四十二話

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四十二話

 悪天候の土砂降りの中、ブリュンヒルデを乗せた馬車は泥濘む山道に車輪が滑り崖から転落したとされた。遺体が発見されたのはその数日後だったーー。 『あぁどうしてこんな事にっ‼︎ ヴィルマ家に相応しいお嬢さんだと思ったから結婚させたのに、騙されたわ! 旦那の弟と浮気した挙句妊娠して駆け落ちをする途中で事故に遭って亡くなったなんて、そんな事が周囲に知られたらヴィルマ家の家名に傷が付くわ……』 『貴方方のお嬢さんの責任でもあるんですからこの事は決して外に洩らさぬ様に』  最愛の娘を亡くしたソブール夫妻は酷く憔悴しながらも地べたに手をつきひたすら謝罪している。そこに両親が彼等を責め立ていた。本来ならば此方が責められて然るべきなのだが、元々公爵家と伯爵家と婚姻とあり上下関係があった。無論公爵家である此方が立場は上だ。 『申し訳ございません、申し訳ございません、申し訳ございません……』 『勿論この件は公には致しません! ですから、その、資金援助だけは……』  ブリュンヒルデはしがない伯爵家の生まれだが、その価値は王女に匹敵するとされていた。事実平凡な伯爵令嬢としては異例である王族へと嫁ぐ話も持ち上がっていたくらいだ。他にも様々な家柄の上位貴族からの見合い話も婚姻直前まで絶える事がなかったそうだ。それ等を押し除けヴィルマ家がブリュンヒルデを迎え入れる事に漕ぎ着ける事が出来たのは多額資金援助といえる。ソブール夫妻の散財振りは社交界では有名だった。それ故、今回の事でヴィルマ家からの資金援助がなくなれば困るのは分かり切っている。それこそソブール夫妻にとっては娘が亡くなった事実よりも重大な事柄なのだろう。先程からのやり取りでその事が呆れる程窺えた。 『こんな事態を引き起こしておきながら、これまで通り援助を受けられると思っているとは全く呆れる。しかも口外しない代わりに寄越せと?』 『そもそもお嬢さんが亡くなった事で、うちの家とは縁が切れましたのよ? お分かりかしら』 『そんな事を仰らずに! お願い致します‼︎』 『元はと言えばそちらの息子さんがうちのブリュンヒルデを誑かしたのではありませんか⁉︎』  ソブール夫妻と両親等は醜い言い争いを始め、全く持って手が付けられない。マンフレットは深いため息を吐き部屋を出た。  ブリュンヒルデの死を知ったのは領土の視察から戻ってからだった。その時にはもうブリュンヒルデの埋葬は終わっていた。当然だ、彼女が亡くなってから既に一ヶ月以上も経過していたのだ。葬儀は旦那である自分のみならず、家族以外の親族すら参列をしなかったそうだ。所謂密葬という事だ。体裁を考え兎に角内々に済ませたかったのだろう。  彼女の死を知った時、流石のマンフレットも多少動揺し驚きはしたが何の感情も湧く事はなかった。両親や弟から事の顛末を聞いても他人事にしか思えなかった。  昔から感じてはいた。自分はどこか人としての感情が欠落している。だが自分ではどうする事は出来ない。そして二十数年生きて来て理解した。自分で努力して感情が動かせるものではないと、それを受け入れる他はない。 『僕は遊びだった! なのに彼女が本気になっちゃって。最初に誘って来たのも向こうからで、だから僕は』  いつの間にか後を追って来ていた弟のリュークが、此方は何も言っていないのにも関わらずつらつらと言い訳を並べ始めた。言い回しこそ多少違いはあるものの、先程両親等の前で話していた内容と大差はない。延々と言葉を変え同じ事を繰り返す弟に正直面倒に感じた。   『もういい』 『え……赦してくれるの』 『お前の話の真意は正直判断し兼ねるが、少なくてもブリュンヒルデにも非はあったはずだ。彼女は自らの意思でお前と不貞行為に及び、自らの足で屋敷を出て行った。これ等の事は紛れもない事実だ』  リュークの言い分は兎も角、使用人等から証言は取れている。それにブリュンヒルデとリュークが不貞関係にあった事は随分前からマンフレット自身も知っていた。ギーからの報告もそうだが、そもそもあれだけ大胆に白昼堂々行為に及んでいれば嫌でも気付く。だが妻としての役割を果たし、互いに割り切った関係で度を越さなければ構わないと放置していた。政略結婚が一般的な貴族社会で不倫など珍しい話ではない。それにリュークは怪しいが、ブリュンヒルデはその辺の線引きは確りするだろうと考えていた。だがどうやら見誤った様だ。避妊に失敗し夫以外の子を身籠り、挙句男と駆け落ちをしたなどと聞いて呆れる。知性と美貌を兼ね備え女神とさえ言われた女は、情欲に溺れ理性を捨てたただの女に成り下がった。完璧で理想的な妻だと思っていた故に残念だと思う他ない。
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