だけが訴えてきていた。  でも、僕は力を緩めない。桜の木に彼女を押し付けてさらに力をこめる。宙に浮いた両足がバタバタと暴れる。  おかしい。ダメだ。駄目なんだ。美久に。美久が詐欺を行っていた理由は病気の母の治療費と弟を育てるためだった。  そんな理由があった。  そんな美しい理由が。  あってはいけない。  。  美人で性格で良くて勉強も、運動も料理や家事までできる。そんな完璧な彼女。  でも、彼女は詐欺師だ。私利私欲のために人を騙す。そんな醜い部分を持った人間。  そうでなければいけない。そうでなければ釣り合わない。  詐欺をしている理由は美しくてはいけない。それでは綺麗すぎる。  穢れなき美しさなんて。あるはずがない。美しいものには美しくあるだけの醜い代償があるはずだ。  欠点のない美しさなんてそんな恐ろしいものがあるか?  だから、僕が汚す。穢す。  いつの間にかバタついていた足が両手がだらりとぶら下がっていた。口からは舌がはみ出しだらしなく垂れている。  ああ。よかった。やっぱり彼女も醜い部分があった。醜い部分があるほうが素敵だ。  僕は彼女が首に巻いていたストールの片側を輪っか状にするとそこに彼女の首を通して桜の木に美久を吊り下げた。  これで、彼女は首を吊ったように見えるだろう。桜から離れて首を吊った彼女を遠目に見る。  その時。ひときわ強い風が吹いた。風にあおられた桜の花びらが彼女と桜の木を覆う。  全身に衝撃が走った。桜の木の下に吊り下がる美久はとても。絵になっていた。木漏れ日が彼女を照らし。とても綺麗だった。  ああ。駄目だ。  これでは釣り合わない。吊り合わない。  美久は綺麗だ。彼女は死んでも綺麗だった。  駄目だ。汚さなくては。穢さなくては。  何か。ないだろうか。 「ああ。そうだ」  僕は桜の。彼女のそばにいくと、鞄からボールペンを取り出すと。  自分自身の首に突き刺した。どくどくと血が噴き出す。  ばたりと地面に。桜の木の下に倒れこむ。  ああ。これでいい。僕という醜い死体があってこそ。  この桜は綺麗なんだ。  桜の木の下には僕の死体が埋まっている。    桜の木の上には彼女が吊られている。
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