第二章 離れがたき愛の底

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第二章 離れがたき愛の底

「昔……旅をする竜から聞いたことがある……テンツァール大森林は美しい場所だと」  青空を飛ぶ黒い竜。その背には同じ黒色のマントを纏った銀の少女。  黒い竜は大きな翼を羽ばたかせると、続ける。 「テンツァールの竜達は、力が強いらしくてな。目立って特別なことができる者はやはり少ないものの……どの竜も、世界と命を育む力を濃く持っていたらしい。私や他の竜では、そうしようと思わなければ、草木を芽ぐませられない。水も浄化できない。しかし彼らは……歩くだけで緑を萌えさせ、花を咲かせるそうだ。水浴びをすれば、その水は宝石を溶かしたかのように輝いたらしい」  だから彼らの里の周りは、巨樹の並ぶ大森林になったのだと、説明する。 「最奥の湖のほとりに、里があるそうだ。テンツァールの竜が生きる場所。そこが最も美しい場所だったらしい……」 「力を持つ竜によって作られた、美しい場所ですか……」  と、メサニフティーヴの背から、フェガリヤは真下をじいと見つめる。 「……もし、竜がまだ生きていたら、どうしましょう」  ふと妹がひどく苦しげに悩み始めたものだから、メサニフティーヴはかすかに頭を上げて瞳だけをそちらに向ける。 「というと?」 「その子を……どうしたらいいのかわかりません。月の光がないいま、竜がこの世に生きるのはひどく困難です。間違いなく……生き残ってはいないでしょう……」  事実、初めて赤い月が空に昇り、旅に出てから長く経つものの、生きた竜にはこれまでに出会えていなかった。 「けれど……まだ、と考えずにはいられないのです。力を持つ竜であったのなら、もしかしたら、と。そして本当に生きた竜がいて、まだどこかで生活していたのなら――」  竜は不死身ではない。  病で死ぬこと、怪我で死ぬこと、そうでなくとも老いて死ぬこと。生き物として、竜にも死は等しく訪れる。 「……いつかその子は、必ず死にます。その場合『屍竜(しりゅう)』になって彷徨うことになります……だからもし、生きた竜に出会えたのならば……私達は、そこに留まった方がいいのでしょうか。それとも――」 「――それとも、いまの生活を奪い取ってまで、月に還した方がいいのか。どちらにしたらいいのか、お前は悩んでいるのだな?」  フェガリヤはその恐ろしい言葉に口を固く結んだ。やがておもむろに頷く。  対して、メサニフティーヴは溜息を吐いた。また大きく羽ばたき、空を滑空する。  優しい妹は誇らしく、けれども時に憐れにも思えた。そのために生まれたといえども、彼女は過酷な使命を背負ってしまった。  ――だからこそ、自分が彼女を支えなくてはいけない。守らなくてはいけない。  武器となり、また盾となる。そして兄として助ける。 「フェガリヤよ、それは、その時に考えよう」  笑って黒い竜は言葉を返した。 「もしかすると、我々と一緒に旅をしてくれるかもしれないぞ」 「それは……そうだったのなら、嬉しいですね!」  ぱっと妹が笑顔を咲かせる。けれども一瞬だけ見せた不満そうな顔を、兄は見逃さなかった。 「どうした? 何か、不安か?」 「い、いえ……何も……」  フェガリヤは巻いたスカーフで顔を隠す。メサニフティーヴがそれ以上聞くことなく、待つように黙っていると、やがて彼女は答えてくれた。 「……兄様がとられるのではないか、と思ってしまって」 「ほう……私もお前がとられるのは、困るな」  深い緑色の目を細めて、黒い竜は愛おしさに笑う。  しかし、その心配はないだろうと、つと思う。  ――眼下に広がるのは、灰色の死んだ森。  空は青いものの、地上は時が止まっているかのように枯れ、死に、色を失っていた。石柱のようになった大木が立ち並んでいる。生き物のいる気配はなく、死の気配が底を漂っていた。  テンツァール大森林。  黒い竜と銀の少女が目指すのは、秘境の一つと言われたその最奥。かつて竜が住んでいたといわれる湖のほとり。  死んだ森の中、大穴が見えてきた。
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