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その日、昼食にピザは出なかった。
いつもより少し水分の少ない白米と、大根の味噌汁、噛みごたえのない白身魚のフライが配り終えられた瞬間、僕はそこを抜け出すことに何の後悔も無かった。
そしてすみれの姿を思い浮かべながら思い切り腕を振り、後ろに静止を促す声をたなびかせながら中庭に到着した瞬間、僕はカメラを見ながらふと言葉を思い浮かべた。
『幸せ破産って、あると思うの。』
すみれは時々、苦痛に満ちた表情をすることがあった。僕は当然にそれすら魅力に感じていた訳だが、その時のすみれの表情はどこか真に迫っていた。
「幸せ破産?」
「そう。きっとね、間違った形で幸せになった人が、どんどん、どんどん幸せを膨らませると……」
すみれは大きく大きく手を広げて、そして唇を震わせながらそれを弾けさせた。
「ボンっ!って、破産する。」
「……それで、破産したらどうなるの?」
僕らはもう14歳だから、破産という言葉の意味が持つ薄暗さはわかる。それでも、それが具体的にどんな様子を指しているのかについての想像力はいささか足りていなかった。
「破産をするとね、その前にもらった幸せよりも何倍も何倍もひどい苦しみが、襲ってくる。」
「えっ……」
「だから私達は、そこそこの幸せにしておかなきゃいけないの。大丈夫よ、マコト。あなたは大丈夫。」
「……うん。」
大丈夫。僕は大丈夫。
突然思い出された過去の会話が脳裏に浮かんだのは、後ろめたさなんかじゃない。
そう思いながら息を切らしてカメラに走り寄ると、僕は震える手でそのカメラを起動させた。
きっと先生たちはすぐに追いついてしまう。すぐに画像データを確認して、この中庭を抜ける道を理解しなくては………
ピッ
という音がして、ディスプレイが光ったのを覗き込むと、それは手書きの画用紙を撮影した写真だった。
大真面目にそれを左から右まで往復させて、僕はへたり、とその場に座り込んでしまった。
"ごめんね、脱走の手助けはしてあげられない。でも、私はあなたを愛している。その場所をちゃんと卒業したら向こうで会おうね。鈴原すみれより、マコトへ。"
「あぁ………」
何となく、わかっていた。
あの聡明なすみれのこと、本当にいけないことは、きっと思いとどまるだろうと思っていた。そんなところも、好きになったのだ。
フル回転していた心臓が、急に運動を停止した身体の中で不自然に膨らんだようにドクドク余震を続けている。
吹きでる汗と、大勢の足音が聞こえる中、僕は目を瞑った。
幸せじゃないか!何を思い残すことがある。
そうだ、本当に欲しかったのは、あと一年ぼっちの我慢を捨てて自由を手に入れることなんかではない。すみれのことが、欲しかったのだ。
その愛くるしい笑顔と、声と、身体と。
そして愛されていることの確認。
それだけで十分だ。
そこそこなんかじゃない。めいっぱいの幸せ。僕はそれをお腹に抱え込むようにして、雑音を遠くに聞きながらゆっくりと身体を横にした。
あぁ、これじゃ幸せ破産しちゃうのかな。
「ボンっ!」
面白半分にそう口にして、僕は弱々しく笑った。
ひんやりとした中庭の地面は、土と、草と、ほんの少しだけ血液に似た鉄分の匂いがした。
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