(その16)7月、デートだったのに

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(その16)7月、デートだったのに

 七月中旬。南條夫妻は、海へとやってきた。カラフルな水着や軽やかな服装ではしゃぐ人々の合間を縫って、巽はきょろきょろしている。 「うわー、すごい人だね! けっこう混んでるんだぁ」  大きな浮き輪を抱え、麦わら帽子に白いワンピース。巽は海岸の雑踏で、天使のように目立っていた。  大学生なのか、社会人なのかはわからないけれど、夏を謳歌していると思しき男たちが、巽のほうをちらちら見ている。隙あらば声を掛けようという風情だ。  だが、にまにまとうれしそうに好色に笑った顔も、南條の視線とぶつかって、慌てて目を逸らすはめになる。  渚の天使には、こわーいカタブツ教授の護衛がついているのだ。  ワンピースの巽に対し、南條はサングラスを掛け、ダークトーンのアロハシャツの前を開けて、下はスイムパンツにサンダル。「ちょっと羽目を外したその筋の者」である。  そんな威圧感満載の夫の手を、巽はしっかりと握って、人混みをかき分けていく。ちらほら聞こえてくる声。 「うわ、可愛い子……!」 「ただの天使か」 「連れの男、ヤクザかな?」 「でも女の子、楽しそうだな……」 「っていうか、淫行ってやつ?」  すれ違う人々から誤解されながら、二人は比較的ひとけの少ない岩場の影にやってきた。南條がビニールシートを敷き、小型のパラソルを立てる。波が打ち寄せる海岸。水平線が遠く広がり、さんさんと日差しが降り注いで、水しぶきがきらめく。絶景だ。 「海はいいなあ、巽くん」  朗らかに笑う南條。巽も「気持ちいいね」と笑いながら、いそいそとワンピースを脱いでいく。  パラソルから顔を上げた南條の視線が、釘付けになった。  巽はいつの間にか、水着姿になっていた。肌の白さを引き立てる、ペールトーンの水色の水着。水着はビキニタイプになっている。つまり、お腹は丸見えだ。明らかに女性物だが、よく似合っている。  しかし。しかしである。  ガン見した南條はサングラスを勢いよく外すと、上擦った声で、 「……布が……少なすぎる……」  そうつぶやいた。  てっきり褒めてくれると思っていた巽は、衝撃を受けているらしき夫を前に、戸惑ってしまった。 「そ、そうかなあ……? おっぱいだってちゃんと隠れてるし……」 「確かに隠れてはいるが、ギリギリじゃないか……。い、いや、男の子だからそもそもおっぱいは出してていいんだが、それにしても……」  南條の視線が下に移る。巽は堂々と、ポーズをとってみせた。 「下はバッチリ清楚でしょ? あ、お尻はぷりんぷりんだから、ぜひ見てね先生!」 「尻が……ぷりんぷりん……」  オウム返しの南條を前に、巽は後ろを向く。先生は無言になり、突然慌てて巽の脱いだワンピースを彼の背中に掛けた。 「ぷ、ぷりんぷりんがすぎないか巽くん……!? ほぼほぼTバックじゃないか!」  巽ご自慢(そして南條お気に入り)の、ぷるぷるぷりぷりの白い柔尻が露わなのだ。大事な部分は隠れているものの、布面積は少ない。巽は頬を染め、はにかみながら夫の顔を覗きこんだ。 「えへ。ドキドキしてくれた?」 「り、理性が爆発するところだったよ……!」 「悩殺完了!?」 「ああ、悩殺された。だから……」  なにか言いたそうな南條を遮り、巽は幸せいっぱいにはしゃぐ。海を背に両手を広げて、 「ねえ、先生!この水着で写真を撮って、海の家でかき氷も食べて、いっぱい遊んで、夏の思い出いっぱい作ろうね!」  南條は、鋭い目を細めた。サングラスをアロハシャツの胸ポケットに入れると、静かな口調で、 「この水着はだめだ。ワンピース、着ていなさい」  巽の感じたがっかりは半端なものではなかった。セクシー水着で先生を悩殺して、大人のデート。そう思って、楽しみにしていたのに。  顔をくしゃっと歪め、渡されたワンピースを握りしめる。なぜ先生がだめだと言うのか、わからなかった。 「……どうして? おれの水着、よくなかった?」 「そんなことはない。ただ、ふさわしくない、ということだ」  打ち寄せる波頭に深いブルーをたたえた海。どこまでも続く砂浜。波の音と鳥の声。楽しそうなざわめき。肌に痛い、でも開放的な気分にさせてくれる、夏の太陽。  すべてが巽の元から遠ざかり、あたりはモノクロームに沈んだ。  巽はワンピースを砂浜に投げ捨てると、泣きながら走り出した。 「た、巽、くんっ……!?」  呼びかける先生の声も置き去りにして。 「知らない。知らない。先生なんか、知らない……っ!」  泣きながら砂浜を走り、人混みに紛れる。  その後ろを、三人組の男たちが尾けていった――。  (次回に続く)
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