(その17)7月、一番星と

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(その17)7月、一番星と

**前回(その16)の続きです。 「気の毒だな、巽ちゃん。……あ、そんなんでいいのか? もっとマンゴー、ましましにする?」  銀髪青年の言葉に、巽はふるふると首を横に振った。潮風が、巽のさらさらの黒髪を撫でていく。 「いえ、これでいいです。すみません、ご馳走していただいて」 「いいって、いいって。あっちで涼もう」  銀髪青年に連れられ、マンゴーシロップがたっぷり掛かり、ジューシーな角切りマンゴーが乗ったかき氷を手に、巽は海の家の奥へと入っていく。冷房が効いた店内の座敷には、すでに金髪青年と、青髪の青年が座っていた。みんなアロハやTシャツにスイムパンツ姿だ。 「おー、巽ちゃん。こっち、こっち、座って。それにしても酷い旦那だよなあ」  金髪青年がクリームソーダを飲みながら巽を手招きすると、巽は金髪と青髪の間に腰を下ろし、 「はいっ」  と、語気を強めた。  南條先生に水着を注意されて、ショックで飛び出してきた巽。行くところもなくうろうろしていたら、金髪、銀髪、青髪の青年たちに声を掛けられた。 「お姉さん、さっき厳つい彼氏と歩いてた人ですよね? 大丈夫ですか?」  巽は必死で涙を拭っていたところだったので、恥ずかしかったが、こくりとうなずいた。 「おれたちが話、聞きましょうか?」と青髪。  そこで、巽は三人と歩いて海の家に向かいながら、夫に水着を注意された、ということを愚痴ってしまった。  青年たちはみんな驚いた顔で、 「こんなにお姉さんに似合ってるのに!?」 「こんなに可愛いのに!?」 「武骨な旦那だわ」  と、ひたすら巽の肩を持ってくれた。巽も自信が戻ってきて、 「お、おかしくないですよね? おれ、男が女性物を着てるから、それでだめなのかなって、後でちょっと思って……」  思わず、本音を話した。  銀髪青年が目を瞠る。 「え? お姉さん……じゃないの? 男なんですか?」  巽ははにかんだ。 「はい。オメガの男、です」 「オメガ……。珍しい性ですね。そうか、オメガか。でも、オメガなら女性物を着る人もけっこういるって聞くし、いいのでは?」 「で、ですか!? よ、よかったぁ」 「とにかく、そんな武骨な旦那は置いといて、おれたちとかき氷でも食べましょう。せっかくの夏、せっかくの海なんだから」  はい、と巽は涙を拭って笑い、三人についていった。  そこでひとしきり巽が不満を並べ立て、青年たちは聞いていた。  しかし、である。青髪が言いだした。 「旦那さん、巽ちゃんが無防備でピュアで可愛くて人が好すぎるから心配したのかもな……」  巽はよくわからないという顔をしたが、他の二人の青年は、言わんとすることがよくわかったらしい。うんうんとうなずくと、 「巽ちゃん、こう言っちゃ悪いけど、目をつけられやすい雰囲気っていうか……。断るのも下手そうだし、人に対して疑いを持たなさそうだし」  金髪はにこにこして、「おれたちのことは怖くないですかー?」と顔を覗きこんでくる。  巽はきょとんとしてしまった。 「え……? 怖くないです。だって、親切なお兄さんたちだもん」 「甘い顔して近づいて、実は巽ちゃんを酷い目に遭わせようとしている悪者かもしれないよ?」  だったらどうする? と青髪に訊かれ、巽は思わず辺りを見回した。カップル、家族連れ、友人同士……賑わっている海の家。こんな公衆の面前で、「なにか」は起こりようがない、と思う。  だが、銀髪は笑ってこう言った。 「例えば、こっそり巽ちゃんのかき氷に睡眠薬を混ぜるとか……それで巽ちゃんが前後不覚になったところを、酷いことをするかもしれないんだよ?」  巽は無言で三人の顔を見まわす。三人とも、爽やかで夏がよく似合う、イケメンのお兄さんたちだ。でも、ふいに少し怖くなった。うつむく巽に、金髪が言う。 「だから巽ちゃん、旦那さんのところへ帰ろうよ。悪い奴が巽ちゃんを狙ってるかもしれないんだから。旦那さんだって今ごろ巽ちゃんを探して――」  そのときだ。 「巽くん……!」  南條が海の家に駆け込んできた。血相を変え、みすみす姫をドラゴンに奪われた騎士の顔をしている。巽の姿を見つけると素早く駆け寄り、ひしっと抱き寄せた。巽も、逞しい腕の中へ飛び込む。 「せ、せんせっ……! こ、こわ、こわかったぁ……!」 「もう大丈夫だぞ、巽くん。……誘拐は犯罪ですよ?」  鋭い目で睨みつける南條。凄みのある眼差しと口調、そしてムキムキの筋肉の圧に、場は緊迫して静まり返った。先ほどまではしゃいでいた子どもたちも凍りついている。  だが、金髪、銀髪、青髪の三人はへらへら笑っていた。テーブルに載ったグラスやかき氷を指差し、 「巽さんと、少しお話していただけです。よからぬことを考えている不届き者もいるので、気をつけるようにと」 「不届き者……。それは」  あなたたちでは? と南條が斬りかかろうとしたそのとき、三人はスイムパンツのポケットを探り、腕章を取り出した。オレンジの、そろいの腕章だ。その腕章を胸の前にかざして、三人は言った。 「私たちは沿岸警備の者です。海の事故・犯罪防止のためにパトロールしております。巽さんの身の安全が確保されましたので、私たちはこれで次の任務に向かいます」  南條と巽はぽかんとしている。巽は涙を拭いながら、「おまわりさん……?」とつぶやいた。  銀髪はにこっと笑うと、 「巽ちゃん、旦那さんと仲良く安全に海をエンジョイしてな!」  ぐっとサムズアップして、二人の仲間たちと共に海の家を出て行った。 「……いまいち本物だと信用しきれなかったが、まあいいか」 「きっと本当にお巡りさんだったんだよ、先生!」  そんなことを言いあいながら、南條と巽は浅瀬で遊んでいる。巽は水色の水着、南條はアロハシャツを脱いでスイムパンツ姿。太陽が海に落ちていく、夕暮れのことだ。  遊び疲れた巽がビニールシートに腰を下ろすと、その背中に南條がアロハシャツをそっと掛けた。 「水着、素敵だぞ、巽くん」 「……ふふ。ありがとう、先生」  おれも先生の気持ち、考えてなかった。ごめんね。先生、心配してくれてたんだよね。  巽が謝ると、南條はアロハシャツごと背中から巽を抱きしめる。 「どんな水着を着るのも君の自由だけど、怖くなってしまったんだ。おれこそ、ごめんな」 「ううん。先生が心配してくれる気持ち、うれしい。ありがとう」  星が出るね、と巽が空を見上げる。緑と紫の空に、一番星が輝いている。巽は振り向いて、笑った。 「ねえ、先生。夏の思い出、いっぱいできたよ。ありがとう、先生」 「おれこそ、ありがとう。たぶん、おれは思い出す。死ぬときも」 「ええ~? 先生、大げさだなあ」  巽が笑えば、先生も笑う。でも、巽は知っている。  おれも死ぬときに、きっと思い出すだろうと。
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