三月

3/3
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/21ページ
3/31 同じパーキングエリアに長くいてよいものか、その辺のルールがわからないので──何で定められているんだ、道路交通法だろうか。  今夜を最後に次の場所へと移動しようと思う。  できれば北に向かいたい。ノーマルタイヤなので限界はあるかもしれないが。  この旅に目的はないと、初日の日記にそう記した。  そりゃ僕にだって一生のうちに一度は行ってみたい場所の一つや二つ、三つや四つくらいはある。あるのだけれど、まあそんなものはどうでもいいと思っている。  それはなぜか、一生のうちに行きたい場所なんていうのは、大人がその気になれば意外と用意に達成できてしまうものだからだ。  要はお金である。お金を惜しまずに航空機代につぎ込めば、そんな夢を達成するのは容易い。多くの人がそれをしないのは、お金を大切に思う気持ちがあるからだ。  そりゃそうだ、一生懸命稼いだ給料をたった数日の旅行で散財するなんて、そんな酔狂な真似などするはずがない。  いつでも行けるけれど、行かないだけなのである。  まあ今の僕なら飛行機に頼らなくとも、下道をノロノロ走り続けていれば、いずれ、伊勢神宮なり、出雲大社なり、宗像大社なり辿り着くことはできるだろう(神社は好きだ。その話は長くなるので今回は割愛)  けれど、辿り着くことを──名所をまわることを目的にしてはならない。  名所をまわることが悪いというわけではない。けれどそれは、わかりやすい達成感に浸っているだけなんじゃないかと。充実していると錯覚しているだけなんじゃないかと、そう思う。  目に見えるチェックポイントがある方が、精神的な負担は少ないだろう。けれどその擬似的なゴールを積み重ねているうちに、きっと感覚が麻痺していく。  頭のどこかでは違うとわかっていても、それでも人間は、偽りの充実に縋る生き物だ。  過程よりも結果が全て、とはよく言うけれど。この旅に関しては結果よりも過程の方が大事だと僕はそう感じている。  思考することを放棄してはいけない。
/21ページ

最初のコメントを投稿しよう!