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息子が三歳を迎えて少しした頃、私のお腹は誰の目にも明らかな程大きくなっていた。
「はるくん、たまごちゃんがキックしてるよ、触ってみて」
「たまごちゃん、お兄ちゃんですよ。おはよう!」
「あ、また蹴ってるね」
「たまごちゃんは今日も元気だねーー」
優しいお兄ちゃんに育ってくれているけれど、いざ目の前に赤ちゃんが登場したらどんな反応をするのか、楽しみでもあり、心配もあり。
その前に、私の出産入院中の息子の生活も気がかりで仕方ない。
いまだかつて長時間離れて生活したことなどないのだから。
ざわざわと心が落ち着かないのは妊婦のホルモンバランスの変化によるものなのか。
出産が目前に迫り、性別も女の子でほぼ間違いないという赤ちゃんの名前を決めようとパパと相談していると、息子が割って入ってきた。
「ちがうーー、たまごちゃん!くすのきたまご!
たまごちゃんに他の名前はつけないで!」
胎児に愛称をつけて声をかけましょう、というのが妊娠育児雑誌で当時流行していて、私も「たまごちゃん」と胎名のつもりで呼びかけていたけれど、まだ三歳の息子がそんな経緯を理解しているはずもなかった。
私不在時の生活や、生まれたての赤ちゃんとの対面よりも前に、息子のことで一悶着あるとは予想だにしていなかった。
どんな名前を言ってみても、だめの一点張りの息子。
「楠木たまご」
なんだか、美味しそうなブランド鶏卵みたいで笑ってしまう。
「たまごちゃん」
一周回って、可愛い名前にも思えてきたが、成長した娘に恨まれるに決まっている。
息子の「たまごちゃん」という名前への愛着は尊重したいけれど、娘の正式な名前は姓名判断とか、諸々考えてパパとママがつけさせてもらう。
ごめんね、はるくん。
出産を終えて半日経った頃、おばあちゃんに連れられた息子が病院にやってきて私は二日ぶりに息子と対面した。
「はるくん、会いたかったよ!」
私が息子にハグをしたけれど、息子はちょっと照れくさそうだった。
「おばあちゃんのおうちで仲良くしてた?」
「うん。はるくん、すごくいい子にしてて、じいじからも褒められた。」
「そっか。えらいぞー!
ありがとうね。ママも大助かり!
いい子いい子!」
しばらく、病室で話してから、みんなで新生児室の娘に会いに行く道中、おばあちゃんが言った。
「はるくんの妹ちゃんのお名前、どんな名前になるのかなあ。」
きっと本当の名前が決まったか知りたかったのだけど、答えたのは息子。
「くすのきたまごちゃんだよ!」
「え!本当にたまごちゃんっていう名前にするの?」
おばあちゃんが驚いた顔をしていたけれど、その場では苦笑いすることしかできなかった。
果たして、純粋で頑固で、妹想いの息子は正式な名前をいつ受け入れられるだろうか。
ガラス越しの小さなベッドの中で眠る娘に初めて対面して、超が着くほどご機嫌な息子。
「たまごちゃん!お兄ちゃんだよーー!
ママ、すっごく小さいね。もうはるくんびっくりしたの。はるくん抱っこしたいな。
たまごちゃーーん!」
「たまごちゃん、お兄ちゃんにやっと会えたって喜んでると思うよ。
いっつもお話ししてくれてありがとうって、って思ってるんじゃないかな。」
かわいいなー生まれたばかりの娘も、まだ小さな三歳の息子も。
私は息子の頭を撫でながら心の中で呟いた。
お兄ちゃん、これからもよろしくね。
楠木桜都(おと)です。
生後三ヶ月の娘を載せたベビーカーを押しながら、息子と三人でお買い物をしていると、野菜売り場の近くで、見知らぬ女性から声をかけられた。
「かわいらしい赤ちゃんね。」
すると息子が咄嗟に答えた。
「くすのきおとです。0歳です。」
生まれたばかりの赤ちゃんは珍しく、声をかけられたり、月齢や名前を訊かれることも多いので息子も慣れっこだけど、名前まで名乗るのね、今日は。
「あらあら、かっこいいお兄ちゃんですね。
おとちゃんとってもかわいいから、おばちゃんのお家にくれないかしら。」
「絶対だめです。おとちゃんは僕の妹です。」
そう言って、小さな体で妹を守ろうとベビーカーの前に立ちはだかる息子。
「だめか。お兄ちゃん強そうだからおばちゃん諦めるわね。ごめんなさいね。これからも妹ちゃんのこと守ってあげてね。」
そう言って立ち去る女性の後ろ姿に、ため息を漏らす息子。
「ママ、ここのお店危ないから、早く帰ろう。」
生まれる前も生まれてからも、妹を大切にしてくれてありがとう、はるくん。
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