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「はぁ、カフェモカ、美味しい」
湯気の立つマグカップから口を離し、坂木が幸せそうに微笑む。
書店のすぐそばの、チェーンのカフェにて。木をふんだんに使ったあたたかみのある内装に、ふかふかの落ち着くソファ席。コーヒーのいい香りが店内に充ちていた。
ホットのブラックコーヒーを飲みながら、村瀬がぽつりとつぶやく。
「坂木先生、最近カフェモカにハマってますね」
「うん、この前久しぶりに飲んでからハマった。村瀬くんは相変わらずコーヒー一択か」
「甘いものも好きですが、ついブラックを頼んでしまいます」
「コーヒーって、ポリフェノールが豊富で体にいいんだっけ? 確か、ブラックには痩せる効果もあるとか。村瀬くんが痩せてるのはそのせいもあるのかなぁ」
他愛ない話をする作家・秘書コンビである。坂木の視線が、向かいに座る巽のほうを向いた。
「巽さんが飲んでいるのはココアですか? おれのカフェモカと親戚ですね」
いっしょ、と笑う坂木に、巽はほっこりする。坂木先生、癒し系だなあと心が安らぐのだ。
「いっしょですね、坂木先生。……南條先生はなにを飲んでるんですか?」
巽が夫に尋ねると、南條は優しく笑って、
「ん? ブラックコーヒーだよ」
「あ、せいちゃんといっしょ! コーヒーが飲めるんなんて、かっこいいです。おれも飲めたらなぁ」
それから巽は村瀬を見て、熱心に、
「せいちゃん、本当にかっこいい人ですね!」
お世辞ではなく、巽の本心だ。南條もうんうんとうなずいている。
「サイン会のときから思っていましたが、村瀬さんは坂木先生を護っているSPというか……そんな佇まいで、かっこいいです」
村瀬はしれっとしている。
「前職が刑事でしたので、そんな雰囲気が出るのかもしれません」
刑事だということは、南條も巽も知っている。だが、知らないふりをして、「凄い!」と口々に言った。なんだか坂木がやに下がっている。
「そうでしょう? 村瀬くんは、とーってもかっこいい男の子なんです」
村瀬がちらりと坂木を一瞥する。その目の鋭さに、巽は一瞬怯えた。せいちゃんが怒っていると思ったのだ。
しかし、村瀬はすぐに視線を自分のマグカップに落とした。
「……そうでもありません。でも、ありがとうございます」
「照れてるのか? 村瀬くん、可愛い」
にこにこの坂木を、村瀬は睨む。怒ってる! と、巽はドキドキだ。だが、やはりそうでもないらしい。村瀬は隣に腰を下ろす坂木をじろりと見ると、これみよがしにため息をついた。
「坂木先生はおれを買いかぶっています。おれはかっこよくもないし、可愛くもない。いつになったら目の曇りはとれるのでしょうか?」
「失礼だなー村瀬くんは。おれは、これで本質を見抜く力、なかなかあるんだよ。村瀬くんは騎士だ。それに、天使だよ。おれにとっては」
南條が無言で身じろぎした。巽の顔が、真っ赤になる。坂木先生、もしかして惚気!? と巽のほうが照れてしまったのだ。確かにせいちゃんは坂木先生を護って闘う守護天使みたいだけど、今先生が言ったのはそういうことじゃなくて、もっとスウィートな意味だよね? と、胸がドキドキした。巽がそうっと村瀬の顔を見ると、目を見開いて固まっている。それでも、村瀬はクールにこう言った。
「……また、からかって。本当にタチが悪い」
「おれは本気だよー」
「南條先生と巽さんが困っていますよ」
そのとき、巽は気がついた。村瀬の語尾がかすかに震えていることに。
巽の胸はたちまちきゅんとした。
しばし、巽は迷う。しかしテーブルの上にやや身を乗り出して、坂木をひたと見つめた。
「坂木先生、おれと南條先生は困っていませんが、せいちゃんが困っています」
巽の密やかな叱責に、坂木は目を瞠って慌てた。マグカップを倒しそうになる。
「あ――。ご、ごめん、村瀬くん。困らせた?」
しんとする四人。沈黙は一瞬だった。村瀬が突然、くすっと笑った。
「……いえ。坂木先生は困った人だ。そう思っただけです。いつものことですね。……巽さん、ありがとう。気にかけてくれて」
巽は途端に真っ赤になった。急に気まずく、いたたまれなくなる。
「ご、ごめんなさい。偉そうに、出過ぎた真似をしました」
南條がぎゅっと巽の手を握る。夫妻は顔を見合わせて、南條が励ますように、かすかに微笑んだ。
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