祭りの後 2

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祭りの後 2

 しばらく経った水曜日。朝陽はまど香を呼び出した。  駅近くの雑居ビル3階にある居酒屋だった。朝陽の住むアパートからそう遠くなく、程よくおしゃれで、程よく気の抜けた感じが気に入っていた。  だから、まど香を何度か連れて行ったことがあった。  キッチンを囲むように設置されたカウンターに通され、二人は黙って座る。デートと言うには空気が重い。  店員がお通しの小鉢を置いて、飲み物を頼んでも、二人は口を開かない。  目の前ではタオルを巻いたガタイのいい男が炒飯を炒めていた。 「ああいうの、やめてほしいんだけど」  朝陽はようやく口を開いた。 「ああいうのって?」  まど香はポリポリとキュウリを噛んでいる。 「写真だよ」  まど香はわざとらしく目をそらす。 「なんで?」 「何でって。わからないのかよ」  その時、飲み物が届いた。  二人の前に細長いグラスに入ったビールが置かれ、まど香は一口飲み込み、小さなため息を吐き出した。 「なんでだめなの?」  まど香は気だるげに頬杖をつく。 「朝陽がわたしと付き合ったら、傷つく人がたくさんいるから?」  朝陽は思わず口を噤む。何も言えない。  あの写真を撮った前日には浅井さんと花火を観たこと。毎週金曜は雪世の部屋で一晩過ごすこと。でも、心の中にまだあの人がいること。口には出せない。 「わたしはむしろ、落ち込む人がたくさんいるから、したの。朝陽には彼女がいますよーっていうアピール。倉庫一掃大処分祭り。幻想は捨てて仕事に集中したいし」 「何だよそれ」 「じゃあ、直球で聞くけど、彼女でもいるの?」 「いるよ」  はっきりと答えると、まど香は目を丸くした。 「いるの?」 「今更なんだよ。まど香もいるんだろ?」 「わたしはいない。朝陽に遊ばれただけ」 「どっちが」  弄ばれているのはこっちのほうだ。現状を見てみろ。朝陽はこころの中でぼやく。 「俺たちは似ていただけなんだろ? 自分のことを好きだという人を利用しているところが」 「へぇ。そうなんだ。わたしは朝陽の彼女になれたと思っていたけど。朝陽は違うみたいね」  まど香は探るような視線で朝陽を見る。意地悪半分、本音半分なのかもしれない。本当のところがわからない。 「後藤さんや課長に呼び出されても、こんなふうに会わない。会ってあげないもん」  口を尖らせた後、 「わたしは朝陽だけだったのに」  じっとグラスを見つめて言った。どこまでが冗談かわからない。けれど、その横顔に朝陽はしゅんとしてしまった。 「ごめん」  まど香は素直に謝る朝陽をのぞきこんだ。ニヤリと笑っている。 「それで、誰なの? 彼女って」  悪戯な笑顔に急にわからなくなった。  眼の前のまど香よりも親しい女なんて、いるのだろうか。  雪世か?  浅井さんか?  でも、わかっている。頭の中に住んでいるのは、たった一人なんだ。 「瑠衣だよ」  まど香は首を傾げた。 「誰? 会社の人じゃないの?」 「中学のときの同級生」 「うわ」  中学生の同級生と知って、まど香が引いているのがわかった。 「そんな彼女がいるのに最低な行為をしているんだ」  軽蔑の眼差しを向けるまど香に、朝陽はため息を漏らしてしまった。この女には、もう何もかもぶちまけてもいいかもしれない。やけくそになっていた。 「本当は彼女じゃないんだ。告白したわけじゃないし、付き合ってない。仲が良かっただけ。今は弟の彼女」 「はぁ?」 「今、弟の彼女になってる。しかも婚約者。好きな人はそいつ。瑠衣」  まど香相手に何をベラベラ喋っているのだろう。 「えっ、絶望的な片思いじゃない? 本当の意味で彼女じゃないわけ?」  まど香は楽しそうに笑った。それから、ビールを飲み干した。 「意外と悲惨な恋愛してるんだね」 「悪かったね」 「はは、同じ同じ」  急に酔っぱらったのか、朝陽の背中をトントンと叩いた。 「初めての彼氏はさ、その頃仲良かった友だちと結婚したの」  うつむいたまど香は、顔のそばに垂れた髪をかきあげた。 「その人が忘れられないとしたら、朝陽と同じだったのにね」 「違うの?」 「そいつのことはすぐ忘れたのに、友だちは二度とできなくなっちゃった。誰かを好きになるのも面倒くさい。だから、わたしとは安心して遊んで」  朝陽はまど香を見つめた。見た目も愛想も良くて、仕事も割とこなせて、人が羨むような女なのに。自分を捨て駒みたいな言い方をするなんて。 「食べるもの、何か頼もうよ」  努めて明るく、まど香は言った。 「キムチ炒飯とプリプリ海老明太」  朝陽も、努めて普段通りに普段通りのメニューを選ぶ。 「わたしはネギトロ巻きと生トマト」  店員を呼ぶまど香の隣で、朝陽もビールのグラスを空にする。 「会社の奴らなんか、好きにならねぇよ。ギスギスしやがってさ」 「あっ、黒朝陽がでてきた」  まど香はいやに楽しそうな笑顔だった。 「飲め飲め。次もビールにする?」  二人でメニューをのぞきこんだ。  それから、二人して飲みすぎたから、朝陽は初めて人を自分の部屋にあげた。まど香は当たり前みたいにシャワーをした。化粧を落としたまど香はいつもより幼く見えた。  転がるように、絡まるように、古傷を確かめるように、慰め合うのは初めてだったのに、甘い記憶も二日酔いで記憶がドロドロに溶けてしまったけど。  まど香は鬱金ドリンクを置土産にコソコソ帰っていった。  そのあと、何故か週一で会っている。  何も言わなくてもまど香は水曜日の夜、あの店に来る。  クソみたいに下らない話をして、会社での毒を吐き合い、汚く笑いながら酒を飲み交わした。 でも、これも去年の話だ。
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