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(その11)5月、可愛いものを持って(2)
「いや、わりと似合う……と、思うぞ?」
「ほ、ほんと……?」
巽の顔は暗い。ミラーをテーブルに置くと、「実は……」と腰を上げ、寝室に向かう。ネクタイが入っていたのと同じ、デパートの袋を持って戻ってきた。
中身を取り出すと、そこにあったのは南條にあげたのと同じ、ハムスターの刺繍が入った青いチェック柄のハンカチだった。巽のハンカチの刺繍は大きく、「プリケツ」デザインのものが一か所だけ、ワンポイントで入っている。
「……このハンカチ、見つけて。先生とおそろいになるから、いいかなって……」
それに、ハムスターは可愛いし……先生に似合うって思ったし、ハム太くんはおれたちの友達で息子だから、いいかなって……と、うつむいて話す巽。
妻の体を、南條は抱き潰さんばかりに抱きしめた。腕の中で巽は真っ赤になって、もがく。
「いたた、先生、いたい……!」
「ご、ごめんな。でも、君の気持ち、うれしいよ。確かにおれには可愛すぎるが――」
「や、やっぱり? ご、ごめんね先生! 先生って、どっちかと言うとアーミー系とか、そっち系だよね!?」
「いや、さすがにそこまでゴリゴリのは着ないよ。その筋の人間に間違えられるからな」
「さ、さすが初対面の学生さんに『傭兵』って呼ばれて逃げられただけはあるね……」
南條はくすっと笑った。目尻に涙が滲んでいる。
「そうそう。それに、あんまりかっちりしすぎたスーツもな。『若頭』に間違えられる」
「そう言えばそうだったね……」
「だから、ハムちゃんのネクタイだったらそんなことにはならないだろう。ありがとう、巽くん。うれしいよ」
「ほ……ほんとにほんと?」
「ほんとに、ほんとだ」
巽の目に、じわりと涙が宿った。目を潤ませ、夫の逞しい胸に抱きつく。
「うんっ! ありがとう、先生!」
「お礼を言うのはおれのほうだ。……ありがとうな。つらいのに」
巽は涙を拭って笑う。冬のさなか、魔法で蕾が開いたように。
「ううん。大丈夫。先生だって、泣いてるんでしょ? おれ、知ってるんだよ。先生が、お風呂で泣いてたの」
南條はひどく驚いた顔をして、照れ臭そうに笑ってみせた。
「なんだ、筒抜けか」
「先生は、おれがお風呂で泣いてたことを知ってる。それは、先生が泣いてたからじゃない?」
「……ああ」
抱きしめあって、二人は含み笑う。巽はネクタイを夫の首に掛けて、
「よかったら使ってね、先生」
「ああ。このネクタイを締めるとき、君とハム太くんと、おれたちの赤ちゃんを思い出すよ」
いない赤ちゃん、将来も、もう授からないかもしれない赤ちゃん。
その赤ちゃんの名前を出してくれたので、巽はうれしかった。いないはずなのに、一生出会えないはずなのに、すでに自分たちに家族の絆ができているような気がしたのだ。
だから、やっぱり、巽は同じところに戻ってくる。
それだけでいい、と。
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