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僕はとある出版社の編集をしている。
ここの出版社は手広く作品を扱っていて、僕が担当している作家は大人向け官能小説を書いていた。
その作家は若い女だった。
もう30も後半に差し掛かった僕と比べては烏滸がましいほどハリのある美人で、細くしなやかな眉、目は切れ長でありながらも長い睫毛をいつも伏せていて、黒く透き通る瞳の色を隠す。鼻筋は嫌味のない美しい通りで、唇は夕焼け色の赤、絹のような黒髪をいつも乱雑に一つにまとめている。
女は華奢だった。
白魚のような手は美しく、まるで家事の苦労をも知らないほど純潔だった。白く今にも折れそうな程細い足はすらりと伸びていて、草臥れた膝丈のズボンすら洒落て見える。
そして女はいつも机に向かって、万年筆で文を書く。今時パソコンのワードで打てばいいのに、つらつらと忙しなく右手を動かしては文字を紡ぐ。
僕はそれを静かに眺めているのが好きだった。
この女の字は丁寧で、しかし何処となく崩れている。まるで草書のお手本みたく水の波紋を思い出す流麗な字で紡がれるのは、男女の逢瀬に他ならない。
さて、女の小説はあまり有名では無かった。
無名よりも名前があるぐらいで、広い名作の海に沈んでいる様にさえ思える。
それでも僕は、女の書く作品が嫌いじゃ無かった。
そう、これは『好き』な訳じゃ無い。あくまで『嫌いの領域に含まれない』程度で気に入っているのだ。
女の作品は個性的であるものの何処か単調で、その上捻りがない。数多ある作品に埋れれば良い方、それ以外は存在すら危うく風の前の灯火にも思える。
しかしながら、少しの希望もある。何故なら、その文章は僕の好みに似通っていたからだ。
僕は女が書いた文章に目を通す度に、何処となく背中に爪を立てられたような快楽を味わう。服の隙間から伝う様に上る女の細い指が、自らの跡を残す様にゆっくりと、そしてしっかりと痛みを伝える。
僕はふと、女の指を見た。いかにも女の手といったか弱い人差し指には、ぷっくりとしたペンダコができていた。
──美しい。
それが僕の女に対する初めの印象だった。
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