Aの消失

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 計画通り、中庭のベンチにはコンパクトなデジタルカメラが置かれていた。  春のうららかな陽射しを受けて輝くそれは、まさに僕にとっての希望の証であり、この閉鎖的な生活から抜け出すための完璧なアイテムだった。 **** 「良い?マコト。今度の面会の終わりに、私が中庭のベンチにカメラを置いていく。あなたはいつもの時間に食事を始めたら、先生たちが他の生徒の配膳をしている間に部屋を抜け出すの。そしたら、走って、走って、走って……」  すみれはそう言って、その華奢な腕をめいいっぱい振りながら走るジェスチャーをした。記憶に新しい、前回の面会日のことだ。僕はその必死な仕草を見ながらその魅力的な企みに胸を踊らせていたが、それにはもうひとつ理由があった。 「そしてこの中庭に着く。」  __これだ。  この自信満々なすみれの笑顔。僕はそれがたまらなく好きで、本来の目的を忘れて見入ってしまうほどの魅力がそこにはあった。 「そしてあなたはカメラの画像を見て、中庭からの脱出経路とお金の入ったアカウントのQRコードを……って、聞いてるの?マコトってば!」 「わかった、わかったよ。もちろん聞いてる。」 「もうっあなたがこの寮生活から抜け出したいって言うから考えてあげてるのに!」  その通り。僕らはもともと田舎の小学校でのびのび育った。幼なじみってやつだ。  野山を駆け回り、川に笹舟を流し、朝顔の開花に喜んで過ごしたのに、どういう訳だか僕だけが中学から厳格な全寮制の学校に行くことになってしまった。  規律正しい睡眠、朝から晩まで個人部屋での勉強生活。たまに許される散歩を除いて、僕らが外界に出ていくことは許されない。携帯電話だって持たせてもらえない。それでもこうしてすみれが面会に訪ねて来てくれるから、なんとかやってきた。  しかし窮屈な生活も我慢できるのは2年まで。新学期に変わりバタバタと担当が変わるであろうタイミングで決行しようと言ったのはすみれだった。 「でも……当日に想定外のことが起きたら?」 「たとえば?」 「例えば小森先生が………」 「小森先生が?」  しどろもどろしている僕を責めるようなすみれの視線にドギマギして、僕は思わず適当な事を口走ってしまった。 「ピ、ピザを持ってきたり。」 「ピザ!?」  すみれはその瞬間、弾けるように大口を開けて笑った。 「何でピザなのよ!!」 「だって手で食べたら油で滑ってしまうかもしれないし」 「ふうん?」 「それに、美味しくて最後まで食べたくなってしまうかも……」  気弱な僕の逡巡をふんっと笑い飛ばして、すみれはまた自信満々にこう言った。 「大丈夫、やるのよ。マコト。あなたがそれを望むなら、私はあなたがここから抜け出すのを全力で助けてあげる。」  春を間近に迎えたその日、僕は確かに幸せだった。
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