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* * *
朝日が照らす中、フェガリヤとメサニフティーヴはあの洞窟へ戻っていった。厳しい戦いだった故に、数日ここでゆっくり休むのだと言う。
「あの……どうか、私達のことは秘密にしてくれませんか?」
「わかってるよ。メサニフティーヴにも言われたし……ここに人が近づかないようにしてみる。何かあれば連絡するさ……『戦竜機』を退治してくれて、ありがとう」
「いえ! 私達もあなた達に感謝しています……今回の子は、本当に厳しかったです。あなた達が手伝ってくれたから、あの子は救えたんです……そして兄様も、ありがとうございました」
それから、ヨハンナがフェガリヤに、ここに何日ぐらいいるのか、遊びに来てもいいかと尋ねた。その時に、ふと視線を感じてゲルトが顔を上げると、メサニフティーヴの深い緑色の瞳と目があった。
「……お前達には助けられた。礼を言う」
呼ばれているような気がしてゲルトがそっと近づけば、黒い竜は囁いた。
「ところで、助けてもらった後で申し訳ないが、一つ頼みごとをしたいのだ」
「俺達もお前達に助けてもらった。出来ることがあれば、するよ」
それで何を、と尋ねようとした時だった。
「……えっ?」
メサニフティーヴが口と牙を器用に使って、自身の身体から鱗を数枚はがしたのだ。
「お前は仕立て屋だと言っていた」
鱗をはぐことは竜にとって痛みがあると聞いていた。再生に関しては、フェガリヤの光を受けていた際に、元通りになっていたと思うが、はいでしまったいま、肉が見える。
「これでフェガリヤの服を作ってはくれないか? お前の妹に言われて気が付いたが……あの子には清潔な服が必要だ。それも丈夫で、鎧にもなるような」
竜の鱗で作った服は丈夫であり、着る者を守る鎧となる。
――数日後、ゲルトはヨハンナを連れて、再び森に向かった。
『戦竜機』の姿がなくなり、街は危機を免れた。しかし失ったものはあり、そのために人々はまた森に足を踏み入れる。
ゲルトとヨハンナは約束通り、洞窟に人々が近づかないように働いた。時にフェガリヤとメサニフティーヴに一度洞窟を離れてもらうこともあったが、無事にやり過ごせた。
また、ゲルトはこの数日の間、他人から隠れるようにして黙々と服を作り続けていた。
竜の鱗を糸に変換する装置。長いこと使われていなかったが、無事にそれが動いた。そして依頼されたものを作り終えたために、再び森にやって来たのだ。
再会して、ヨハンナがフェガリヤを川に連れて行った。フェガリヤは服がぼろぼろなだけではなく、肌も汚れていたし、銀色の髪もよく見ればくすんでいた。だからヨハンナが川で彼女の身を清め、整えたところで持ってきた服を着せた。
そうして、洞窟で待っていた兄達の元に、妹達が帰ってきた。
「――おお、フェガリヤ!」
一目見て、メサニフティーヴが声を上げる。
――すっかり綺麗に洗われ、また新しい服を身に纏ったフェガリヤは、まさに女神のようだった。銀色の髪は更に輝き、瞳も嬉しそうに輝いている。マントは彼女の銀色を引き立たせるような漆黒。けれどもその下には、美しさと可憐さをそなえた白い服を着ていた。それは決して見栄えのよさを優先したものではなく、動きやすい形の、旅人のための服。
「見てください兄様! 綺麗にしてもらいました! 素敵な服までいただきました……!」
彼女がくるりと回れば、黒いマントはきらきらと輝きながらドレスのように広がる。それは、絵本で見たかつての夜を想像しながらゲルトが作り上げたものだった。
「あんたが渡してくれた鱗は、主にマントに使わせてもらったよ。その下の服にも使ってる」
ゲルトが説明すれば、メサニフティーヴはうんうんと頷く。話を聞いていたフェガリヤははっとする。
「兄様の鱗から作ったんですか! だからこのマントは兄様と同じ色なんですね! ありがとうございます! ゲルトさんも、ヨハンナさんも、そして兄様も!」
フェガリヤは兄に抱きついた。対して、黒い竜はひどく申し訳なさそうな顔をしていた。
「よく似合っているぞフェガリヤ……今までおろそかにして済まなかった。兄として、お前の身だしなみを気にかけられなかった……」
「そんなこと言わないでください! 私こそ、兄様ばかりに大変な思いをさせてしまって……」
そんな風に会話する奇妙な兄妹を、ゲルトは不思議な気持ちで眺めていた。まるでお伽噺の中にいるようだった。
「気に入ってもらえてよかったねぇお兄ちゃん!」
ヨハンナが背を叩く。ゲルトは静かに頷いて、また黙ったまま、幸福を感じられるその光景を眺めていた。
……それから、しばらくして。
「――それじゃあ、ゲルトさん、ヨハンナさん。私達は行きます。まだ救わなくてはいけない子が、沢山いますから……」
黒い竜の背に乗った少女は、名残惜しそうな表情を浮かべていたものの、頭を下げた。
「気をつけてフェガリヤちゃん! ……メサニフティーヴ、ちゃんと妹を守ってね!」
ヨハンナが叫び、手を振る。メサニフティーヴは低く唸れば、蝙蝠のような翼を広げた。
黒い竜の身体が浮上する。力強く羽ばたき、青空に消えていく。
ゲルトも妹の隣に並んで、大きく手を振った。黒い竜の背、小さな人影が手を振り返している。と、黒い竜が振り返って、輝く息吹を吹いて見せた。
徐々に小さくなっていくその姿。空の青色に消えていき――やがて夢が覚めたかのように、もう見えなくなった。
強い風が吹いていた。空には雲一つなく、木々は気持ちよさそうに揺れていた。
「……二人、大丈夫かなぁ? 『戦竜機』や『屍竜』を退治していくのが、仕事なんだってね?」
思い出したようにヨハンナがふと、不安そうな声を漏らす。しかしゲルトは空を見上げたまま答える。
「大丈夫さ……二人一緒なんだから」
短い間だったけれども、あの少女と竜と過ごして感じたことがあった。
フェガリヤにはメサニフティーヴがいて。
メサニフティーヴにはフェガリヤがいる。
……自分達兄妹と同じだと思えた。
しかし結局、あの奇妙な兄妹については、わからないことが多く残された。果たして彼女達は何者なのか。どこから来たのか。何故そんな過酷な使命を背負っているのか。
いまとなっては、答えを知ることができない。
けれども祈る。二人の無事を。
「……しかし兄と妹だなんて、不思議だったな。竜と、不思議な光を放つ人間だぞ?」
全ては自分の幻覚、幻聴だったのだろうか。そんな気持ちがないわけではなかった。ゲルトは頭の後ろで手を組むと溜息を吐いた。
「フェガリヤって……もしかして竜に育てられたのか? あの優しい光についても、よくわからないし」
誰に言ったところで、信じてもらえないだろう。
――しばらくの間、ヨハンナが黙っていたものだから、ゲルトは異変に気がついた。
いつもは元気よく話す妹が何も言わない。隣を見れば、彼女は神妙な顔で空を見つめていた。
「あのね、お兄ちゃん」
ようやく彼女は口を開く。
「私、フェガリヤちゃんを綺麗にしたじゃない? 小川で髪や身体を洗って……その時に、見ちゃったんだけどね?」
その声は、彼女すらも驚き戸惑うようなものを見たといった口調だった。
「――フェガリヤちゃんのうなじに、鱗が数枚あったの。間違いなく鱗だったよ。黒くて……メサニフティーヴと同じ色の鱗だったよ」
【第一章 竜と少女と子守唄 終】
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