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青と緑
早歩きではだせるスピードにも限界がある。
瑠架は透夜を振り切ることを早々に諦めると、重い足取りで街路を辿った。
向かっているのは屋敷と逆方向だが、とりたてて注意されることもない。透夜は黙って瑠架の隣を歩いている。
昨日の逃走劇がたちまち噂になってしまったのも、もとはといえばこの男が人目をひきすぎるからだ。隣を歩いている透夜をちらりと見やる。
金色の髪は絹糸のように滑らかにたなびき、濃青の瞳のきらめきをひきたてている。端正な顔立ちもあいまって、静かにしていればまるで出来の良い人形のようだ。
しかしこの男が浮かべている表情の大半は子供みたいに快活な笑顔であるので、結果的にやたらと人のよさそうな色男という印象になってしまうらしい。すれ違いざまに様々な年代の女性が、ちらりちらりと透夜のことを盗み見ている。
「やっぱり君といると目立つなぁ」
当の本人が自分のことを棚上げしてそんな風に言うので、瑠架は思わず大きなため息をついた。
「どっちが。あんた、さっきから目立ちまくってるぞ」
瑠架はある程度この街で顔が割れている。アレキサンドライトの家の息子が連れているあいつは何者か、とまた噂にでもなってしまったらなにかと面倒だ。
しかし透夜は「そんなことないと思うけどなぁ」などと呑気なことを言いながら、こちらを向いてにこりと笑った。
「赤い髪に緑の瞳」
短く告げられた言葉にどきりとする。
「どっちもアレキサンドライトの色だ。……君にとっては喜ばしくないことかもしれないけどね」
太陽光の下では緑色、白熱光の下では赤色――アレキサンドライトは二つの顔をもっている。
その両方を身に宿した跡取り息子なんて、いかにもおあつらえ向きだ。そのくせ裸石はてんで駄目なのだから、瑠架にとってこの容姿に生まれついてしまったことは迷惑以外のなにものでもなかった。家の看板をぶら下げて、笑われるために歩いているようなものだ。
瑠架は押し黙ったまま足を早める。それ以上言うな、聞きたくない、という無言の抗議だ。
「家が嫌いかい?」
話題は変わっていたが、向けられた問いはまたしても瑠架の触れられたくない場所に触れた。
「好きだと思うか?」
質問に質問で返してやりすごす。
透夜はなにを思ったかくすりと笑って、瑠架の両目の金緑をじっと見据えた。
「――俺たちはよく似ているよ」
ざぁっと吹き抜けた一陣の風が、彼の言葉をかき消そうとする。しかし瑠架には確かにそう聞こえた。
「どこが」と言い返しかけて、咄嗟に口をつぐむ。こちらを向いている透夜の目が、自分を見ていないことに気が付いたからだ。二人の間を満たした沈黙を、再び吹いた春の風が軽やかにさらっていく。
「それで? お坊ちゃまはこれからどちらへおいでで?」
話題の変え方がいちいち癇に障るが、おどけた言い回しはこいつの癖なのだろう。
「別に。屋敷じゃなかったらどこへでも」
そう言ってから、ちろりと横目で反応を伺う。
てっきり困ったり焦ったりするものかと思いきや、面白そうににやにやと笑いながら瑠架のことを見つめていた。
「――無理やりにでも連れて帰るか?」
片口角を上げながらそう問うと、透夜はすぐさま否定する。
「しないよ! そんなこと」
そして一呼吸置いたあと、しれっと続けた。
「たしかに君のお父上からは『目を離すな』って言われてるけどね」
そう言うと、いかにも可笑しそうに喉の奥で笑う。
なるほど、確かにこうやってつきっきりで見張っていれば、『目を離した』とは言えないだろう。――例え瑠架が父の言いつけを守らなくとも。
「……あんた、あいつが怖くないのか?」
これまで見知った人間で、アレキサンドライトの家の当主である父を恐れない者などいなかった。
「もっと怖いものならいくらでも知ってるからね」
しかし透夜はそう言い放ち、ぱちっとウインクまでしてみせる。
「ははっ!」
食えない男だが、こういう方向でなら悪くなかった。
瑠架は声をあげて笑うと、頭の中に街の地図を思い描く。幸い暇をつぶす場所ならいくつか心当たりがあった。これまでだって何度もこうやって、タイムリミットまでの時間をやりすごしてきたのだから。
「――この道をまっすぐいくと、立派な庭園がある。空き家なんだけど、誰かが手入れしてるみたいなんだ」
瑠架はそう言って、にやりと悪い顔で笑いかける。
透夜はぷっと噴き出すと、やはり悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべて「へぇ、いいね」と答えた。
これまではひとりで。今日はふたりで。
日の入りまでの三時間、徹底的にあがき倒すことを瑠架は今心に決めた。
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