(その15)6月、水着を買おう

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(その15)6月、水着を買おう

 夫が紳士服売り場でネクタイを見ている間に、巽はこっそりデパート三階の特設会場に降りて、水着を物色していた。  来たるべき夏、来たるべき夫との海岸デートに備えるためである。  小麦色の肌にぷっくり唇の、ギャルっぽい店員さんが、丁寧に接客してくれた。 「お客様、こちらが男性の方の水着コーナーです。……あの、間違っていたら申し訳ありません。男性の方、ですよね?」  巽はこくこくとうなずき、頬を紅潮させた。 「でも、女性物がいいんです。あの、おれ、オメガで。オメガで女性物を着る人もいるって聞いて。その……おかしいでしょうか?」  店員さんは目を丸くしたが、やがてにこっと微笑んだ。 「いえ、性別に関係なく、着たい服を着るのがいい。あたしは、そう思います。確かにオメガの方は、男性でも華奢で、女性物がお似合いになられる印象です。ごいっしょに選ばせていただきましょうか?」  巽はうれしくて、何度もうなずいた。変態を見るような目で見られると、いたたまれないと思っていたのだ。とはいえ、おれは確かに変態かも、と思う。  なにせ――セクシー水着で、夫の南條先生を悩殺しようと計画しているのだ。  店員さんが、にこにこと笑いながら水着を手に戻ってきた。 「こちら、ペプラム付きの白い水着です。お客様の白いお肌によく似合われると思いますよ」 「も、もっとセクシーなのはないですか!?」 「セクシーなの、ですか?」  巽は何度もうなずいて、目をきらきらさせて訴える。 「夫と海にデートに行く予定なんです。きゅ、きゅんきゅんさせたいんです!」  店員さんはぐっとサムズアップした。 「いいですね! じゃあ、もっとセクシーなのを探しましょう!」 「はいっ!」  二人はセクシー水着を求め、数多ある水着を掻き分けた。巽がハンガーをラックから外して、店員さんに尋ねる。 「こっちの黒い水着はどう思いますか?」 「お客様には少し落ち着きすぎているというか……お客様、初々しい愛らしさがお有りですので、もう少し可愛らしいものでもいいと思います。でしたら、こちらのピンクは?」 「わあ、可愛い! 素敵ですね。……あ、でも、サイズがSならおれにはきついです」 「うーん、どれがいいでしょうね……」  ノリノリで真剣に悩んでくれる店員さん。有難いなあ、と巽が感激していると。 「こちらはいかがですか?」  おすすめしてくれた水着に、巽の目が釘付けになる。ときめいた。可愛かったのだ。  明るい水色の水着だ。巽は、水色や青い色が好きである。さらに、ビキニタイプになっていて、胸の部分は短いチューブトップのようになっている。  そして、下は。前の部分はしっかり覆ってくれる安心設計だが、後ろの部分――つまりお尻部分は、俗に言うTバック(よりは、布面積があるのだが、ほぼほぼTバックと言っていい)になっている。  バッと顔を上げて店員さんを見ると、真顔でうなずいてくれた。巽はハンガーに掛かった水着をしっかりとつかむ。 「これ、か、可愛い……ですね。それに、すごくセクシーだし! あの、おれ……その、プリケツが自慢なんです。夫も、ふっくらしたお尻が可愛いよって言ってくれて」  はにかみながら突然惚気だした巽に、店員さんは爽やかにうれしそうに笑う。 「気に入ったものが見つかってよかったです! この水着、たしかにお尻の形が可愛いくきれいに見えそうですね」  顔を見合わせて、微笑みあった。  悩殺、がんばってください! と元気に送り出してもらい、巽も意気揚々だ。紙袋を提げ、待ち合わせ場所に急いで向かうと、南條先生は先に来て待っていた。  巽の顔を見て、優しく笑う。 「お、買い物したのか? なにを買ったんだ?」 「へへ、秘密! 夏まで待ってね」 「なんだろうな。麦わら帽子とか?」 「秘密だもーん」  じゃあ楽しみにしておくなと笑って、南條は愛妻の手を握った。 「ワッフルでも食べるか?」 「あ! うん、この近くに美味しいお店、あったよね。行きたい!」  二人で並んで、デパートを出る。梅雨に入ったばかりで、街は雨模様だ。空気がむっと湿っていて、青空が恋しかった。  巽はキュッと紙袋の持ち手を握り、夢見がちな瞳を潤ませて、夏を思う。  繋いだ手を握りしめて、 「先生。夏は、いっしょに海に行こうね」 「ああ。約束だ」  おれもサングラス、買おうかなと笑う南條。そのほのぼのした無防備な笑顔に、  ――待っててね、先生。悩殺しちゃうから!  内心、にまにまと笑いながら誓う巽。  来たるべき夏、来たるべき海岸デート。その日を楽しみに、雨空を軽々と駆け抜けていく巽だった。 ↓巽が買った水着です!夏のおたのしみですね。 993ae7d8-8a61-4d46-a8bb-ac20b8d98974
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