Sanrentan 本命、まど香

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Sanrentan 本命、まど香

 まど香の始まりはなんだろう。  とにかく。まど香は雪世が嫌いだった。  まど香の知ったことではないが、入社してから男性社員が事務所にたまるようになったらしい。  今までそんなことなかったのに、わざわざ事務所で休憩したりおしゃべりしたりする。  だからといって、まど香には関係のないことだ。覚えなくてはいけない仕事を淡々と覚えていく。 「美人は大変ね」  女社員の一部がそんなことをコソコソ話していたのは、ちゃんと知っている。 (わたしのせいにしないでよ)  まど香は黙って毒づくしかない。  女性の少ない職場だからかわからないけれど、まど香について少しでもマイナスを口にしたら、特に悪口でもなくても女の嫉妬だとか、ブスの戯言だとか、ヒステリーは醜いとか、男性社員に面白半分に囁かれる。  事務の面々もピリピリしていた。  そんな中、のほほんと雪世が現れて、羨望の眼差しでまど香を見る。 (すごいなぁ)  そう顔に書いてある。  雪世はただ、まど香が眩しかったのだ。  自分ができなかったことを笑顔でこなしていく姿は、単純にカッコよかった。  まど香には、やっかむ女社員よりもよっぽど気に障る存在だった。 「雪世ちゃん、お疲れ様」  鍵を戻しにやってきた雪世に、課長が声をかけた。 「彼女はもともと事務職だったんだよ」  聞いてもいないのにまど香に教えてくれる。 「今は配送の方に行ってもらっているんだよね。雪世ちゃん」  雪世はペコリと頭を下げた。    どうやら、雪世の穴を埋めるためにまど香が入社したらしい。   雪世はさっさと事務所から出ていく。長居をする社員たちを置いて。   「前は事務だったってほんと?」  直接聞いたのは、まど香の歓迎会でのことだった。  周りの社員の盛り上がりにおいていかれ、一人でぽつんと座っている雪世に声をかけた。 「はい、まあ。そうです」 「なんで出たんですか? 希望したら配送に移れるんですか?」 「いえいえ。事務の仕事が全くできなかったからです」  自虐的なことをニコニコと答える。 「えっ。まさか」 「本当です。全く役に立たなくて」  ほんわかとした笑顔をまど香に向ける。 「歓迎会なんて開いてもらえませんでした。あの頃は、面接してくれた課長に申し訳なかったです。  だから、清水さんってすごいなぁと思っています」   また羨望の眼差しでまど香を見つめた。 「美人で、仕事ができて、気配りもできて。憧れる」   褒め殺しの言葉を恥ずかしげもなくいい放った。 「やめてよ」  まど香のほうは気を悪くして睨みつけたのに、 「あ、照れましたね?」  何も知らず、うふふと笑うのがまた、鼻につく。    二十代半ばも過ぎて、純朴で心根が優しいなんて、気持ちが悪い。まど香が一番キライなタイプだ。  (笑っていられるのも今のうちだ)  誰にでも優しく接する雪世だけど、樋口朝陽には、わずかに態度が違うことをまど香は知っていた。どこかよそよそしく、お互いに避けているけど、そのぎこちなさが怪しい。 (あれは多分、樋口朝陽のことが好きなんだ)  それなら、その樋口とまど香が付き合ったら、どんな顔をするのだろうか。  その数週間後だと思う。  花火大会の1週間くらい前だ。  事務のベテラン三好さんが体調不良で午後から早退してしまった。  手伝いに来たのは雪世だった。 「役に立つかどうか……」  いかにも不安そうな雪世に、 「来てくれて嬉しいです。ありがとうごさいます」  まど香はとびきりの笑顔を向けた。わかりやすい営業スマイル。 「眩しい微笑み」  雪世も笑った。  敵意一つない無防備な笑顔は癪に障る。  それでも新人のまど香一人でやるには多すぎる仕事を一緒にしてくれたのは、本当に助かった。  声をかけてくれたり、簡単な仕事を少しだけしてくれたり、差し入れをくれたり、そういうことはあっても、最後まで付き合ってくれたのは雪世だけだった。  手伝わないのを責める気もないし、それが正しいという理屈はわかっていても、入社して日の浅いまど香には、目の前の仕事を責任持って終わらせるために使えないなら、どうでもいい理屈だった。  だから、帰ってもいいと言われてもまど香に付き合って残業し、色々助けてくれた雪世には感謝している。  そこに好き嫌いはない。 「コーヒーの差し入れがこれほどありがたいとは思いませんでした」  だいたい終わらせ、帰ることになり、雪世が残っていたコーヒーを飲み干した。 「あのさ、もう雪世でいい?」  まど香は向き直る。 「はい。もちろんです」 「雪世、ここ間違ってる」 「あっ!」  帰りかけた雪世は慌てて訂正をする。 「こうやって、ミスをしていたから、事務を出ることになったわけです。我ながらポンコツです」 「ああ。いじめられた?」  自虐を言いながら作業をする雪世の背中に投げかける。 「いいえ」  間髪入れずに返事が返ってくる。 「みんないい人でした。わたしが鈍臭いだけです」  そのいい人たちは、影で好き放題言っているのに。お人好しなのか馬鹿なのか、これも計算なのか。自分のせいにして収めるなんて。 「終わった!」  雪世の訂正が終わり、今度こそ帰り支度を始めた。  山分けした差し入れを雪世に渡し、会議中の課長に一言声をかけて事務所を出た。  ロッカーで着替え終え、会社の外へ出ると、まど香は雪世に頭を下げた。 「お疲れ様でした。今日はありがとうございました」 「いえいえ! 力になれたなら良かった」  雪世は疲れの張り付いた顔でも、相変わらずほわほわと笑った。 「電車ですよね、送っていきますよ」  雪世に言われ、思わず顔を上げてしまった。 「助かる! お願いします」  残業まみれのまど香は疲れてもう歩きたくなかった。 「あ、車の鍵を忘れた」  何とぼんやりしているのだろう。自分から誘っておいて。まど香はちょっとイラッとする。 「先に駐車場に行っていてください」 「はーい」  言われた通り駐車場へと歩いた。      運命というのは恐ろしい。  まど香は駐車場につくと、そこで仕事を終えた樋口朝陽と出くわしたのだ。  すっかり夜に包まれた駐車場は、白いライトに照らされていた。 「あれ、なんでいるの?」  まど香を見つけると、朝陽は目を丸くして訊ねた。 「残業。樋口さんは?」 「明日の配達朝一だから、その準備が終わったところ。清水さんはどうして駐車場に?」 「雪世待ちです。駅まで送ってもらう約束をしていたから」  朝陽は「ああ」と声を漏らし、会社のある方向を眺めた。 「もうすぐ来るかな」  その動きのぎこちなさが物語る。二人は怪しい。 「来週の花火。一緒に見ませんか?」  唐突とは思ったけれど、まど香は我慢できずに切り出していた。 「わたし、日月休みなんで、樋口さんも休みの日曜日に」  最初、朝陽は突然のお誘いに面食らっていた。でも、すぐに冷静さを取り戻す。さすがだ。 「いいね。日曜日なら行けるよ」  笑ってそう言った。 (営業スマイルね)  誘われなれた男の片鱗をまど香は見た。 「駅で待ってますね」 「じゃあ西口?」 「西口です。一人で来てくださいね」  そういうと、さすがに表情が変わる。 「待って」  朝陽はじっとまど香を見つめた。 「二人だけでいくの?」 「二人ですよ」 「なんで?」  まど香は答えず、その探るような視線を受け止める。きっとこちらの真意を半分はわかっている。 「俺さ、知ってるよ。課長と付き合ってること」 「付き合ってません」 「じゃあ、後藤さん」  後藤主任は朝陽の先輩だった。 「付き合ってません」  二人とは、ふたりきりで会ったことがあるだけ。 「違うの? 二股してるんじゃないの?」  まど香は背の高い朝陽を見上げた。ずいぶん切り込んできたことに驚きながら。  そんなことを聞いてくるということは、多少噂になっているということか。 「樋口さんだって同じでしょ?」  まど香は切り返す。 「同じ?」 「わたしと似たようなものでしょ」  朝陽の顔色が変わった。  映し出されたのは憤りに見えた。でも反論できないのは、そのとおりだからだろう。  確かに二人は似ていた。 「だからって、なんで二人きりで花火なのかわからないけど」  さっきより声に温度がある。  棘とは違う。  少しだけ朝陽がまど香の近寄った瞬間だった。  似ていることを否定しなかったことで、お互いの黒い腹の中がつながってしまったように思えた。  「似た者同士がいいの。キラキラした目で見られて、もう疲れる」  あっけらかんと答えるまど香に、朝陽は妙に納得してしまった。 「いいよ」   樋口朝陽はあっさり承諾した。  まもなくして雪世が現れる。何事もなかったように朝陽と別れ、雪世はまど香を自宅のそばのコンビニまで送った。  日曜日、朝陽は浴衣のまど香と並んで歩いた。花火の会場につくまでの道すがら、人並みに紛れながら、自然と手を繋いだ。  花火が上がるとお互い夢中で写真を撮って、合間にこっそりキスをした。 「慣れてるね」  打ち上げ花火の音でかき消されないよう、樋口朝陽の耳元でいう。 「清水さんもね」  怯むことのない朝陽は鮮やかに笑顔を返す。  まど香は、その長身の男にカメラを向けた。  赤い花火が夜空で散った。  彼岸花みたい。 「樋口さん、昨日も休みだよね。昨日は誰と来たの?」   花火が上がる合間に訊ねると、 「つまんないこときくね」  そう言って目をそらした。 「わたしは仕事だった。違うひとときたの?」  雪世、というのを期待したものの、そういえば雪世は土曜日出勤で、しっかりと残業もしていた。 「浅井さんだよ」  朝陽はさらりと答えた。浅井さんは雪世の先輩で、何かと口うるさい姉御肌の女だ。ちょっと意外だ。 「どうたったの?」 「浅井さんも浴衣着てきたよ。俺の甚平まで用意してくれた。花火の一番いい席、予約してくれた。二人で観たよ」  ペラペラしゃべる朝陽にまど香は何も言えなくなった。何かよくわからないけれど、胸が痛いのだ。 「妬いた?」  いたずらな笑みを浮かべ、顔を寄せてくる。 「馬鹿じゃないの」  手のひらで押し返し、小さくうなずいた。 「でも、やっぱり……ちょっと妬ける」  樋口朝陽が驚くのがわかった。それから、どちらからでもなく手を繋いだ。  雪世への隠れた嫌がらせのつもりが、こんなことになるなんて。  まど香は思いもよらなかった。
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