(その18)8月、三人でDVDを

1/1
111人が本棚に入れています
本棚に追加
/52ページ

(その18)8月、三人でDVDを

 暑さが引かない。八月の夜十時過ぎ、南條はトレーニングを終えて汗を流し、冷房が効いた部屋の中で、無糖の炭酸水で一服していた。  その間、妻の巽は自分の部屋にいたのだが、静かな足音で夫がいるリビングダニングに戻ってくると、弱々しい声でこう頼んできた。 「あのね、先生。お願いが……あります」  巽は振り向いた夫の不思議そうな顔を見たには見たのだが、説明などはしなかった。手の中のブツを見てもらえればわかってもらえる話なのだ。ハム太くんを小脇に抱いたまま、おずおずとDVDを差し出した。 「DVD?」  先生はますます不思議そうな顔をする。ろくろくパッケージも見ずに受け取り、 「珍しいな。巽くんは、サブスクの動画配信サービスを利用してるんだと思ってた」  笑う南條に、巽の顔は真っ青になっていく。慌てて目を逸らし、パッケージの画(え)が目に入らないようにした。横を向き、ハム太くんをぎゅっと抱きしめてこう言う。 「それ、おれが興味あるって言ったら、光雅(こうが)くんが貸してくれたの!」 「ああ、学校の友達か。……もしかして、エッチなDVDとか?」  ついに息子に性の目覚めが……と慈しむ父親のように、感慨深くも軽い気持ちが滲む表情でパッケージを表にした南條は、そこに映るセンセーショナルな画にしばらく目が点になった。  若い女の喉がざっくり裂けていて、その向こうに不気味な仮面を被った鉤爪の化け物の姿が……。 「み、見せないで!!」  巽の絶叫。ぎゅうぎゅうとハム太くんの首を、絞め落とさんばかりに抱きしめている。 「そ、それ、この前流行った『喉斬り村』ってホラー映画! お、おれ、怖い話はすっごく苦手だけど、でもでも気になるから、せ、先生とハム太くん、おれといっしょに観てください……!」  震えた声で、顔を隠して叫ぶ巽である。南條先生はしばしぽかんとしていたが、ややあって笑った。 「そういえば、巽くんは好奇心つよつよだもんな。観ちゃって、後で後悔しないか? おトイレ行けなくなるぞ」 「お、おトイレは先生に扉の外までついてきてもらう! お風呂はいっしょに入ってください!」 「わかった。巽くんの勇気を讃えて、つきあうよ。ハム太くんも、がんばろう」  先生に腕をとられたハム太くんは、(お、おうっ!)と気合を入れていた。  そして鑑賞タイム。  最初は巽が用意したポップコーンとコーラで場も和むかと思いきや、開始八分で超絶怖い場面が現れた。  領主の部屋の掃除をしていたメイドが突然何者かに襲われ、喉を裂かれてしまうのである。飛び散る鮮血。おぞましい曲が鳴り響く。 「うわ、うわああぁ!!」  巽は先生の大きな背中に顔を押しつけ、完全に視界をシャットアウト。「先生ガード」を発動させた。  南條はポップコーンを食べながら真剣に観ている。ほとんど顔を隠している巽のため、「今、怖いぞ」「もうすぐ来そうだ」「来た!」など、実況中継してくれるのである。  先生の背中を盾にして震える巽。真剣に観る先生。そしてハム太くんは、(ヒィィ……!)と慄きながらもつぶらな目で画面に釘付けだ。  先生とハム太くんがそばにいてくれるなら、絶対に大丈夫! と思っていた巽。でも、全然大丈夫ではなかった。確かに、先生の逞しい体や優しい蜂蜜の匂いで、少しだけ気持ちが落ち着く。でも、怖い。怖すぎるのだ。  そして、お手洗い休憩もなく二時間が過ぎ、映画が終わったころには、巽もハム太くんもぐったりだった。巽はよろよろと先生の背中の向こうから出てきて、 「こ、怖すぎた……! せ、先生、トイレ行きたいです! ついてきてください!」  南條はハム太くんを抱えてついてきてくれた。おまけにトイレが終わって扉の外に出たら、そのままそこで待っていてくれたのだ。「先生!」と駆け寄って、がっしりした腰に腕を回す。 「今日から当分絶対! お風呂はいっしょに入ってね。約束だよ!」 「ああ、わかった。……なあ、巽くん。おれがこの世でいちばん怖いと思っているものを教えようか」 「え? 先生にも怖いもの、あるの?」 「君と離ればなれになること」 「も、もうっ! 先生ったらー!」  盛大に照れる巽と笑う先生。結局いつものイチャイチャだ。怖がって損した、という顔のハム太くんである。
/52ページ

最初のコメントを投稿しよう!