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(その3)12月、なにもない朝に(3)
ルーズリーフに年譜を書き込んでいく妻を、南條は真剣な顔で見守っている。そして、微笑んだ。
「そうか。それもいいな。でも、物事はそう計画通りにはいかないかもしれないぞ。子どもだって、なかなかできないかもしれない」
「そっかぁ」
寂しい顔になる巽である。うつむいて黙った妻を穏やかな目で見て、
「おれは子ども、どっちでもいいけどな」
夫が本音を漏らしたことを感じ、巽はますます寂しくなる。先生との間に子どもが欲しいというのは、先生のお嫁さんになりたいという夢と同じくらいに、巽にとって確固としたものなのだ。
「……おれは、赤ちゃん、欲しいです。先生は、そんなことないの?」
「おれは家庭的じゃないんだろうな」
「……夏葉ちゃんにはメロメロのくせに」
五歳の姪っ子、夏葉の名前を出すと、南條は照れ臭そうに笑った。巽の書いた年譜の、「初めての赤ちゃん」という文字を指で撫でて、
「でも、巽くんの赤ちゃんは絶対美人だと思う」
自信満々にそんなことを言うので、巽は赤くなってしまった。こっちのセリフだよー! と先生の逞しい胸を叩く。
「先生に似た赤ちゃんなら、絶対かっこよくて、頭もよくて……」
「おれと子どもで君を取りあう未来が見えるな」
「先生ったら……!」
顔を見合わせて、なんだか照れ臭くなって笑った。とはいえ、巽の胸にはまだモヤモヤが居座っている。――先生は、赤ちゃんが欲しくないのかもしれない。不安と寂しさが、確かに胸にある。なんだか泣きそうになってしまい、巽はルーズリーフの上に両手を置いてうつむいた。
年譜を見ていた先生が、突然「でも……」とつぶやいた。
「夫婦になってもあんまり変わらないと思っていたが、子どものことを話し合えるのは、やっぱり夫婦ならではかもしれないな」
「え……?」
「結婚せずに子どもを設けたり、育てることもできる。いろんな形があるからな。そのいろんな形の中で、君と子どものことを相談できるっていうのは、おれは、やっぱりうれしいよ」
優しく微笑んでいる旦那さん。
巽は涙をぬぐって、「うん」と笑った。南條は目を瞬いている。
「巽くん? なんで泣いてるんだ?」
「なんでもないよ、先生」
――夫婦になって、変わったこともあるんだな。なんでも話し合える夫婦になりたいな。
そんなことを思いつつ、「トランプ、おれが絶対勝つから!」巽がそう宣言すると、先生はおもしろそうに笑っていた。
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