(その8)2月、クレーンゲームを(1)

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(その8)2月、クレーンゲームを(1)

「先生、見て! クレーンゲーム! やってみたいなあ」  デートを楽しんだ後、帰り道の土曜日。巽が三宮商店街の一角にあるゲームセンターの入り口を覗きこみ、目を輝やかせてそう言った。  南條も覗きこむ。「☆初心者向けです☆」と書かれたカラフルなポップの向こうに鎮座するクレーンゲームはよくあるポピュラーな形で、箱詰めの大きなお菓子がうず高く積まれていた。商品を落とす穴付近にもお菓子が積まれている。取りやすそうだ。  入り口のすぐ脇、アーケードを通る人々の目につきやすい場所にあるということは、客寄せの目玉商品なのだろう。  巽がわくわくした目で夫を見つめている。 「おれ、クレーンゲームはアニメで観て、憧れてたんです! 予算千円でしてもいい? あ、お小遣いから出します!」  南條は快くうなずいた。何事も挑戦、は彼のモットーでもある。自分の財布を開き、百円玉五枚を巽の手のひらに乗せた。 「五百円はプレゼントな」 「ありがとう、先生! がんばる!」  巽は勇ましくクレーンゲームに向き直ると、操作説明の簡単な図解を見つつ慎重にゲームを進めていく。図解のところには「こうすれば取りやすいよ!」と書かれたポップも貼られており、巽はしっかりそれも読んでいた。意外と器用な手つきで、スティックやボタンを操作する。  隣で、固唾を飲んで見守る南條。 「巽くん、がんばれ」  抑えた声で応援すると、巽はただこくりとうなずき、狙いのお菓子(チョコレート菓子詰め合わせ)をゲットしようと集中している。その真剣な佇まいと表情に、周りのお客さんたちもいっしょになって見守ってくれていた。  巽と南條がいる場所はアーケードに面した屋外なので、寒いのだが、少なくとも今の巽は震えていない。その指先は、どこまでも正確だ。  五百円でコツがつかめた。六百円、七百円……と外したが、八百円で惜しいところまで行き、九百円でなんと、お菓子をゲットできたのである。 「凄いぞ巽くん!」 「やりました、先生!」  顔を輝かせてハイタッチしてくれる先生に、巽もハイタッチ。周りにいたお客さんたちもほのぼのとした顔で拍手してくれた。 「先生とゲームに来てるの? よかったねえ学生さん」  手押し車を押しつつ、大根を持って通りかかったおばあちゃんも声を掛けてくれる。注目を浴びて巽は恥ずかしいものの、うれしく、なんだか誇らしかった。 「先生、おれ、クレーンゲーム得意かも!」 「そうか、よかった。巽くんは器用だな。おれもやってみようかな?」  巽は両腕でお菓子の箱を抱いて、笑顔で「うんっ」と答える。器用でなんでもできる先生なら、クレーンゲームだって絶対に得意だと思ったのだ。
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