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(その13)5月、体重計に乗った夜に(2)
「……先生、くすぐったいです」
わざと抗議するように言ってみれば、南條はすぐに手を引っ込めた。
「ごめんな。ダイエットしたいって言うのなら、協力はできるよ。でも、痩せすぎも体に悪いからな。健康的な体作りができたらいちばんいいと、おれは思う。……って、ごめん。説教臭くなった」
教師職はこういうときだめだなと困った顔で笑う南條に、巽はにんまりする。先生のバキバキに割れたシックスパックを、Tシャツの上からつついた。確かな手応えにうっとりする。巽は先生の固いお腹に頭を乗せて眠ることが大好きだ。腕枕と同じくらいに。
そんななか、南條はお腹を触られながら首を傾げた。
「でも巽くん、なんで太ったんだろうな。確かに、食べる量は増えた気がするが」
「そういえば、先生のごはんが美味しすぎて太った気がする、おれ」
巽がそう洞察を口にすれば、南條は心底うれしそうに笑った。
「幸せ太りってやつなら、おれもうれしいぞ」
「幸せ太り?」
「家庭円満なときに、人は太るんだ」
じゃあそれ! と巽は頬を染め、大きくうなずく。
「おれが太ったのも仕方ないってこと?」
「かもなあ」
「幸せだもんね。なんだぁ」
巽はその事実を味わうようにしばらくぼんやりしていたが、急にその目に覇気が宿った。
「幸せなのはうれしいけど、やっぱりおれ、お腹をすっきりさせるために運動してみようかな」
「そうか。それなら有酸素運動がオススメだ」
「歩いてみようかな。今は通学が二駅電車だから、歩きにするの!」
いいこと思いついた、という顔の巽だが、南條は難色を示す顔である。心配でたまらないというように、口を開いた。
「学校は夜だろう?(巽は定時制高校に通っている)夜道は危ないよ」
「そうかなあ? おれ、男だし……」
「男の子でも危ないよ。最近は物騒だ。あ、それなら……」
「え?」
「帰りはおれが歩いて迎えに行こうか」
巽は目を丸くして、そしてそのあどけない顔がぱあっと明るくなった。月の光で輝く原石のように、二つの茶色の瞳が眩しく輝く。先生に抱きついて、「うんっ」と大きな声で返事した。
「いいの!? 先生、危なくない?」
「おれを襲おうとする変質者はそうそういないだろう」
「わかんないよー! 先生、セクシーだもん!」
「君という素敵な奥さんがいると言って、お断りするよ」
そうだね、そうしてね! と巽は満面の笑みだ。南條もにこにこと笑っている。拳を空(くう)に突き上げ、巽は「明日から、夜のお散歩開始!」
元気に言った。
南條も拳を突き上げ、「人生、一歩ずつ!」となにやら教訓めいたことを言う。
顔を見合わせて笑い、並んでテレビに向かって、明日の天気予報をチェックする二人なのだった。
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